98 混沌を食い止める力
私が発動した魔法は、ジャバウォック顕現の儀式を発動直前で押し留めている。
広間全体に広がったアイリスの花の紋様が、その輝きを持ってミス・フラワーを牽制して、彼女から発せられる醜悪な魔力を抑え込んでいる。
華やかな見た目とは裏腹にこの魔法は力強く、儀式の魔法を制限する拘束力を持っていた。
これは、ドルミーレの城を発つ前に夜子さんとお母さんから託された魔法だ。
二人は元々、ジャバウォックを防ぐための魔法を講じていたようだけれど、でも二人の力を持ってしても、それは万全な対策にはなり得なかったらしい。
けれどその魔法を、ドルミーレの力と『真理の剣』を持つ私が起点となって発動することで、一時的にでも押さえ込むだけの力を発揮できるだろうと言うことだった。
二人の予想は見事に的中し、今まさに、ジャバウォックの顕現を防ぐことに成功した。
けれどやっぱりそれは、飽くまでも一時的なもの、時間稼ぎのようなものであるこということは、実際に魔法を発動している私にはよくわかる。
ジャバウォックを呼び起こす魔法と、そのために用意された諸々の要素はあまりにも強力で、儀式が成立したそれを、ただ力で押さえつけることは難しいように思える。
事前に儀式を封殺する方法があればそれがベストだったんだけれど、そこまで都合の良いものはなかった。
もしそうするのであれば、触媒であるミス・フラワーを排除したり、クリアちゃんの魔力の供給源を絶ったりしないといけないし、それはあまり現実的ではない。
結果として、この対抗策は飽くまで彼女が儀式発動に踏み切った段階でしか使えないものだった。
けれど、一時的とはいえ防げることができるのならば、後はその間に止めればいいだけだ。
まだジャバウォックは呼び寄せられていない。
今のうちに止められさえすれば、混沌は姿を現さないんだ。
「アリスちゃん! どうして邪魔をするの!? 私は、あなたを救おうとしているだけなのよ!」
「邪魔するに決まっているよ、クリアちゃん! 私は、自分だけ救われたいだなんて思ってない。多くのものを犠牲にして、世界を道連れにして生きたいとは思わない。私は、大切な人たちが暮らす世界を、守りたいんだから……!」
苛立ちを全面に押し出して吠えるクリアちゃんに、私は決然と答えた。
納得がいかないというふうに首を振るクリアちゃんは、大きく舌打ちを打つ。
「クリアちゃん、あなたは私の友達だけれど、でもあまりにも間違えすぎてる。だから私は、友達としてあなたを止めるよ!」
「よく言ったアリスちゃん。そしてよくやった」
突然背後から声が飛んできたと思うと、広間の入り口から夜子さんとお母さんが姿を現した。
らしくないパリッとした声を上げた夜子さんは、私が発動した魔法を満足そうに見やってから、私に向けてにこりと微笑んだ。
「目論み通り効果が発揮できていてよかったよ。最後の追い上げで術式を補強しておいてよかった」
「今、世界中に張り巡らせておいた反ジャバウォックの術が、この魔法をバックアップしているわ。世界が混沌を拒絶している限りは、ジャバウォックを顕現させることはできないわ」
少し気まずそうにしながらも、お母さんはちゃんと私のことを見てそう言ってくれた。
思うところはありつつも、でもその揺るぎない立ち振る舞いが頼もしくて、私はありがとうと頷いた。
「あなたたち、ここまで追ってきたのね……しつこい人たち」
「私たちとしては、別に君個人に興味はないんだけどね。ジャバウォックを持ち出そうとしているのなら、地の果てまでも追うよ」
夜子さんとお母さんの登場に、面倒そうに唸るクリアちゃん。
少し焦ったようなその様子に、夜子さんはわざと余裕ぶった口振りで答えた。
「ミス・フラワーをこんなことに使うなんて……確かに彼女はドルミーレと深い繋がりがあるようではあったけれど、なんて酷な……」
「酷なものですか。ミス・フラワーこそ、この世で一番ジャバウォックに近い存在のよ。彼女の意思は別として、彼女という存在は今、ジャバウォックを望んでいた。だから強力な触媒足り得たのよ。そういう意味では、これこそが自然の行為だわ」
「どんな理由を並べ立てようとも、ジャバウォックという存在自体が容認し難いことには変わらないわ。それにミス・フラワーの心を踏みにじったあなたは、やっぱり度し難いわね」
クリアちゃんの背後で静かに煌めくミス・フラワーを、お母さんは不憫そうに見つめる。
彼女から溢れ出る禍々しい気配を受けながらも、その奥にある彼女自身を見つめるように。
そんなお母さんの言葉に頷きながら、夜子さんが私に向けて口を開いた。
「アリスちゃん、合流できたことだし、ここからは共同戦線と行こうか。まぁ厳密にいえば、役割分担をしよう」
「役割分担?」
「うん。君たちは引き続き、クリアちゃんを打倒することに専念して、私たちはミス・フラワーに対処するよ。彼女を、ジャバウォックの術式から引き剥がす」
「なるほど、わかりました」
クリアちゃんを止めることももちろん大切だけれど、ジャバウォックを呼び寄せるに足る要素を除ければ、クリアちゃんの目論見そのものを潰えさせることができる。
私のこの魔法だっていつまでも持つわけじゃないから、根本的な阻害は重要だ。
「そんなこと、させるわけないでしょう……! 私は、ジャバウォックでアリスちゃんを助ける! アリスちゃんの隣に立つのは、あなたたちじゃなくて私なのよ!」
「二人の邪魔はさせないよ、クリアちゃん。あなたは、私が放さない」
突き立てた『真理の剣』を引き抜き、クリアちゃんに向けて構える。
鋒と共に視線を真っ直ぐ向け、その姿を射抜くように見つめると、クリアちゃんは僅かに怯んで体を固くした。
飽くまで私を助けようとしているクリアちゃんは、私を置いてお母さんたちに対応するなんてことはできないはずだ。
私がクリアちゃんと相対し続けていれば、彼女は行動は大きく制限できる。
「クリアちゃん、こんなこと終わりにしようよ。私、あなたから絶対に目を背けたりなんかしないから……!」
どんなに考え方が違っても、どんなに理解することが難しくても、でも友達だから。
クリアちゃんの気持ちに真正面からぶつかって、わかり合いたい。
それがきっと、彼女を止める糸口になるって、私はそう信じているから。