103 人を想うということ
大量の水が空を裂き、そして弾ける轟音が響く。
シオンさんとネネさんが倒れる音はそれに掻き消されて、だからとても非現実的で。
でも二人は確かに、ドサリと鈍くその場に崩れた。
「シオンさん────ネネさん────!!!」
頭が真っ白になりかけながら、私は慌てて二人に駆け寄った。
黒焦げになった二人は全身酷い火傷で、それまでの傷だって治しきれていなかったのに、重いダメージが重なっていた。
炎に晒されたその身体は熱く、力は入っていないはずのにとても固く、何より呼吸をしていなかった。
「しっかり……しっかりして! ねぇ!」
全身の血が引いていくのを感じながら、私は慌てて二人に全力で治癒の魔法をかけた。
呼吸はしていないけれど、ほんの僅かに心音があることが、魔法で辛うじて感じられる。
今その怪我を治すことができれば、二人の命を救うことができるかもしれない。
二人が最後の力を振り絞って攻撃したクリアちゃんのことも、今はとてもどうでもよくて。
とにかく二人のことを死なせたくないと、私の頭はそれでいっぱいになってしまった。
少し遅れてレオとアリアも治癒に手を貸してくれて、私たちは三人掛りで回復に努めた。
「…………」
魔法は決して万能ではなく、時間を巻き戻すように怪我を治すことはできない。
回復するスピードよりも衰弱するスピードが早ければ、間に合わないことだってある。
けれど、三人で渾身の力で治癒をかけたおかげか、少しするとシオンさんとネネさんは小さく呼吸を再開させた。
でも、それでも決して予断を許さない状況だ。
戦線復帰なんてとてもじゃないけれどできないし、このまま治癒をかけ続けなければあっという間に逆戻り。
まさに二人は虫の息。瀕死の状態に変わりはなかった。
「────やってくれたわね」
そんな中、静かな怒りを孕んだ声がした。
すぐさま顔を上げてみれば、さっきまでクリアちゃんがいたところに、大きな氷の塊があるのがわかった。
水の爆発を凍結させたようなそれは、飛沫が時を止められたように細かい氷の粒で形成されている。
その奥底から、クリアちゃんの声がした。
次の瞬間、氷の中心から炎がワッと吹き出して、その全てを昇華させた。
その奥から現れたクリアちゃんは、変わらぬ炎の身体を燃やして立っていて。
けれど、苦しげに体を屈めていた。
「力を、使い過ぎたわ……でも、私は倒れるわけにはいかないのよ……」
「クリアちゃん……」
クリアちゃんは、二人からの攻撃を凍結させることで防ぎ、その身に届かせてはいないようだった。
けれど二人の決死の攻撃は決して無駄ではなく、彼女に大きな疲労を与えることできたように見える。
でも、トップクラスの魔女狩り二人掛かりの攻撃を、それでも防ぎきれてしまうんだ。
一見ダメージがなさそうなクリアちゃんだけれど、少し足元がおぼつかないように見える。
それでも彼女は炎の脚を踏ん張って、真っ直ぐに私を見据えてきた。
そこにあるのは覚悟か、はたまた執念か。
「レオ、アリア……シオンさんとネネさんをお願い」
そんなクリアちゃんの姿を見て、私は一人前に乗り出した。
不安の声を上げる二人の声を背中に受けながら、『真理の剣』を強く握る。
「二人をそのままにはできないし、誰かが見てないと。大丈夫だよ、私、絶対クリアちゃんを止めるから」
シオンさんとネネさんが必死で守ってくれたんだから、必死で繋いでくれたんだから。その想いを、私に託してくれたんだから。
静かに倒れ伏す二人の姿が、私の心をふつふつと揺らした。
これは憎しみでも怒りでもない。二人の心が、私を支えてくれている。そこからくる、覚悟だ。
もう誰にも傷付いてほしくない。
こんな悲しい争いで、大切な人たちを失いたくない。
だから、この責任は自分で果たさないといけないんだ。
振り返らない私に、レオとアリアはもう何も言わなかった。
二人は、私の気持ちも覚悟もよくわかってくれているから。
その無言が、とても頼もしかった。
「クリアちゃん。お望み通り、もう誰の邪魔もなしだよ」
一歩、更に歩み出て言葉をかける。
姿を晒さない炎の人に向けて、私は剣を構えた。
「あなたは私の友達だけど、でも私の友達はあなただけじゃない。私の大切な人たちを傷付けたクリアちゃんを、私は許すことなんてできないよ……!」
「アリスちゃん…………」
クリアちゃんは屈めていた体を持ち上げて、まっすぐ私を見た。
消耗はしているんだろくけれど、その姿を形作る炎の勢いは弱まってはいない。
「クリアちゃんが私のことをとっても想ってくれていることはよくわかったよ。そのために、あなたなりに沢山頑張ってきてくれたことも。それは嬉しいけれど、でもそれとこれとは別だよ。クリアちゃん、あなたはしちゃいけないことし過ぎた!」
「どうして、そんなことを言うの……? 私はただ、アリスちゃんを助けたいだけなのに。あなたも、私を求めてくれていたでしょ? 助けを求めてくれたでしょ? だから私は、ずっとあなたのために頑張ってきたのに……!」
「言ってるでしょ、クリアちゃん。私は、あなたにこんなことをして欲しいだなんて望んでなかった。クリアちゃんの気持ちを間違っているとは言わないけど、やり方は間違ってるんだよ」
「そんなこと、言わないでよ……!!!」
クリアちゃんは大きく狼狽えて、ヒステリックな声を上げた。
その感情を表すように、身体の炎がバチバチと弾ける。
「私、アリスちゃんが大好きだから……だから、あなたには幸せになってほしくて。だから、あなたのそばでずっとずっと、あなたを守りたいだけなの! もう何にも苦しんでほしくなくて、万に一つもあなたを失いたくなくて! 私はただ、大好きなアリスちゃんに笑っていて欲しかっただけなのに! どうして、どうしてアリスちゃんはそんなこと言うの!?」
泣き叫ぶようなその言葉は、とても胸に重く響く。
それが本心だということがよく伝わるからこそ、引き起こした結果が痛ましくて堪らない。
彼女がただの悪虐非道なら、どんなに楽だったか。
「ごめんね、クリアちゃん。でも、クリアちゃんが私に与えてくれているものは、あなたが思っているものとは違うんだよ」
「どういう、こと…………?」
「クリアちゃん。人を想うっていうのは一方通行じゃダメなんだよ。だって一人じゃないんだから、繋がりなんだから、相手がどう感じるかを考えなきゃ、気持ちはちゃんと伝わらないんだ」
クリアちゃんの気持ち自体は本当に純粋なもの。
でも彼女は、その向け方を決定的に間違えている。
「だからね、クリアちゃんの想いが、私にはそうとは受け取れない。それをクリアちゃんがわかってくれないと、私たちはいつまで経っても平行線のままだよ」
「そんな…………」
クリアちゃんは今にも膝を折りそうな勢いで、だらりと脱力した。
表情を窺うことはできないけれど、愕然としているのがよくわかった。
「そんな……そんな、こと…………」
頭を抱え、クリアちゃんはふるふると頭を振った。
絶望が見えるその声に胸が苦しくなったけれど、でも伝えないわけにはいかない。
彼女を傷つけることを躊躇ったら、より多くの人たちが苦しむことになる。
クリアちゃんにはわかってもらわなきゃいかない。
自分が、何をしたのかを。しかし────
「そんなこと、わからないわよ!!!」
私の言葉を跳ね除けて、クリアちゃんは感情と共に炎を弾けさせた。