65 許されないものは
クリアは声のトーンを下げ、不機嫌そうに口を曲げた。
炎が揺らめく体をやや強張らせ、今までとは違い警戒心を見せている。
「私と話し合いをするつもりなんてないんでしょう。まぁ、それは私だって同じだけれど。だっていうのに、まるで私に選択肢を与えるような言い方は、性格が悪いんじゃない?」
「君に性格のことでとやかくは言われたくないなぁ、クリアちゃん。一応知った仲だからね、忠告しておこうっていう親切心さ」
余裕を損いつつあるクリアに、イヴニングは薄い笑みで返した。
クリアの悠然とした態度は、自身の優位性を確信していたからこそできた部分がある。
いくら実力のある魔女だとはいえ、『まほうつかいの国』最強の魔法使いをまともに相手はできないだろう。
「けれど、そうね。私たちはあなたと話し合いをするつもりはないわ。だからもちろん、説得だってしない。だってそれは、あなたがそもそも拒絶していることだもの」
形勢が傾き始めたのを見て、ホーリーはイブニングに続いて口を開いた。
「今更、あなたの意思を確かめるつもりはないわ。あなたがジャバウォックを用いようとするのであれば、私たちはそれを全力で阻止する。もう、手段は選ばないわ」
「……それはつまり、私を殺してでも止めるって、そういうこと?」
「その通りよ。極力人の命を奪うことはしたくないけれど、この状況でそんな甘いことは言っていられないもの」
「そう。それはなんていうか……アリスちゃんが悲しむと思うけれど、大丈夫?」
クリアはそう言って、ニンマリと口角を釣り上げた。
先ほどまでの余裕はなくとも、しかし彼女はまだ全く焦ってはいなかった。
ねっとりといやらしく、おちょくるように言葉を転がす。
「だって私はアリスちゃんの友達よ? そんな私を殺したら、きっとあの子は悲しむわ。それがどんな大義名分であったって、きっとアリスちゃんはあなたたちを許さない。それでもいいの?」
「あなたが、他でもないあなたが、あの子を語らないで……!」
カラカラと笑うクリアに、ホーリーは思わず声を荒げた。
しかしイヴニングの制止で我に返り、大きく息を吐く。
「────もちろんよ。だって、それすらも最早考慮している場合じゃないんだから。それに、既に私は……」
「ふーん、あっそう」
歯を食いしばるホーリーに、クリアは興味なさそうに適当な相槌を打つ。
そんな彼女に、イヴニングが食ってかかった。
「他人の心配をする前に、自分の心配をしたらどうだい?」
「あら、どうして?」
「アリスちゃんは、君がしようとしていることを望んじゃいない。君がジャバウォックを使って世界を滅ぼせば、それこそ君を許しはしないだろう。いくら、優しいアリスちゃんでもね」
「ご心配なく。私たちは大丈夫よ。だって、友達だもの」
楽しそうな笑い声を上げて、クリアはその場でくるりと舞うように回った。
その体を形成する炎がはらはらと舞い散って、鮮やかな赤が弾ける。
クリアはまるで子供がはしゃぐように、ウキウキと体を揺すって二人を見た。
「確かに、私はアリスちゃんが思っていることとは違うことをしているけれど。でも、これはアリスちゃんのためだもの。彼女を守るためだもの。私はね、アリスちゃんを助けるって、救うって、ずっと前に約束したんだから。そのためにすることだもの、アリスちゃんだってきっとわかってくれるわ。だって私たちは、とっても大切な友達なんだから……!」
「身勝手な主張だね……」
ただ一つのことしか見えていないクリアに、イヴニングは肩を竦めた。
アリスを救いたいという意思そのものは確かなものだが、そこにあるのはその想いだけで、それ以外のものが全て度外視されている。
他人の気持ち、手段の是非、それが周りに及ぼす影響、そして肝心のアリスの気持ち。その全てが、全く考慮されていない。
ただ一つの目的のみに飲まれているからこそ、クリアランス・デフェリアという少女は、あらゆる凶行を迷いなく行ってこられたのだろう。
「だから、ジャバウォックを使おうというの? あの子にとって、それがどういう存在かわかっていながら。それが本当にあの子のためになるって思っていることが、ひどく間違っているように私は思うわ」
「だからこそじゃない。アリスちゃんを苦しめている全ての事柄の原因、ドルミーレを排除するためにはジャバウォックが最適。なら、他に何を巻き添えにすることになったって、それが一番でしょう? それでアリスちゃんが救われるのであれば、私は何も迷わない」
ケロっとした様子でクリアはそう言うと、二人に背を向けて玉座を見下ろした。
「アリスちゃんの心を苦しめる、古の愚かな魔女。とうの昔に死んでるのに、アリスちゃんの心に住みついて、今も蝕んでる。誰にも望まれない悪しき女の妄念なんかに、私の大切な友達が囚われているなんて……あぁ、可哀想なアリスちゃん。私が、助けてあげないと……」
「ッ…………!」
クリアがそう独言た刹那、イヴニングの足元から一匹の黒猫が飛び出した。
影で作られた黒塗りの猫は、その顎を体よりも大きく開いて、クリアに向けて一直線に駆け抜けた。
瞬間的な突撃だったが、しかしクリアは体の炎を僅かにまくることで猫の軌道を逸らし、攻撃をかわした。
影の猫の牙は玉座の隅を僅かに削って、そのまま奥の影に溶けて消える。
「随分と急ね。危ないわ。何か気に触ることでもあった?」
「その減らず口、すぐに黙らせてあげるよ、クリアちゃん。彼女への侮辱は、私たちへの侮辱だ」
背を向けたままのクリアに、イヴニングは憤りを露わにして吠えた。
普段の呑気な様子はもうなく、冷たく鋭い瞳でクリアの背中を突き刺している。
「大丈夫だよ、クリアちゃん。きっとアリスちゃんは、私たちが君を殺しても怒らない。悲しみはするかもしれないけれど、でも仕方なかったと理解するだろう。あの子は友達想いのいい子だけれど、でもちゃんと、分別がつけられる子だからねぇ」
「なんですって?」
熱が入ったイブニングのあからさまな挑発に、クリアは低い声で唸った。
帽子のつばで見えない顔を向けて振り返り、その隙間から煮えたぎるような視線を投げつける。
「アリスちゃんはきっと、君が討たれるべき悪だともうわかっているだろうって言ってるのさ。アリスちゃんは君のことを、敵だと認識しているだろうね」
「そんなこと……そんなこと、あるわけがないでしょう!!!」
ギンと、広間中にクリアの怒号が響く。
その怒りに比例するように、体の炎が音を上げて膨れ上がった。
「私は、アリスちゃんの友達。私たちは、とっても強い絆で結ばれているんだから! アリスちゃんが、私が彼女のためにしていることを、否定するわけがない。だって私は、アリスちゃんを助けるって、そう約束したんだから!!!!!」
カチリとスイッチが入ったように、急激に怒り狂うクリア。
その炎は瞬時に広間の石畳をなめて燃え広がっていく。
「私たちの友情を侮辱することは、決して許さないわ。あなたたちなんかが、アリスちゃんを語らないで!」
「────悪いけど、それはこっちのセリフなのよ」
怒り任せにクリアが炎を二人に向けて差し向けようとした瞬間、室内の炎が突然パッと消え去った。
クリアの周囲に渦巻いていた炎は彼女自身を残して全て焼失し、その代わりに色とりどりの花びらが宙に舞っている。
まるで、灼熱の炎が柔らかな花びらに置き換わってしまったかのように。
「何にもわかっていないのは、あなたの方よ。自分すらもわかってない、透明人間」
ホーリーがそう言い放った瞬間、辺り一体に舞い満ちた花弁が一斉にクリアに向かって飛びかかった。