112 亡霊の如き執念
玉座に寄り掛かるようにして立つロード・デュークスは、どう見ても満身創痍だ。
魔女狩りの君主たちがまとう白いローブは身に付けておらず、焼き切れた衣服の隙間からは包帯が見え隠れしている。
キチンと整えられていた霞んだブロンドの髪も、今は乱れていて品位のカケラもない。
クリアちゃんの強襲によって瀕死の重体に陥った、ロード・デュークス。
そんな彼が、軋んだ体を動かしてこの場に現れた。
その見てくれだけならば十分に死に体だけれど、彼の瞳だけは決して揺るがない意思が通っていた。
「ロード・デュークス!?」
予想だにしていなかった登場に、誰しもが息を飲んだ。
あの状態の彼が動けるだなんて思わなかったし、ましてこの場に現れるだなんて。
いや、それよりも今考えるべきは────
「クリアランス・デフェリア……忌々しい魔女め。散々してやられたがしかし、終焉の帳を下ろすのは、私だ……」
ロード・デュークスは一人カラカラと掠れた笑い声をあげながら、ゆっくりと頭上を見上げた。
そこには、さっきお母さんたちが引き上げたミス・フラワーが静かに浮かんでいる。
「デュークスくん、あなたまだ諦めていないっていうの!? そんなになってまであなたは、まだこの世界を……!」
「当たり前のことを聞くなよホーリー。私の研究は、私の生涯は、この時のためにあったのだ。誰にも、邪魔などさせるものか。まして、卑しき魔女に掠めるとられるなど、言語道断……!」
今にも死にそうな震えた声で、ロード・デュークスはお母さんの詰問を切り捨てる。
立つのもやっとであろうボロボロな体で今この場にいられるのは、きっとその執念故に他ならない。
「私の研究の果ての、ジャバウォック。私が整えた、世界の終焉なのだ……まぁしかし、彼奴のお陰で土壌は整っている。その点に関しては、認めてやらんこともない」
クツクツと笑うロード・デュークスは、半ば朦朧としているようだった。
足元は覚束ず、声は掠れ、体は震えている。
揺らぐことのない意思だけが彼をこの場に繋ぎ止めている。
その亡霊のような怨念で彼は、再び『ジャバウォック計画』を目論んでいた。
「そうか、ケインさんの目論見はこれか……! クリアではなく、デュークスさんにジャバウォックを呼ばせようと!」
「あの胡散臭い坊やめ。最後の最後まで面倒なことを……」
ロード・スクルドがハッと息を飲み、夜子さんは憎々しげに呻いた。
ということはつまりロード・ケインは、ロード・デュークスが自らジャバウォックを顕現させるように、クリアちゃんに加担して時間を稼いでいたということ……?
重体で身動きなんてできないであろう彼がここにいるのも、ロード・ケインの魔法のおかげ……。
そこまで踏まえていて、私の前に立ちはだかっていただなんて。
ミス・フラワーを術式から剥がしたとはいえ、ロード・デュークスは今そのすぐそばにいる。
クリアちゃんが整えた儀式自体はまだ生きているのだろうし、彼自身が準備していたやり方とは違うだろうけれど、環境は整ってしまっている。
「せっかく止めたのに、ジャバウォックを呼ばせるわけにはいかない! もう一度、抵抗の魔法を……!」
「無理よ、アリスちゃん。さっき儀式を押さえ込むのに、用意していた術式を全部消費しているわ。あなたの力を経由しても、同じ芸当をすぐにはできない。あれは、私たちの二千年の積み重ねなんだから」
「そんな!」
再び『真理の剣』を使って阻止を試みようとする私に、お母さんが首を横に振った。
事前に世界に仕掛けてあった魔法のバックアップがなきゃ、私の力だけでは儀式を押さえることはできない。
サッと、血の気が引いた。
「なりふりなんてもう構ってられない。潰す!」
夜子さんは即座にそう言うと、床を強く蹴って飛び出した。
けれど、それとほぼ同時に私たちの周りに透明な障壁が張られ、夜子さんの行く手を阻んだ。
僅かな気配だけれどわかる。ロード・ケインの魔法だ。
この場におらず、囚われているという彼が、援護をしている。
そうして生まれた数瞬の隙に、ロード・デュークスは笑う。
「私がここに到達した時点で、貴様らの敗北は決定している。世界は今この時を持って、終わりを迎えるのだ!」
死に体ながらも高らかな声を上げて、ロード・デュークスは勝ち誇る。
その声に応えるように、浮かび上がっていたミス・フラワーが引き下ろされて、はじめのように玉座の後ろに収まった。
そして再び彼女からは、吐き気を催すような醜悪な気配が、対照的な白い輝きと共に発せられる。
「そんなことさせない! クリアちゃんが思いとどまってくれたジャバウォックを、呼ばせたりなんかッ!!!」
周囲を囲む障壁を『掌握』して取り払う。
氷室さんから手を放し、立ち上がりざまに『真理の剣』を強く握り直して、私は斬撃を放とうとした。
けれど────
「もう遅い!」
私が剣を振り上げ、夜子さんが再び飛び込もうとして。
みんなもそれぞれ、ロード・デュークスを止めんと動き出そうとしたけれど。
ミス・フラワーの元に、儀式の中心にいる彼の方が、早かった。
ロード・デュークスの声と共に、空間が、いや世界が大きく震撼した。
重くドロドロとした衝撃が波打って、その禍々しい力の奔流は、私たちを押し流そうとするように絶え間なく流れ、寄せ付けない。
「忌々しい魔法が蔓延る、道を違えた世界はこの時を持って終わりを迎える。正しき神秘、正しき世界の在り方、正しき繁栄を! やり直すのだ!!!」
儀式の中心、力の中心で、ロード・デュークスは一人笑う。
ミス・フラワーの輝きは次第にその勢いを増して、光自体は眩いのに、身の毛もよだつような悍ましさが叩きつけられる。
そこから感じられるものは明らかに邪悪なのに、まるで世界自体がそう望んでいるように、大きな力が私たちを押さえつけて抵抗を許さない。
「やめて! ロード・デュークス……だめ……!!!」
必死で剣を振おうとして、でもできなくて。
世界中を掻き乱すような力の奔流に、こちらが魔法や力を使う余裕もない。
ただ叫ぶことしかできないのに、それも禍々しい力に掻き消されて届かない。
彼の高笑いだけが、おどろおどろしく響いてくる。
「あぁ、フローレンス。やっとこの時が来たぞ! お前を否定した世界を、私が壊し、作り直す! この世界は間違っているのだから────!」
意識のないミス・フラワーが太陽の如き輝きを放ち、けれどそれが眩いほどに黒々と邪悪さを増していく。
それを一身に受けるロード・デュークスは、まるで神を仰ぐように両手を掲げ、高らかに叫んだ。
「来れ、混沌の魔物ジャバウォック! 今こそ、世界に正しき結末を!!!」