61 教えと約束
「随分と安い挑発ですね。それで、私たちがなびくとでも?」
得意げな笑みを浮かべるケインに、シオンは呆れるように肩を竦めて見せた。
含みのあるケインの言葉に、彼女はあまり揺らぎを見せなかった。
「何を言われようとも、私たちはあなたにつくことはありませんよ。その口車に乗るための会話など、以ての外です」
「つれないねぇ。君たちにとって、悪い話じゃないと思うんだけどなぁ」
飽くまで冷静に、毅然とした態度を保つシオンは、長い茶髪をはらりとめくって言い切った。
言葉巧みに相手を翻弄するケインのやり口を、彼女はよく把握している。
その言葉一つひとつに気を取られているようでは、彼とやり合うことは叶わないと心得ている。
そんな姉を見習って、ネネもまたムッと唇を結んでケインを睨んだ。
二人の態度に、ケインはしかし余裕を崩さない。
まるで、その返答が来ることなどわかり切っていたかのように。
「別にさ、僕は味方をしてよって言う気はないんだぜ? ただ、仲良くした方が君たちにとっても都合がいいんじゃないかなぁって、そう思っているだけさ」
「それ、何か意味違う? 結局はそっちにつけってことでしょ」
「全然違うよ。僕は別に、君たちに自分のやることを手伝ってほしいわけじゃないしね。そうだなぁ……ただ、邪魔をして欲しくないだけさ。そんでもって、そうしてくれれば、君たちの大好きなクリアちゃんに近付けるチャンスがあるんじゃないっていう、君たちにとって何も損のない提案をしてるだけさ」
仏頂面を更にしかめ、眉を釣り上げるネネを見ながら、ケインはニコニコと笑みを浮かべた。
目の前の姉妹が全く気を許す素振りを見せない中、それでもケインは一人、まるで気心しれた相手と言葉を交わすように朗らかだ。
警戒心を剥き出しにされていること自体を楽しむように、彼は笑いながら手近な岩に腰をかけた。
「だとしても、です。私たちは確かにクリアに対し、個人的な感情を抱いています。しかしそれを理由に独断で無謀なことはしないと、そう決めているのです。それはアリス様との約束であり、何より我らがライト様の教えでもあるのですから」
甘く見られたものだと、シオンは言葉にやや力を込めて吐き出した。
その柔らかな言葉遣いの中にも、怒りに似た感情の起伏が感じられる。
「なるほどね。でもさ、それって結局言い訳じゃないかい? そうやってもっともらしい理由を並べてさ、仕方ないってことにしてさ、ただ我慢してるだけなんじゃないの?」
「……何が言いたいんです?」
「自分を殺して生きてて何が楽しいんだいって、僕はそう言ってるんだよ」
ケインの言葉は突如として重く二人にのしかかった。
朗らかな笑顔は何一つ変わっていないというのに、彼がまとう空気が異様に重厚に伝わる。
「ま、僕は君たちのプライベートなことはあんまりよく知らないけどさ。でもまぁ察するに、クリアちゃんが家族の仇ってとこだろう。そのくらいは見てればわかるよ。でも君たちはその憎しみを、いろんな言い訳をつけて誤魔化してる。そんなことしてて、何が楽しいの?」
「楽しいとか、楽しくないとか……そういうんじゃない。私たちは、私たちは……もう同じような思いをする人が生まれないような、そんな世界にしたいと思って、だから……!」
「だーから、それも言い訳じゃないか、ネネちゃん」
「……!」
強く拳を握り締めながら反論するネネに、ケインは頭を掻きながら唸った。
「何かのためとか、こうした方がいいとか、そうやって言い訳してるんでしょ? 本当は我慢ならないのに、自分たちが道を踏み外すのが怖いんだ」
「そんなんじゃない……! 私たちは、私と、姉様は……!」
「よしなさい、ネネ」
身を乗り出して声を荒げるネネに、シオンは腕を伸ばして制止した。
感情が揺らいでしまっている妹に対し、彼女の瞳は依然冷静さを保っている。
「そうやって相手を転がすのはあなたの常套句ですね、ロード・ケイン。確かに、私たちは自分たちが感情的になることを、意図して押さえ込んでいます。しかしそれは、私たちがそうすべきだと判断しているからです。私たちを導いてくださる方々の言葉を信じ、そしてそれが最善だと思っているからです。断じて、言い訳なんかではありません」
「さすがはトップクラスの魔女狩り。優秀だねぇ。まぁ君らがそう思っているのなら、僕は別にそれでもいいんだけどね。でもさ、その信じてるものが、はじめから紛い物だとしても同じことが言えるのかい?」
口が減らない男だと、シオンは内心で溜息をついた。
あの手この手で、相手を手籠にする手段をいくらでも思いつき、決して口が止まらない。
彼の発する言葉は一点真理のようで、その実は相手の隙をついているに過ぎない。
そもそも、クリアに組みしようとしている男が、その相手を討てると誘いをかけること事態が、あまりにも矛盾している。
これは飽くまで心を惑わせるための軽口だと、二人はそう思わざるを得なかった。
故にシオンはリアクションをとらずに目を細めた。
「さっき君は、ロード・ホーリーの教えだと言ったね。確かに彼女は、魔女狩りでありながら魔法使いと魔女の争いを好まない。裏では魔女を助けるような活動をしていることも、僕は知っているよ。だからこそ君たち部下は、魔女を卑下するような行動を決してしないんだろう? 例えそれが、怨敵であったとしても」
偉いねぇと、ケインは笑う。
「その心掛けは清らかで大変素晴らしいと、僕は思うよ? まぁ、いち魔法使いとして真似できることではないけれど。魔女を排斥すべしとするこの国の二千年の歴史の中で、魔女と融和すべきだという思想は、異端ではあるが悪いことじゃあない。ただまぁそれは、彼女が潔白であればの話だよ」
「こともあろうに、ライト様を云われなく侮辱するつもりですか? 言葉が過ぎれば、私たちとしても穏やかではいられませんよ」
「まさか。僕はちゃんと彼女のことを尊敬しているよ。いい魔法使いさ、とってもね。ただそれは、彼女自身が見せている一面に過ぎない。君たちは、自分の主の思惑を、ちゃんと知っているのかい?」
脚を組み、その上で頬杖をつくケインは、薄い目で姉妹を見上げた。
優しげに語りかけるその瞳に邪気はなく、軽口だとわかっていても、姉妹は息を飲まずにはいられなかった。
言葉に惑わされてはいけないとわかっていても、耳を背けることができない。
ケインの言葉には、そんな魔力があった。
「まぁ彼女はミステリアスな女性だから、僕だってその素性は知らないけど。でも、そんな僕でもわかることはあるよ。例えば、今の彼女は、クリアちゃんを殺すことを厭わないってこととかさ」
「何を根拠に、そんな……! ライト様はそんなことは……!」
ガリっと歯を食いしばって、シオンは僅かに声を荒げた。
魔女が虐げられることを善しと思わず、弱者に寄り添うホーリーが、クリアの命を厭わないはずがない。
何人たりとも殺めず平和的にことを進めようとするのが、ロード・ホーリーという君主なのだから。
そう信じて疑わないシオンに、ケインは肩を竦めた。
「本人から聞いたのさ。まぁ今は顔を合わせてないから、クリアちゃんを殺すぞ、とは聞いてないけど。でも前に君主で会議をした時にさ、デュークスに言ってたんだよね。『計画を取りやめないのなら、あなたを殺してでも阻止する』って。いやぁ、おっかないねぇ」
「そんなこと……そんなこと、ライト様が仰るはずがない。適当なことを言って、私たちを混乱させようとしても、そうは……」
「じゃあどうして、彼女は姿を消したんだい? 後ろ暗いことがないのなら、部下を連れて正々堂々と対処すればいい。けどそうはせず、単独でこっそりと何かをしている。放蕩者のナイトウォーカーと一緒にね。これは、何だか怪しいと思うけどなぁ〜」
「っ…………」
唇を突き出して、わざとらしく言うケイン。しかしシオンは思わず一歩足を下げてしまった。
決して自らの主を疑っているわけではないが、しかし、確かにホーリーの現状には謎が多い。
元から多くを語らず、部下から見ても謎の多い人ではあったが、それにしてもこの状況での行動には不可解さが窺える。
そこに疑心を持つことはなかった二人だが、ケインの言葉が付け入る隙間にはなっていた。
どうして自分たちには何も言わず、そして頼ることもなく、一人で何かをしようとしているのか。
そしてアリスから聞いた、手段は選ばないと言っていた言葉。
それらを前提に置いた時、ケインの言葉が全くの嘘だと、強く否定することができなかった。
例えそれが、全て彼のはったりであったとしても。
疑うわけではない。見限るわけではない。今でも信じている。
けれど、曇りない忠誠心に、一滴の墨が落ちたのは確かだった。
そんな二人の揺らぎを、ケインは決して見逃さない。
「君たちの大切な主がそうなんだ。目的のためには、教えだって時には目を瞑らなきゃいけない。そう考えればさ、君たちがクリアちゃんに対して恨みを晴らしたところで、誰も文句は言わないよ。となると、獲物を誰かに横取りされちゃ、大変じゃないかい? ねぇ?」
ケインの言葉は優しく、甘い。そこに悪意はなく、ただなめやかに囁くだけ。
若人を慮る懐の広い年長者のように、頼り甲斐のある先達者のように。
揺れる女の心を、そっと転がす。
「ね、姉様……」
ネネが、縋るように姉の手を握った。
シオンはそれを、握り返すことができなかった。
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