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85 不憫

「ホーリー!」


 雪崩のように舞う花吹雪の向こう側で、夜子さんが唸るように声を上げた。

 彼女と私の間に立ちはだかるお母さんに向けて、苛立ちに歯を向いている。

 けれど、当のお母さんはとても静かな様子で佇んでいる。


「もうやめましょうイヴ。これ以上は無意味だわ」

「どういうつもりだい。ホーリー。まさか、()()()()()()()()?」

「いいえ。そうじゃない。そうじゃなけれど……」


 広間を満たす花びらは、揺めきながら霞のように消えていく。

 鮮やかな景色がキラキラと消えていく中、お母さんは小さく首を横に振った。


「これ以上アリスちゃんを追い込むことは、逆効果だと思うの。このままこの子と揉めていても、ドルミーレは救えないわ」

「……言いたいことはわかるけれど。でも、彼女を直接危険に飛び込ませることを考えれば、仕方のないことじゃないかい?」

「ええ。でも、私はもうこんなの嫌よ」


 お母さんはチラリと背後を窺って、私に目を向けた。

 その弱々しげな瞳からは、少なくとも私に対する敵意は感じられない。


「確かに、ドルミーレをジャバウォックの脅威から最大限遠ざけることは大切だけれど。ここまで強い意思を見せるアリスちゃんを押さえ込むことは、きっと結果的に良くないことだわ」

「それはアリスちゃんが言う、ドルミーレにはジャバウォックを打倒する意思があるっていうのを、信じるって言うことかい?」

「うーん。そこのところは私もよくわからないけれど。でも、アリスちゃんという存在に、彼女の意思が少なからず介在していることは事実だし。アリスちゃんの意思を無視することは、最終的にドルミーレの目覚めに良い影響を与えないような気がして……」

「…………」


 夜子さんとお母さんは、二人向かい合って難しい顔で唸る。

 よくわからないけれど、とりあえずお母さんは私を助けてくれたみたいだ。

 二人の意思や目的は同じみたいだけれど、考え方には若干違いがあるように見える。


 目の前の危機が回避されたことにひとまず安堵して、私はすぐに周囲を見渡した。

 夜子さんによって吹き飛ばさらたレオとアリアは、けれどあまり大きなダメージを負ってはいないみたいで、体勢を立て直してすぐに私の元まで駆け戻ってくれた。

 三人で顔を見合わせながら、一体何事かと状況を窺う。


「アリスちゃんがここまでの力を発揮して、そして揺るがない強い意思を見せている今、それを強引に押し込めて心を翳らせることは、ドルミーレにも悪影響を及ぼすかもしれないわ。それは、私たちの望むところではないでしょう?」

「確かにそれは、そうだけれど。でもじゃあ君は、アリスちゃんがあれに直面してしまっても良いって言うのかい?」

「もちろん私だって、それは極力避けたいけれど。でもこのままアリスちゃんを追い詰める方が、私は危険だと思うわ。場合によっては、私たちもドルミーレに敵視されてしまうかもしれない」


 ハッと、夜子さんが息を飲んだ。

 ドルミーレの親友という二人が、実際に彼女とどういう関係を持っているのかはわからないけれど。

 でも私が知るドルミーレの性格や考え方を思えば、自分に仇をなし、そして私を脅かす存在を許すとは思えない。

 今のところは特に彼女の感情を感じはしないけれど、このままもつれれば何らかの反応をしてくる可能性もあるのは確かだ。


 夜子さんとお母さんにとって、それは何よりも避けたいことなんだろう。

 ジャバウォックという脅威に対するものとはまた別な、悲壮的な緊張感が二人の間で走った。


「確かに怖いし、心配だし、不安だけれど。でも今は、アリスちゃんを信じることが最善じゃないかって、私はそう思ったのよ。この子の言う通り、私たちがサポートしてことに向かえば、最悪の事態を回避できるかもしれない。そうなれば、私たちの危惧は解消されるわけだしね」

「………………」


 お母さんはゆっくりと夜子さんへと歩み寄り、慎重に声をかけた。

 対する夜子さんは眉間に深いシワを刻みながら、ガシガシと頭を掻いて唸っている。

 そんな彼女の眼前まで進んだお母さんは、その手をそっと取った。


「私たちが守ってきたあの子を、信じてみましょう。このまま何もかも蔑ろにするのは、不憫でならないわ」

「ホーリー、それは……」

「あの子にも心があって、誰にも負けないほどの意思があるんだもの。今は……いいえ、今こそ尊重してあげるべきなんだわ」

「…………そうかも、しれないね」


 眉根を下ろして口をパクパクとさせた夜子さん。

 けれどお母さんの言葉に、しゅんと意気を消沈させて小さく頷いた。

 そうしてお母さん越しに向けられた彼女の視線は、どこか寂しげなものだった。


「…………そうだね。このままじゃ、可哀想か」


 少しの間二人で見つめ合ってから、夜子さんはそうポツリと呟くと、転臨の力を解いた。

 猫の耳や尻尾はするりと引っ込んで、漆黒の髪色は本来の焦茶に戻る。

 邪悪な気配は鳴りを潜め、夜子さんの普段通りの柔らかな雰囲気が戻った。


 さっきまでの気迫の一切を引っ込めて、途端に穏やか空気になる夜子さんと、そしてお母さん。

 突然の状況の変化に戸惑っていると、夜子さんが私に向かって口を開いた。


「手荒なことをしてしまってごめんね、アリスちゃん。君の意見を飲むよ。私たちは君を妨げない」

「えっと、それで良いんですか? でも、どうして……」

「うーん、なんて説明して良いのかわからないけど……まぁそうだな。ホーリーにとって君は大切な娘で、私にとっても似たような存在だから、かな」


 少し気まずそうにはに噛みながら、夜子さんは歯切れの悪い言い方をした。

 今までも、二人は一応私のことも大切に想ってくれていると言いながら、でも今は私の意思を尊重している場合じゃないと、そういう話だったのに。

 ただ二人の中で、私の意思を優先することに天秤が傾いたのは確かなようだ。


 それがどういう思惑によるもので、どういった心境の変化があったのかは、私にはよく読み取れなかったけれど。

 でも今は、二人と無用な争いをしなくて良くなったことを喜んだ方がいいかもしれない。


 戸惑いつつも取り敢えずホッとしていると、あ母さんが私に向けてゆっくりと振り返った。


「一応言っておくけれど、私たちがあなたの味方になってあげられるわけじゃないわ。私たちは飽くまでドルミーレの親友で、彼女の味方だから。でも今この場に於いては、アリスちゃんの言う通り力を合わせた方がいいと思ったから。だから……」

「うん、わかってるよ。私だって、二人のことに関して飲み込めてるわけじゃないし、許せてもいないから」


 言葉を選びながらゆっくりと話すお母さんに、私は頷いた。

 私たちは和解したわけでも、わかり合えたわけでもない。


 今はこうして踏ん張っている私だけれど、でも未だに二人の正体と真実に動揺しっぱなしだし。

 この整理しきれていない感情をどうやって向けたらいいか、まだわからない。

 私のことを想ってくれているとはいえ、それでもドルミーレを守ることを最優先にしている二人だって、その事実を知った私とこれまで通りにはいられないだろうし。

 そもそもドルミーレの目覚めを望むということは、あらゆるものを敵に回すような行為なんだから。


 でも今は、今だけは、その確執に拘っている場合じゃないから。


「私たちのケリは、この問題が片付いてからにしよう。だからそれまでは、ジャバウォックの阻止までは、力を貸し合おう」


 事実から目を背けることはできないし、感情に蓋をすることなんてもうできない。

 それでも今守らなきゃいけないもの、防がなきゃいけないものがあるから、グッと堪えて。

 声が震えるのはちょっぴり抑えられなかったけれど、でも堂々と私は口にした。


 そんな私にお母さんと夜子さんは、とても寂しそうな顔で頷いた。

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