108 ドルミーレを想う者たち
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「流石アリスちゃん。有言実行できそうだ。こっちも気合を入れないとね」
ミス・フラワーが展開する結界に対峙しているイヴニングは、背後を窺い見て微笑んだ。
しかし絶対的遮断を行なっている結界の強度は凄まじく、実際のところ笑っている余裕など彼女にはない。
それでも尚、気持ちを奮い立たせるためにイヴニングは笑った。
狂気を孕んだ凶悪な魔女、クリアランス・デフェリアは今、アリスを前に膝を折っている。
その暴走を抑えることに彼女が成功しかけている今、残る懸念は儀式の中枢たるミス・フラワーだ。
「ミス・フラワー……どうして私たちの邪魔をするのかしら。彼女だって、気持ちは私たちと同じはずなのに」
「どうなんだろう。気持ちは同じかもしれないけれど、でも立場は違う。彼女は彼女なりの方法で、ドルミーレを救いたいと考えているのかもしれないねぇ」
二人掛かりで結界に挑み、魔力を全力投入して解析と解除を試みる。
その最中、ホーリーは訝しんで白いユリの花を見上げた。
「確かに、私たちは終ぞ彼女とドルミーレの関わりを深くは知れなかった。その浅からぬ縁が、彼女にこの選択を? でも、ドルミーレと通じているからこそ、ジャバウォックなんて許容できないでしょうに」
「私たちには想像することしかできないね。ただ、彼女が長らく枯れていたことが、全てなような気もする。ジャバウォックが現れて以降、長らく力尽きていたミス・フラワー。ドルミーレの目覚めの兆しが見え始める少し前に蘇り、そして今、こうして混沌を導かんとしている。それを考えれば、彼女はそのための存在なのかもしれない。なんてね」
「…………」
二人にとっては、どれも憶測の域を出ない。
ドルミーレをよく知る二人ではあるが、その成り立ちの根幹は、当時の彼女たちには理解でるものではなかったのだから。
幼き日の頃、二人は幾度かミス・フラワーと会い、よく語らった。そのため彼女の人となりは知っているが、その存在がなんたるかまでは、理解が及んでいなかった。
しかし、彼女を知るからこそわかることもある。
ミス・フラワーは決して、ドルミーレに仇なすような存在ではないと。
彼女の心は、その気持ちは、決してドルミーレを裏切るようなものではないと。
だかこそ、例えこれがミス・フラワーという存在の本懐であったとしても、見逃せない。
ドルミーレに名を与え、語らい続けた彼女に、ドルミーレを滅ぼす片棒を担がせることはできないからだ。
「────それにしても、この結界は骨が折れる。私たち二人掛かりでも破れないなんてね」
結界と二人の魔力がぶつかり合い、神秘の輝きが閃光のように迸る。
侵入を試みれば試みるほど、拒絶の意思は強くなり、二人をより強く阻む。
「読めば読むほど、理論上つけ入る隙がないように思えるわね。でも、どことなくドルミーレに似た力の感覚がある。そこを糸口にすれば、私たちなら……!」
「ああ。この結界を突破できる可能性があるとすれば、私たちだけだ。アリスちゃんが頑張っているんだから、私たちが泣き言を言っている場合じゃないね!」
自らを鼓舞しながら、二人は結界に全身全霊で向かいあう。
自分の世界に閉じこもって心を開かない、かつての友を思い出しながら。
「ねぇ、ミス・フラワー。あなたも、ドルミーレのことが大切なんでしょう?」
渾身の拒絶に抗いながら、ホーリーを奥底の花に向けて声をあげる。
すぐそこにいるのに手が届かない。せめて声くらいはと。
「私たちも同じのなの。彼女を守って、もう一度一緒に笑い合いたい。彼女の苦しみをこの手で取り払いたいの。そのためには、ジャバウォックなんて二度と顕しちゃダメなのよ!」
「そうだよ、ミス・フラワー。彼女の孤独と憎しみを、そのまま混濁の渦に飲ませても、決して救いにはならない。私たちは、大切な親友に終わりなんて与えたくは、ないんだ……!」
ミス・フラワーは目を閉じたまま、かつてのように口を開くことはない。
朗らかに笑みを浮かべることもなく、楽しげに歌うこともなく、ただ力を発する一輪の花。
しかし二人は、その内に沈み込んでいる心に向けて、訴えかけた。
「ドルミーレは世界に絶望して、全てを捨て去ることを選んだ。何もかもを拒絶し、孤高を貫くことを決意した。でも、だからこそ私たちが、彼女と繋がることを諦めちゃいけないの。私たちまで全てを諦めてしまったら、それこそ彼女を救うことはできないから!」
「私たちにはまだ希望がある。君も知っているだろう? ドルミーレが夢見たものが生きている。その意思が挫けない限り、彼女が生きることを望んでいる限り、私たちは諦めちゃいけないんだ。私たちが、彼女が帰ってくる場所にならなきゃいけないんだよ!」
二人の言葉がミス・フラワーに届いているのかはわからない。
そもそも彼女に、まだ意思の疎通をとれる機構が残っているのかもわからない。
二人の叫びは、ただの自己満足かもしれない。それでも、気持ちを言葉にするのをやめることはできなかった。
それ故か。はたまた彼女たちの抵抗が功を奏したのか。
ミス・フラワーの結界に、僅かな綻びが生じた。
強度が落ちたわけではなく、出力が下がったわけでもない。
しかし、完全なる拒絶を続けていた結界の、抵抗力が落ちたように二人は感じた。
「……! ホーリー!」
「ええ、押し切りましょう!」
その隙を、二人は決して見逃さない。
全てを拒んでいた結界が、ほんの少しだけ許容を持ち始めた。
それはミス・フラワーの意思か、はたまたそこに通じるドルミーレの意思か。
花は目覚めない。花は語らない。
しかし、拒みきれなくなっている。
「ミス・フラワー。あなたがドルミーレを想うなら、私たちに力を貸して!」
「まかり間違っても、ジャバウォックを呼んだりしちゃいけない。それが何より、ドルミーレを苦しめるんだから!」
『────────』
そして、声のようなものが二人の耳を掠めた。
厳密に言えばそれは音によるものではなく、心を伝って聞こえてくるもの。
遠く彼方で囁くような、そんな僅かな言の葉が、微かに聞こえた。
「ミス・フラワー!!!」
ホーリーとイヴニングの呼びかけが重なる。
それに応えるように、声は少しずつ大きなって。
『私には……あの子を救えない────』
白いユリの花は瞳を閉じたまま。
しかし二人の頭に響くその声は、確かに彼女のものだった。
二人はその声に耳を傾けるために、より結界を暴きにかかる。
ホーリーとイヴニングの力が、結界を解き始めているのか。
或いはミス・フワラーが二人を受け入れているのか。
二人はゆっくりと確実に、結界の中に食い込み始めた。
活路は見えたと、ホーリーとイヴニングは魔力の放出に追い込みをかける。
結界と魔力の衝突で閃光が交錯する中、大きなユリの花を見上げながら。
そんな二人を見下ろすように、その花弁が、僅かに下を向いたような気がして。
『アイリスを、助けてあげて……』
そして、そんな懇願が、二人の頭に響いた。
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