43 友達じゃなければ
「友達……友達、か……」
沈黙を破ったのは、ネネさんのそんな呟きだった。
パッツリと切り揃えた黒髪をだらりと下げて俯いている。
髪の隙間から窺えた表情はとても苦々しげだった。
そんなネネさんの手を、シオンさんがそっと握る。
シオンさんもまた少し目を伏せてから、ゆっくりと再び私に目を向けた。
「お話はわかりました。あなた方の関係には複雑な思いがありますが、しかしそれは出過ぎた感情でしょう」
とても落ち着いた声で、シオンさんはハッキリと言葉を口にする。
穏やかな声色の中に、彼女の揺るがない感情が見て取れた。
「アリス様が飽くまで彼女の思想に否定的であるというのなら、私たちはそれで構いません。アリス様が彼女を友と呼ぼうとも、志を同じとしてないのであれば、それで。彼女の友だからといって、彼女の責任をあなたに負わせるのは間違っていますしね」
シオンさんはそう言うと、そっと微笑んで見せた。
それは彼女自身の安堵であり、同時にこちらを安心させるためのものだった。
しっとりと張り詰めていた空気が、ゆっくりと緩んでいく。
「ネネも、それでいいよね? アリス様は友を大事にされる方だけれど、だからといってクリアを肯定する人ではない。それがよくわかったことだし」
「う、うん。まぁ、そうだね」
少し言い聞かせるように言うシオンさんに、ネネさんはボソボソと頷いた。
だけれど、ほんのちょっと納得がいっていないような、不満げな気配がその仏頂面に浮かんでいる。
「ネネさん、言いたいことがあったら言ってください。そこは、ハッキリさせた方がいいと思うので……」
「…………じゃあ、ちょっとだけ」
これから力を合わせていかなきゃいけない中で、相手に不満があったらいざというときに困るから。
思い切って促すと、ネネさんは弱々しく眉を寄せながら、おずおずと言った。
「別に、アリス様がクリアの味方だろうとか、アリス様が悪いだとか、そんなことははじめから思ってない。だから、アリス様がクリアの行動に否定的なのは、嬉しかった。でも、でもさ……やっぱりクリアはアリス様にとって友達なんでしょ? もしそうじゃなかったら、アイツはここまではやってないんじゃないかって、そう、思っちゃって……」
膝の上で拳をぎゅっと握り、ネネさんはそう吐き出した。
これでもかと寄せる眉を、力が入った肩の震えを見れば、彼女の切実さが伝わってきた。
「クリアのアリス様への執着っぷりは、昔から有名だよ。暴れ回る時よく、『アリスちゃんのため』だとかなんだとかって言ってたからさ。だからもし、アリス様とクリアが友達じゃなかったら、そしたら────!」
クリアちゃんは、いわゆる狂った魔女的な活動はせず、そして二人のご両親は殺されなかったもしれないと。
詰まった言葉のその先には、きっとそんな思いが含まれているんだろう。
けれど、その先を口にできなかったネネさんは、ぎゅっと唇を噛み締めた。
彼女の言いたいことはよくわかる。
今回のジャバウォックの件だって、クリアちゃんが私を大切に思ってるからこそしようとしていることだ。
それを踏まえれば、私たちが友達でさえなければ、クリアちゃんのあらゆる凶行はなかったもしれない。
シオンさんはそれを、私に向ける責任ではないと言ってくれたけれど。
でもネネさんのように思う人ももちろんいるだろうし、私自身は決して目を背けてはいけない事実だ。
責められたら、私にはそれに反論できる自信がない。
「ネネさんの言う通りだと、私も思います」
だから私は、しっかりとその気持ちを受け止めないといけない。
例え罵詈雑言を浴びせられることになろうとも。
私は、萎れるネネさんに向けて頷いた。
「私が友達になった時の彼女は、大人しくて気弱な優しい子でした。そんな彼女が、どうしてこんなことをするようになってしまったのかは、私にはわかりません。けれど、ここまで直向きな想いを向けてくれているのだから、そのきっかけはきっと私にあるのかもしれません」
話が通じなくて、考えが噛み合わなくて。でも、彼女からの気持ちだけは痛いほどに伝わってきた。
その点だけ見れば、彼女の私という友達を想う気持ちは、とても固く強いものだ。
ただ、それを形にするやり方が決定的におかしくなってしまっているけれど。
「だから、彼女の行動の責任の一端は私にある。それは、今日のことだけ見てもそう思いました。だから私は、彼女の被害を受けた多くの人たちに、何を言われたって仕方がないと思ってます」
「そんなことはありません。アリス様がそこまで思い詰める必要は……」
透かさず、シオンさんが否定した。
そう思ってもらえるのは嬉しいけれど、でも私自身はそれに甘えるわけにはいかない。
私は首を横に振って、ネネさんへの言葉を続ける。
「でも、だからこそ、私は責任を持ってクリアちゃんを止めたいと、止めなきゃいけないと思ってます。友達だけど、だからこそ、間違ってることは間違っていると、そう示さないといけない。それで償いになるとは思ってないですけど……でも今の私にできることは、これくらいだから」
「………………」
私が言うと、ネネさんは伏目がちに私を見つめてきた。
それは普段の仏頂面のようで、でもどこか泣きそうなように見えて。
ネネさんは、静かにじっくりと私を窺ってくる。
私のせいだからと謝ることは簡単だけれど、きっとネネさんはそれを望んでいるわけじゃない。
彼女だって別に、私が悪いと思っているわけじゃないし、責め立てているわけじゃない。
だから私はすべきことは、自分がどう思い何をしようとしているか、その姿勢を示すことだと思った。
だから、私は弱気を見せずに真っ直ぐにネネさんを見た。
私は絶対にクリアちゃんを止めるのだと、彼女の悪行は許せないものだと、その想いを伝えるために。
そんな私に、ネネさんはフッと口元を緩めた。
「そうだよね。うん、わかってた。わかってたよ、大丈夫。でも、アリス様が言えって言うんだもん。ついつい吐き出しちゃったよ」
顔を上げたネネさんは、そう苦笑いして頭を掻いた。
そこに鬱憤の色はない。
「ごめんね、責めるみたいなこと言っちゃって。アリス様は何にも悪くなんかないんだって、頭ではわかってたんだけど。どうにもモヤモヤしちゃってさ。大人気なかった……」
「そんなことないですよ。その気持ちは間違ってないと思います」
「いいや、間違ってるよ。押し付けやすそうなところに責任をなすりつけてるだけ。アイツのやったことは、アイツのだけの責任なんだ。本当は、他の誰も悪くなんてないんだよ」
そう言うネネさんの表情からは、息苦しさが抜けていた。
のそっとした無気力そうな顔つきはそのまま、しかしどこか気楽さが湧き出ていた。
「でも、言えてスッキリしたよ。ありがとうアリス様。アリス様の気持ちもよくわかったし、もう何にも不満なんてない。アリス様についてくよ」
「ネネさん……」
ニヤリと微笑んで見せるネネさんに、私は思わず安堵した。
はじめから責められてはいないけれど、それでもネネさんがそうして笑ってくれたことで、許された気分になった。
わだかまりがなくなって、心から信頼し合うことができれば、この先怖いことはない。
「ま、私ははじめからアリス様のこと信じてたけどねぇ」
「まったく、どの口が言うんだか」
気の抜けた声でポロッと言うネネさんに、シオンさんは溜息を着いた。
私と目が合うと、「調子がよくてすみません」と眉を寄せる。
そんな彼女によかったと笑顔を向けると、困り顔ながらも安堵の笑みが返ってきた。
シオンさんとネネさんが抱える問題が、何か解決したわけではないけれど。
私に対する不信もまた、彼女たちの心を苦しめていただろうから。
それが解消できただけでもよかったと、二人の笑顔を見て思った。