106 どっちつかずの男
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「いやぁ参った参った。こうなるとはね」
静寂が満たす王城の玄関広間にて、ロード・ケインの掠れた声が弱く響いた。
勝負は既に決している。ケインは空中で氷に磔にされており、そしてロード・スクルドとレイがそれを見上げている。
叛逆者たるケインの敗北だった。
結果だけを語ればそれに尽きるが、スクルドもレイも決して軽くはないダメージを負っている。
辛うじて自らの足で地を踏みしめてはいるが、満身創痍一歩手前であることは否めない。
静謐とした厳かな玄関広間は、激闘の爪痕をハッキリと残している。
ケインの空間魔法が室内を何度も攪拌し、切り裂き乱した影響で、建物はとても疲弊していた。
それに加え、スクルドの氷結魔法が至る所を凍結させており、極寒の地の廃城の如く、あらゆるものが氷と霜に覆われている。
更にはレイがその強力な脚力を持って室内を縦横無尽に飛び回ったことで、玄関広間は散乱を極めていた。
二人の君主、そしてヒトを逸脱した魔女と妖精のハイブリッドの三者の戦い。
それはスクルドとレイという、姫君アリスに味方する者の勝利を持って終わりを迎えた。
しかし敗北者であるケインはあまり落胆の色を見せず、自らを拘束する氷に身を任せていた。
「空間の凍結とか、ちょっとずるいんじゃない? 非物理的な空間の、断層そのものを凝固させるなんて、どっちかというと僕の領分だぜ?」
「私たち魔法使いは、魔法を持って真理を目指すもの。常に高みへの探求を続けているのです。私も、常に先に進んでいます。物質以外の凍結もまた、我が一族の魔術の先端なのです」
白い息が湧く荒い呼吸を整えながら、スクルドは静かに答えを返す。
そんな彼に、ケインは「真面目だなぁ」と眉を寄せた。
フリージア家が代々研究してきた魔法は、凍結の魔法の類。
それは主に冷気を伴う氷結の魔法だが、凍結とは突き詰めればあらゆるものの停止を意味する。
その魔法を冴え渡らせれば、空間や時など、物理的に干渉できない概念や現象に対しても、『凍結』を及ぼすことができる。
ケインを拘束しているものは、まさしく彼の周囲の空間を凍結させたものだ。
その空間内のあらゆるものの動作を停止させ、一切の活動を凍結する。
視覚的には氷が張っているように見えるが、それは周囲の水分の凍結とは別次元の現象だ。
「まぁでも、かなり無理してるだろ。まだまだ極められてはいないみたいだね。体、ガタがきてるだろう」
「確かに私はまだ、我が一族の魔法を完成させられていません。そもそも、そんな簡単に為せるものならば、真理にはほど遠い。身の丈に合わない力は、身を滅ぼすのは道理。しかし、無理や無茶を通してあなたを打倒できるのであれば、私は躊躇いはしませんよ」
「それは、姫様のためかい? いつの間にいたくご執心になっちゃって」
「あの方の考えが正しいかどうかは、私にも結論は出せません。しかし、姫殿下の御心は必ず多くを救う。それだけは、私にもよくわかるのです」
軋む体を奮い立たせながら、スクルドは強く言い放った。
魔法使いと魔女の関係や、そこに囚われるこの国の在り方を、どう運んでいいのかは簡単に決められるものではない。
アリスの考えは理想的ではあるが、この国の住人には実現させることが難しい部分を多く孕んでいる。
しかしそれを無理だ無駄だと一蹴してはいけないことを、スクルドは彼女に触れたことで理解したのだった。
「堅物なようで、案外話のわかるやつでちょっと安心したよ。まさか、魔女狩りの君主と共闘することになるとは、昨日まで夢にも思わなかった」
レイはカラカラと笑いながらそう言うと、ニヤリとスクルドに笑みを向けた。
転臨の力の解放、更には妖精としての力をフル活用しても尚、レイもまた疲労困憊は隠せていない。
強気を見せながらも、肩で荒い呼吸をしている。
「確かにアリスちゃんの想いそのものを完璧に実現させることは、そう簡単なことじゃないかもしれない。でも彼女の在り方がこの世界をきっと変えてくれる。僕らはそれを信じているから、この身を全て捧げているのさ」
「いやはや、純情すぎてオジサンには眩し過ぎるよ。僕に言わせてみれば青すぎるけれど、まぁ負けちゃったんだからあんまりあーだこーだ言っても格好悪いね」
変わらぬ飄々とした言葉を捏ねくり回しながらも、ケインは明らかに脱力し切っていた。
力を大きく振りまいた上で圧倒された彼に、もう余力は残っていないようだった。
「本当に参った。完敗だよ。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ」
「そう言う割には、あまり悲観的には見えませんね。まさか、負けることが目的で、まだ隠し玉でもあるのですか?」
「いやいや、そこまで捻くれてないよ。僕は君たちと全力で戦ったし、もちろん勝つつもりだった。ただまぁ、ここでこうして君たちに負けても、僕としてはデメリットはそんなにないんだよね」
「それは一体どういう意味ですか?」
怪しげな言葉をこぼしつつ、しかしケインからは不穏な気配は感じられない。
スクルドが顔をしかめて問い詰めると、ケインは力なく笑った。
「姫様なら、クリアちゃんをちゃんと止めてくれるだろう。結界がない今、ナイトウォーカーたちも来てるみたいだし。ただ万が一のために、それに余計に事態が拗れないように、こうして立ちはだかったけど。まぁでも僕としては、クリアちゃんが事を成しても成さなくても、最悪どっちでもありだった。強いて言えば、止まって欲しかったけど」
「……? あなたは、クリアランス・デフェリアの側についたのではないのですか? もしかして、彼女の蛮行を食い止めるために敢えて、とでも?」
「ははは。そんな、実はいいやつでしたーみたいな、格好悪いことはしないよ。僕はただ、自分の目的のためだけに動いてるだけさ」
可笑しそうに笑うケインに、スクルドはムッと苛立ちを浮かべた。
ケインの言葉は要領を得ず、全くもって思惑を汲み取ることができない。
彼の言葉は普段からのらりくらりとしているが、今はそこに時間を取られている場合ではない。
スクルドは語気を強めて、改めて問い正す。
「では、あなたは何をしようとしていたのですか。何のためにこんなことを……!」
「なんてことはないよ。格好悪いことはしてないけど、でも別に格好良いこともしてない。ありきたりな理由さ」
強く見上げてるスクルドに、ケインは笑みを引っ込めて静かに答える。
カチリと切り割ったように表情を穏やかにした彼に、スクルドは僅かに息を飲んだ。
「僕はただ、惚れた女のために頑張ってるだけ。そんな、ただつまらない理由なのさ」
「つまりそれは……クリアを? あー……あなたは節操のない人だとは思っていましたが、私の認識は甘かったようですね……」
「おいおい、真面目な顔して冗談はよしてくれよ。いくら僕でも、あんなデンジャラスな子は御免だって。スクルドくん、今は茶目っ気を出すとこじゃないぜ?」
人がせっかく真面目に話しているのにと、ケインはそうボヤきながらも、少しからかうような視線を下ろした。
そんな彼のリアクションに、スクルドは不機嫌さをあからさまに顔に出し、苛立ち共に睨み上げた。
ケインは慌てて真顔に戻り、そんな両者のやりとりを見てレイは大きな溜息をついた。
「────ミス・フラワーだね。魔法使いの君が、一体全体どうして……」
「なぁに。ロクでもない男が一匹、迷い込んだ森で美しい花に見惚れただけさ」
ケインはそう呟くと、遠くを眺めるように視線を上げた。