60 離反者の甘言
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シオンとネネは、離反したロード・ケインを追跡すべく、その痕跡を追って王都を離れていた。
超一流の空間魔法の使い手であるケインは、結界などによる空間の遮断はもちろんのこと、時空を歪めることによる大規模な瞬間移動が可能だ。
それに加え卓越したその技術は空間に全くの歪みを残さず、その痕跡から行方を探るのは不可能に近い行為だ。
しかし、H1のコードネームを冠するシオンは、音や振動に関する魔法を得意とする、空間魔法に類する魔法の使い手だ。
ケインには及ばずとも、君主の直下で働く彼女の手腕を持ってすれば、限りなくゼロに近い可能性の中から、道筋を見付けられる。
丁寧に修正された空間の、その僅かな違和感を読み取って、シオンとネネはケインの行方を追った。
自身の部下ごとまとめて転移したとなれば、例え君主の魔法とはいえ、そこまで長距離の移動は難しい。
そう推測したシオンの読み通り、彼は何回かに分けて転移を繰り返しているようだった。
常に細心の注意を払っていても、大規模な空間転移が繰り返されていれば、わかる者にはわかる違和感が生じる。
痕跡を追うごとに少しずつはっきりとしてくその違和感に、二人は迷うことなく追跡を行った。
「あっちゃー。流石はワンとツーを貰ってるだけあって、侮れないなぁ。僕結構、慎重に逃げてたんだけどね」
シオンとネネが西部の山岳部に差し当たった頃のこと。
高速飛行で移動をしながら、痕跡を確認するために岩場に着地をした彼女たちの前に、岩陰からロード・ケインが姿を覗かせた。
部下を伴うわけでもなく、突然一人でふらりと現れた彼に、二人は大きく飛び上がった。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。僕のこと、探してたんだろう? かわい子ちゃんたちと追いかけっこするのは悪くないんだけど、今はそれを楽しんでる場合じゃないからさ。こうしてお喋りでもしようかと思って」
「ずいぶん余裕なのですね。私たちなど、一捻りできる自信がおあり、ということでしょうか」
相も変わらずヘラヘラと笑みを浮かべるケインに、シオンはすぐさま強気な態度を見せた。
つい先ほど明確な離反の意思を示し、逃げ回っていた彼が、今はこうして堂々と姿を表している。
何か思惑があることは明白で、そのペースに飲まれていては太刀打ちできないと、気を引き締める。
「あなたの部下は? 物陰に潜ませて、私たちを強襲するおつもりですか?」
「そんな卑怯な真似はしないさ。僕は紳士だからね。可愛い女の子たちには、誠意を持って接する男だよ」
「ならば、観念でもされましたか? 部下は逃して、あなただけ投降するおつもりだとでも?」
「そこまで殊勝ではないかな。それじゃあ大見得を切ってきた意味もないしね。僕の可愛い部下たちは、先に行かせただけだよ。君たちと、ゆっくりお喋りがしたかったからね」
殺伐とした岩場にて、ケインはカラカラと笑みを浮かべる。
その様子はまるで、華やかな社交場で声を掛けているかのようだが、冷たい岩が剥き出しの山岳部では雰囲気もムードもあったものではない。
それでも彼は人の良さそうな笑みを浮かべて、二人の女に穏やかに対面する。
それを受けて、ネネが仏頂面を深めた。
「お喋りなんかしないよ。そもそも私、アンタのことあんまり好きじゃないし。何のつもりか知らないけどさ、このままアンタの好きにさせるわけにはいかないんだよ」
「手厳しいなネネちゃんは。そういうハードルが高い感じは嫌いじゃなけど、僕のメンタルにはグサリと刺さるねぇ。若い子の刺のある言葉は特にさ」
「…………」
ケインの言葉に、ネネは憚ることなく眉を寄せ、不機嫌を表した。
「ちゃん付けで呼ばないでよ、気持ち悪い」と噛みつく寸前だったが、シオンの手が伸びてそれを押さえた。
「どういうおつもりなのかお伺いしたいところですが、生憎今はそんな時間はありません。あなたには、大人しくご同行を願います」
「そんなこと、僕がしないってわかってるくせに。シオンちゃんも案外意地悪だね」
「一応の建前です。ロード・ケイン、私たちは例えどんな理由があろうとも、クリアに組みしようとすることを許せはしません。あなたがどんな思惑を巡らせていようが、それはどうでもいいのです。その手段が、私たちは許せない」
「優しそうな顔して、力尽く上等ってわけか。女性は怖いねぇ」
困った顔をして見せるケインだが、その声色に焦りは微塵もない。
そこに彼の余裕が窺えて、シオンは言葉ほど強気にはなれなかった。
ケインは直接的な戦闘タイプの魔法使いではないが、しかしそれでも超一流の魔法の使い手。
真正面からの戦闘となれば、その大きな実力差でねじ伏せられる可能性は大いにあるからだ。
そしてそんなケインは、主に搦手を得意とする。これはある意味、直接的なぶつかり合いよりも厄介だ。
「余裕ぶっこいてるけどさ、私たちだって弱くないよ? いくらアンタが君主でも、私たち二人がかりで楽勝ってわけにはいかないでしょ?」
「それはそうだね。僕だって、君たちと戦って無傷っていうのは、ちょっと難しいかもしれないなぁ」
シオンの不安を他所に、ネネは静かに威嚇を向ける。
そしてケインは意外にも、控えめな姿勢で頷いた。
「僕は基本的に、荒事は極力避けたい主義なんだ。君たちとだって、もちろん戦いたくない。まぁ、負けないとは思うけどさ」
「やっぱ余裕なんじゃん。ナメてくれちゃってさ」
「ごめんごめん、そういうつもりじゃないんだけどさ。ただまぁ何ていうか、今の場合の僕の余裕は、そういう荒っぽいことじゃないんだよね」
ケインはそう言って、まるで戦う意志がないかのように両手を上げる。
その不自然な態度に、二人は警戒を強めた。
「戦っても負けないとは思うけど、でもやっぱり痛手は負うだろうしさ。そこに関して言えば、僕だって余裕綽々とは言えない。けど、そうだなぁ。僕は君たちと、話しようがあるんじゃないかと思ってるんだよね」
「クリアの片棒を担ごうとしているあなたと、私たちに何の話し合いの余地が? この状況で仲間を裏切る人に、私たちが耳を傾けると思いますか?」
「思うね。この状況だからこそ、君たちだからこそ」
飽くまで理解できないと、わかり合えないと主張するシオンに、ケインはフレンドリーな姿勢を崩さない。
彼がそこまで戦いを避け、対話に持ち込もうとする意図が読めず、二人は訝しまざるを得なかった。
本来であれば、彼はいくらでも逃げ果せることや、力でねじ伏せることができたはずなのだから。
草木がほとんど生えていない、剥き出しの寂しげな岩場。
そんな殺伐とした場所で、ケインは場違いな笑みを二人の姉妹に向け続ける。
その気さくな笑みが、親しみよりも疑心を与える。
「僕はね、君たちをスカウトしたいと思っているんだよ。僕のことを、手伝ってくれないかなって思って」
「何を馬鹿なことを……そんなこと、私たちがするわけがないでしょう」
「そうかな? だって僕についてくれば、クリアちゃんに簡単に近づけるよ?」
「…………!?」
思わず、シオンとネネは息を飲んだ。
ケインはニヤリと口元を釣り上げる。
「さてと。ちょっとはオジサンとお喋りしてくれるつもりになったかな?」




