93 気持ちは否定できない
痛みに堪えながらもこぼれ出た懇願。
ネネさん苦痛に歪んだ表情の中で、切実な瞳を私に向けてきた。
「シオンさん? 何があったんですか!?」
伸ばされた手を握り、私は尋ねながら治癒の魔法をかけた。
大怪我だけれど、でもギリギリ致命傷にはなっていないようだ。
すぐに完治はさせられそうにないけれど、少しでも負担が軽くなるよう、私は治癒に力を入れた。
「……ごめんね、アリス様。私たち、アリス様との約束破って、クリアに戦いを挑んじゃって……」
「え!? じゃあこの傷はクリアちゃんに……」
「うん。手強いのはわかってたけど、コテンパンにやられちゃった……」
レオとアリアも治癒に手を貸してくれて、少しずつネネさんの怪我は癒えていく。
それで少し楽になったのか、ネネさんの顔からは苦痛の色が和らいだ。
けれどそこには悔恨が刻まれていて、声色は弱々しい。
「ごめん、ごめんなさい。アリス様と約束したのに、ちゃんと信じてたのに。でも我慢ならなくて、ロード・ケインの口車に乗っちゃった……。アリス様が今国中から敵視されてるのは、私たちがアイツを止めなかったからなんだ」
「そんな……」
ごめんねと、そう何度も繰り返すネネさんは、ポロポロと涙をこぼす。
ロード・ケインが城を乗っ取ったと聞いた時、彼を追っていた二人はどうしたんだろうと心配していたけれど。
こういった現状になったのは、そういうわけだったんだ。
「言い訳だけど、ロード・ケインの味方をしたわけじゃなくて……。ただ、邪魔をしなければクリアに会う手筈を整えるって、そう言われて。ダメだってわかってたのに、私たちは……」
「そういう、ことだったんですね」
ネネさんの言葉から溢れんばかりの後悔が感じられて、とても責める気にはなれなかった。
腕の中で弱々しく丸まるこの人を、咎めることなんて私にはできない。
シオンさんとネネさんが、クリアちゃんに対して並々ならない感情を持っていることは、わかりきっていたことなんだから。
それを必死に堪えてくれていたけれど、でもそれは、何かのきっかけではち切れてしまっても仕方のないもの。
約束が守られなかったことはショックではあるけれど、でも私はそれを、怒ることなんてできない。
「それでも、自分たちの恨みだけじゃなくて、みんなのために戦おうって気持ちも、もちろんあったけど……でもきっとそれは言い訳で。結局私たちは、自分たちの恨みを晴らしたかっただけなんだ。なのに……なのに、そんな力も私にはなくて……」
いつも仏頂面で、どこか不満げな顔ばかり見せていたネネさん。
そんな彼女が、憚ることなく涙を流し、力の入らないだろう体を震わせている。
ダメだとわかっていても、それでもどうしようもなかった感情がそこにはあったのだと、痛いほど伝わってきた。
「でも、姉様は悪くないんだよ。姉様は、私のためにこんな無茶をしたんだ。姉様は私なんかとは違って、大人で、真面目で……アリス様のこともライト様のことも、ちゃんと信じてた。だから、自分だけなら我慢できてたはずなのに、私がいるから、姉様は……!」
まだダメージが深いであろう身体を無理矢理動かして、ネネさんは上体を持ち上げようとする。
私はその体を支える腕に力を入れて、迎えるように顔を近づけた。
「だから、お願い……アリス様。姉様を助けて。裏切り者の私たちに、こんなこと言えた義理じゃないって、わかってるけどさ……。でも姉様は、私にとってもう、たった一人の家族なんだよぉ……!」
「ネネさん……」
パツンと切り揃えた黒髪を乱雑に振り乱し、ネネさんは私に縋り付くように訴えた。
今は自分だって危ない状態だっていうのに、そんなこと気にもせず、ただお姉さんのことを思って叫ぶ。
「私のことなんて、放っておいてもいいから。罰を受けるのは、全部私でいいから。姉様は…… 姉様だけは……お願い……」
「もう、わかりましたよ、ネネさん」
体に無理をさせて、咳き込みながらも訴えをやめないネネさん。
私はそんな彼女をそっと横たえさせながら、優しく声を掛けた。
「話はわかりましたし、ネネさんの気持ちもよくわかりました。安心してください。私別に、怒ってなんていませんから」
「でも、私たちは……」
「そもそも、私もみんなにわがまま沢山聞いてもらってますし、人のことは言えないんです。それに、お二人の気持ちはよくわかってますから、それを否定することなんて私にはできません」
まだポロポロと涙を流すネネさんに、私はそっと笑いかけた。
安心してもらおうと思ったけれど、却って戸惑いを与えてしまったみたいだった。
でもこれは本心だしと、私は言葉を続ける。
「確かにロード・ケインが好き勝手にやって、結構困っちゃいましたけど。でもそれも、この事態を解決されられれば何とでもなりますから。だから気にしないでください。お二人のやったことは、別に何も間違ってなんかいないんですから」
「私たちはただ、自分勝手だっただけなのに……そんなこと……」
「誰も、自分の心に嘘なんてつけませんよ。私もいつだって、この心が感じることを信じて進んでる。だから私は、心のままに動いた人を、否定はしたくないんです」
もちろん、困ってしまうことは困ってしまうけれど。
でもそれは結果であって、そこまでの気持ちは否定していいものじゃない。
敵対する人ならば、その結果を巡って競り合えばいいし、味方ならば手を取り合っていけばいい。
私がそう言うと、ネネさんはぎゅっと唇を結んだ。
既にボロボロとこぼしている涙を更に溢れさせて、でも泣き喚いたりしないよう堪えているみたいで。
それは大人としての、せめてもの意地なのかもしれない。
「ありがとうアリス様。ごめんね、こんな私たちで……」
「家族が大切なのは当たり前のことですよ。そんな家族を奪われたら許せないのが当たり前で、守りたいと思うのも当たり前。なんにも、謝ることなんてないんですよ」
強く手を握ってそう声を掛けると、ネネさんはもう一度ありがとうと呟いた。
今の私にとって、家族というものはとてもふわふわしているけれど。
でも大切な人を想う気持ちは痛いほどわかるし、それを失う苦しみが何より辛いことを知っている。
両親を無惨に殺されただけでも、二人にとっては耐え難い苦痛だったはずなんだ。
それを今日まで必死に堪えて、正しくあろうとしてきたことの方が、偉すぎるくらいで。
今また、元凶であるクリアちゃんに大切なものを奪われるなんて、そんなことはあっちゃいけない。
「クリアちゃんは、私が必ず止めます。彼女に苦しめられてきた沢山の人たちのために、私が必ず倒しますから」
だって、全て私の責任なんだから。
私が力強くそう言うと、ネネさんは小さく頷いて、一際大きな涙をこぼした。