57 燃え盛る森
「────ど、どういうこと……!?」
『魔女の森』の外に転移した私たちが目にしたのは、天へと登る巨大な木々の群がる森が、盛大に燃え盛っている様子だった。
見渡す限りが火の海だなんてものではなくて、高層ビルのように高い木の天辺まで燃え広がっているものだから、世界そのものが火に包まれているかのようだ。
火炎が立ち込め、灼熱の壁を作りあげて、来るもの全てを阻んでいる。
鬱蒼と生い茂った森が、しかもこんな巨大な木々が、全て丸ごと燃えることなんて尋常な事態じゃない。
けれどそれは実際に目の前で起こっていて、赤い炎はどんどんと森を蝕んでいた。
レオとアリアが一緒だから、魔法使いを阻む結界の只中に一気に飛び込んで行けないだろうと思って、一旦森の目の前に来たけれど。
転移先を森の中になんてしていたら、私たちはこの未曾有の火災に巻き込まれてしまっていたかもしれない。
「違う、そうじゃない! 中にはみんなが……!」
一瞬安心しかけたけれど、問題はそこじゃない。
この『魔女の森』にはワルプルギスのアジトである神殿があって、そこには沢山の魔女がいるんだ。
レイくんや、もしかしたら氷室さんだっているのかもしれない。
みんなは、みんなは……!?
「馬鹿、落ち着けアリス! 無作為に飛び込むなって!」
ハッとした頭ですぐさま森の中に駆け込もうとした私を、レオが羽交い締めにした。
大きな体にがっちりと固定されて、その力の差に私はなす術もなく捕らえられてしまった。
「は、放してよレオ! 中には、魔女のみんなが……!」
「わかってるけど、落ち着いてアリス。ただ飛び込んでも、あなたまで危ない目に合うだけだから」
なんとか逃れようとする私を、レオは決して放してくれない。
暴れる私に、アリアが落ち着いた様子で言った。
「それにアリス、あなたならこんな火事でもなんとかできるんじゃない? 飛び込みたい気持ちはわかるけど、そっちの方がよっぽどみんなを助けられると思うよ」
「あ、う……そ、そうだよね。ごめん、びっくりしちゃって……」
優しくそう諭されて、私はようやく冷静な思考ができるようになってきた。
あまりにも予想外で、しかも衝撃的な出来事を前に、パニックになっちゃっていた。
私がただ飛び込んだところで、それだけじゃできることはたかがしれいている。
落ち着いた私を見て、レオはすぐに腕を放してくれた。
私の力なら、この巨大な森の火災を消し去ることができるはずだ。
魔法を使って森全体の様子を窺ってみると、やっぱり森の木々全てが火に包まれているようだった。
私はその全てを把握すると、森を蹂躙している炎全てを魔法でコントロール下に置いて、すぐ様その熱を消却した。
「相変わらず、めちゃくちゃな力だな……」
一瞬で鎮火して、焦げ臭い匂いと煙を漂わせる木々を見て、レオがポツリとこぼした。
森はさっきまで全てが炎上していたのが嘘かのように、今は全く火の気を感じさせなくなっている。
けれど木々の多くが燻ったり、モクモクと白い煙を吹き出している痛ましい様を見れば、今しがたまでのことが嘘でなかったのだとわかった。
「まだ危ないかもしれないけど、中に入ってみよう。誰か、いるかもしれないし」
まるで朽ちた森のようにスカスカとしてしまった様子を見ながら私が言うと、二人とも無言で頷いた。
人間とは比べ物にならないくらい、まさしく巨人の世界のもののように大きなこの木々が、森全体で燃え上がっているだなんて普通では考えられることじゃない。
奥底で居を構えるワルプルギスの人たちが、レイくんたちが心配でならなかった。
「魔力の痕跡がある。今の火事は、誰かの魔法でなったんだ」
焦げ付いた木々の中を歩きながら、アリアがそう呟いた。
地面に盛り上がっている木の根っこもだいぶ脆くなっていて、全体的に足場がとても悪い。
時々、転びそうになるところにレオが手を貸してくれた。
「それにこの感じ……もしかして、森に火を放ったのは……」
「……うん。きっと、クリアちゃんだ」
言い渋ったアリアに、私が答えを続けた。
森の中に残る魔力の残滓は、クリアちゃんから感じる魔力に似ているように思えた。
ついさっき対面して、その魔法の様を見せつけられたから、きっと感覚に間違いはない。
この森の中にクリアちゃんがいるのだろうかと、三人の中で一瞬緊張が走った。
けれど、私が火の手を消した時点で大きな魔力の気配はなくなってしまったし、彼女がここで現在進行形で暴れているとは考えにくい。
なんの目的でここにやって来て、どうしてこんな酷いことをしたのかはわからないけれど。
まずは、ここにいるであろうワルプルギスのみんなの安否が最優先だと、私は先を急いだ。
変わり果てた森の中だけれど、体が覚えている道のりを突き進んで、最短距離で奥地へと向かう。
ようやく深部の広場に辿り着くと、そこには激しく瓦解した神殿の残骸が広がっていた。
爆撃でも受けたみたいに、石造りの神殿は跡形もなく崩れ去っていて、広場の地面は所々が抉れたり、亀裂が入っている。
広場周辺の木々も多くが薙ぎ倒されていて、炎による被害よりも、人為的な破壊の被害が大きいように見えた。
そんな荒れ果てた広場では、多くの魔女たちが慌ただしく駆け回っていた。
倒れ込んだり蹲っている人、怪我をしている人が沢山いる中で、動ける人たちが必死に手を差し伸べていた。
その悲壮的な光景は、未曾有の災害に巻き込まれた後のような、そんなパニックの様子を呈していて。
私はその光景を見て、体の震えが止まらなかった。
「アリスちゃん……!」
私もすぐに助けに回らなきゃいけないのに、恐ろしくて体が動かなくて。
呆然としている最中、私を呼ぶ声が奥の方から飛んできた。
慌てて顔を向けてみれば、神殿の瓦礫の中から黒づくめが姿を覗かせて、レイくんがこちらに駆けてきた。
「あぁ、アリスちゃん……! よかった、無事だったんだね」
「レイくん! それはこっちのセリフだよ! 一体何があったの!? これはクリアちゃんが!?」
ボロボロな様子の自分を顧みず、私を見てホッと胸を撫で下ろすレイくん。
それどころじゃないよと疑問を投げかけると、レイくんは苦い顔をして頷いた。
「正解だ。つい今しがたまで、クリアちゃんがここで暴れまわってくれちゃってさ。神殿は壊されるわ、怪我人が大量に出るわで、いい迷惑だ。死人が出なかったのがせめてもの幸いかな」
「やっぱり……でもどうしてクリアちゃんはここを? 彼女がワルプルギスを襲撃する理由なんてあるの?」
「まぁなくはないけど……今回に関しては、別に僕たちを狙って来たわけじゃ無かったみたいだよ」
広場で駆け回る魔女たちに目を向けながら、レイくんは困り果てた様子で肩を竦めた。
死人が出なかったとは言っているけれど、でも重傷者は少なくないように見えた。
クリアちゃんはどうして、わざわざ魔女を傷つけるようなことをしたんだろう。
「クリアちゃんはどうやら、ここにドルミーレの痕跡を探しに来たみたいだった。ただ生憎、幸か不幸かミス・フラワーはロード・ケインに持っていかれていたし、それ以上のものはここにはなかったけれどね。僕らはただ、巻き込まれただけってわけさ」
レイくんはそう言って、重い溜息をついた。
クリアちゃんは何も得られなかったらしいと、レイくんはそのことに関してはあまりに気にしていないようだったけれど。
でも私は、とても嫌な予感がしてならなかった。