94 想いを背負って立つ
大怪我を負ったネネさんを治癒して、でもとてもじゃないけれどすぐに動き回れるほどにまでは回復させることはできなかった。
それでもなんとか一息をつけるまで傷を治すことはできたから、ネネさん本人も少しずつ自分で回復をできるようになった。
けれどそれでも戦いに復帰できるほどではもちろんなかったから、ネネさんには安全なところに避難しておいてもらおうとした。
でもネネさんは、這いつくばってでもシオンさんのところに行きたいと言うから、アリアが肩を貸して、一緒に玉座の間を目指すことにした。
崩壊した廊下部分を離れ、真っ直ぐ玉座の間へと向かう。
閉ざされた扉の向こう側では、とても大きな魔力の炸裂が起きていることが感じられて、シオンさんがクリアちゃんと戦っているであろうことが窺えた。
私の見立て通り、クリアちゃんは今この奥にいる。この空間全体から感じられる気持ちの悪い嫌悪感と、そしてクリアちゃんと対面することの緊張感が、私の胸をギュッと締め付けた。
不安で足が竦んで、恐怖で口の中が乾き、呼吸は自然と荒くなる。
ジャバウォックを呼び寄せて、この国を世界ごと破壊してしまおうとしているクリアちゃん。
そして何より、私の中で眠るドルミーレを打ち倒さんとしている。
だから夜子さんが言っていた通り、私が彼女に対面すれば、その時点でクリアちゃんはジャバウォックを呼び起こしてしまう。
でも、そんなことは絶対にあってはいけないことだから。
今必死で戦っているシオンさんを守ることも含めて、私が一番にやらなきゃいけないことは、クリアちゃんの蛮行を止めることだ。
決して彼女の思う通りにさせちゃいけない。もう何も、奪わせちゃいけないんだ。
そして、彼女に囚われているであろう氷室さんを取り戻す。
疎ましいであろう氷室さんをまだ生かしているのは、きっと私をちゃんとここにおびき寄せるための人質だからだ。
私が訪れた時点で用済みだと殺されてしまったら堪らないし、真っ先に優先することは氷室さんの安全だ。
この先に起きるであろうことを想像すると、とてつもなく怖い。
クリアちゃんがしようとしていること、彼女に脅かされているたくさんのこともそうだかけれど。
でもやっぱり彼女は私にとって友達だから。その友達とぶつかり合わなきゃいけないことは、とても怖い。
けれどもう、覚悟は決めたから。
必要なことだと、ちゃんとわかっているから。
私がしなければならないと、理解しているから。
それに、私は一人なんかじゃないから。
「…………」
激しい魔力のぶつかり合いと、それに伴う轟音が響く扉の向こう。
その目の前までやって来て、私はレオとアリア、それからネネさんと顔を見合わせた。
「行こう。クリアちゃんを、止めるんだ」
みんなで息を合わせて、示し合わせて。
私はみんなと、そして何より自分に言い聞かせるように覚悟を声に出して。
そして、玉座の間の大きな扉を、魔法のアシストを使って勢いよく押し開いた。
「────!」
そうして玉座の間に押し入って、真っ先に目に入ったのは、壇上にある玉座の前に立つクリアちゃんと。
彼女によって首を掴まれ、宙吊りにされているシオンさんの姿だった。
クリアちゃんはさっき見た時と同じように炎の燃え盛る姿をしていて、だから当然シオンさんは炎に掴まれていて。
魔法を使って抵抗しているのか、その体に火が移っている様子はなかったけれど、シオンさんはぐったりとうな垂れていた。
こちらに背が向いているせいで顔が見えないけれど、意識がちゃんとあるのか疑わしい。
「クリアちゃん!!!」
「あらアリスちゃん、いらっしゃい」
咄嗟に私が声を上ると、クリアちゃんはこちらに気がついて華やいだ声をあげた。
今自分がしていることをまるで気に留めていない様子で、とても気軽で陽気な声色。
炎の姿の口元が、にこやかに笑みを作った。
「待ってたわ、アリスちゃん。私に会いに来てくれて、とっても嬉しい……!」
「クリアちゃん……シオンさんを放して!」
「……? あぁ……」
いろいろ言いたいことは沢山あるけれど、まずは目の前の状況があまりにも酷すぎた。
私が呼びかけると、クリアちゃんは忘れていたように惚けた声をあげてから、シオンさんをこちらの方にポイと放り投げた。
床に投げ捨てられたシオンさんは、転がりざまに鈍い呻き声をあげて、ほんの僅かに身を捩った。
辛うじて意識はまだあるようだけれど、とても無事な様子とは言えなかった。
「ね、姉様っ……!」
ネネさんが、アリアの手をするりと抜けて、おぼつかない足取りでシオンさんに駆け寄った。
自分自身も今にも倒れてしまいそうなのに、ネネさんは転がるお姉さんに倒れ込むようにすり寄って、その体を抱き起こした。
「姉様、姉様……! しっかりして……!」
「…………ネネ。ごめん、なさい。私、アイツを…………」
「いいよ、もういいから。姉様までいなくなっちゃったら、私……! アリス様が助けに来てくれたから……だからもう、いいんだよ」
ボロボロになった体で弱々しく言葉を紡ぐシオンさんに、ネネさんは泣きながら縋り付いた。
さっきのネネさんよりも怪我がひどいシオンさんは、いつ事切れてもおかしくないくらいに生気が薄かった。
私たちも慌てて彼女に駆け寄って、慌てて治癒の魔法をかけた。
「申し訳、ありません、アリス様……私たち────私は……」
「いいんです、シオンさん。ネネさんから話は聞きましたから。あとは、私に任せてください」
謝罪の言葉を並べようとして、でもうまく喋ることができなくて。
それでも私に対して必死に謝ろうとするシオンさんに、私はその手を強く握った。
「謝ることなんてありません。だから安心してください。私がお二人の分まで、ちゃんと決着をつけますから」
「────はい。ありがとう……こんな私たちのために、そのお心を傾けてくださって。お願いします、どうか……」
涙を滲ませながらも安堵の表情を浮かべて、シオンさんはコトンと意識を失った。
堪えきれないたくさんの感情を、ぶつけようとしてぶつけきれなくて、ままならなくて。
そんな彼女たちの心を、私が進むことで救えるのならば、いくらでも背負おう。
私には、シオンさんとネネさんの、仇を討ちたいという願いそのものを叶えてあげることはできないから。
せめてその無念を胸に抱いて、少しでも彼女たちの気持ちが晴れやかになれればと、ただそう願う。
だから、全てを私に託してくれたシオンさんの表情が、とても嬉しかった。
「……クリアちゃん」
「アリスちゃん」
立ち上がり玉座の方を見ると、クリアちゃんは楽しそうに私を見つめていた。
それ以外のことなんてどうでもいいというように、周りのことなんて何も気にしていない。
私はそんな彼女を見て、心がギュッと痛んだ。
意識を失ったシオンさんと、未だダメージが重いネネさんを、レオが広間の端まで避難させた。
少しは回復している今のネネさんなら、少しずつでも自分とシオンさんの治癒ができると思う。
それを目の端で見守りながら、私はクリアちゃんに言葉を向けた。
「クリアちゃん、私、あなたを止めにきたよ」
「ええ、待ってた」
私の気持ちは、きっと届いていない。
クリアちゃんは、にこやかに笑いながら頷いた。




