82 私が守りたい
「そんなの、いやだ!」
世界を漆黒に染めんと広がる、夜子さんの影。
それがこの広間全体を、そして私たちを覆い尽くそうする。
私はそれに対し、明確な拒絶ともに魔法を掌握し、全てを打ち消した。
瞬間的に閉ざされた光はすぐに舞い戻り、何事もなかったかのような光景が続く。
夜子さんは不機嫌そうに目を細めた。
「あなたたちの言うことを、私は聞くことなんてできません。ただ指を咥えて見ていることなんて……!」
色んな人たちの思惑に翻弄されるのはもう嫌だ。
私は私の意思で、自分が守りたいものの為に最善を尽くしたい。
私が行くべきではないという意見には、正当性があるとも思えるけれど。
でも、これは私がどうにかしなければならない問題だから。
「クリアちゃんは私の友達で、私のために恐ろしいことをしている。だから、私が止めなきゃいけない。止めてあげなきゃいけないんです!」
「そんな君のわがままを私たちが聞くわけないだろう。そんな危険を、君に冒させるわけがないだろう。アリスちゃん、君の優しさや責任感は長所だけれど、今この場においてはただの甘えだよ。何もわかっちゃいない」
「それなら、夜子さんたちが言っていることだって、わがままじゃないですか!」
歯を剥く夜子さんに、私は真っ向から噛み付いた。
「ドルミーレを守りたいっていうのは、二人のわがままですよね? 私だってジャバウォックは阻止するべきものだとは思っていますけれど、でもドルミーレは私にとっては守るべきものじゃない。彼女を尊重したいというのは、あなたたちだけの意見です」
「もちろんそうだよ。けれど、言っただろう。君を守るためでもあるんだ。君は、ジャバウォックという危険を冒すべきじゃない」
「私はもう、守られるだけじゃありません! 私にも守りたい人がいる。私が守らなきゃいけない人がいるんです!」
「…………」
二人がドルミーレだけではなく、私のことも思ってくれているということ、今更否定はしない。
ドルミーレを抱いているからこそなのか、それとも私個人のことを思ってくれているのか、それはわからないけれど。
私は今までたくさん助けてもらって、守ってもらって、だから今の自分があるのはわかっている。
でも、私が私として今を生きている以上、それに甘んじる生き方なんてしたくはない。
「二人に任せていれば、私は無事かもしれない。でも、それじゃあ私の望みは叶わない。例え論理的じゃないって言われても、わがままだって言われても、私は自分の大切なものを守ることを諦めません!」
「それで、むしろみんなを危険に晒すことになってもかい? クリアちゃんは君と相対した場面でジャバウォックを顕現させるつもりなんだよ。君が行くことこそが、世界を破滅に導くきっかけになってしまうんだ」
「でも、私が行かなきゃクリアちゃんを止めることはできません。彼女を殺したって、何も解決になんかならない。彼女が犯してしまった罪を償わせなきゃ、彼女に傷つけられた人たちの心は救われない。そして、彼女自身も……!」
クリアちゃんを殺してしまえば、ジャバウォック顕現という目の前の脅威は防げるだろうけれど。
彼女の狂気に晒されたたくさんの被害者たちの傷は、癒えないまま終わってしまう。
そしてクリアちゃん自身もまた、どこかで歪んでしまった感情を、もう正すことができなくなってしまう。
それじゃあ、何の意味もないんだ。
夜子さんはガリっと歯軋りをしながら、けれど私の言うことを真っ向から否定しようとはしなかった。
彼女にとってそれは優先すべきことではないだろうけれど、でも私が言っていることの意味はちゃんと理解してくれている。そんな顔だ。
頑ななように見えて、全く話し合う余地がないわけではない。でもやっぱり、私の行動に否定的であることには変わりはない。
「でもそれは理想論だ。全ては救えないんだよ。だから取捨選択が必要なんだ。私は彼女が君の言葉に耳を貸すとは思えないよ」
「それは私もわかっています。もちろん、話してわかってもらえればそれが一番だけど。でも、それが簡単じゃない相手だってことは、私にだってももうわかってるから。だから私だって、彼女と戦う覚悟はあるんです」
「…………君は、彼女が何者かわかっていて、そう言っているのかい?」
途端に夜子さんは、諭すような落ち着いた声を出した。
私を品定めするようにジッと視線を向けてくる様は、敵対心などまるでない。
今までずっと見せていた、ドルミーレを守る意思を全面に出す彼女ではなく、私がよく知る夜子さんの雰囲気だ。
彼女が何者か。その言葉が夜子さんの口から出てくるってことは、あの絵はやっぱり……。
私の見間違いや勘違い、はたまた偶然似ていたってことじゃいってことなのかな。
そういう、ことなんだろう。
「知っている、つもりです。だから尚更。だからこそ、私が行かなきゃいけない……!」
「…………そうか。そこまでわかっている上というのなら、君の覚悟を甘くみちゃいけないね」
息を飲みながらも頷くと、夜子さんはポツリとそう言った。
ボサボサの髪を乱雑に乱しながら頭を掻き、小さく溜息をつく。
「君は、自分が傷付くこと厭わず、友達や多くの人々を守ると、そう言うんだね?」
「そんな立派なものじゃありません。でも、私はもうこれ以上大切な人たちを失いたくない。誰にも、傷付いてほしくないから……!」
「そうだよね。君は、そういう子だもんね」
薄く、夜子さんは笑う。
それはどこか優しげで、まるで我が子に微笑むようで。
「────だからこそ、やっぱり私たちは君を止めなきゃいけないんだ」
静かに強かに、夜子さんの魔力が膨れ上がる。
寂しげにそう言いながらも、容赦なんてかけらも見受けられなかった。