37 ズレている
「ふざけたこと、言ってんじゃねぇ……!」
「ロードから離れなさい!」
クリアちゃんが一人完全に場違いな笑い声を上げる中、レオとアリアが動いた。
レオはすぐに赤い双剣を手に握り、大きく振り上げて飛びかかって。
そしてアリアが手を伸ばすと、クリアちゃんの周りに鎖がジャラジャラと渦巻いて、彼女を拘束せんと引き絞られた。
クリアちゃんはそれに対して全く反応しなかった。
魔女狩り二人による攻撃に対処できなかったわけではなく、敢えて身動ぎ一つしていないように見える。
当然二人の攻撃は、何の障害もなく彼女の身に降りかかった。
先にレオの剣がその身に振り下ろされ、続け様にアリアの鎖が巻きついた。
しかし、そのどちらもクリアちゃんの体を捉えることはなく、まるで実体がないかのようにぐにゃりと歪み、通過してしまった。
そう、まるでそこにあるのは形なき炎であるかのように、剣が通り過ぎても鎖が食い込んでも、揺らめくだけですぐに全てをすり抜けすぐさま人の形に修復されてしまうのだった。
驚愕するレオとアリアを見てクリアちゃんはケラケラと笑うと、その場からピョンと横飛びをして、レオから距離をとった。
もうロード・デュークスになんて用がないというように、既に気にも留めていない。
レオはロード・デュークスを庇うように立ちはだかり、アリアもまた急いで駆け寄った。
彼が例えどんな人であったとしても、二人を導いてきた上司であることには変わりがないんだ。
「ごめんなさいね、これ実体じゃないの。流石に魔女狩りの只中に自ら乗り込むのは危険だから……分身、みたいな? だからそんな単調な攻撃は、いくら魔法使いのものでも意味ないわ」
「そんな馬鹿な……! 不意打ちとはいえロードを倒して、しかもここにくるまでにも散々暴れてきたんでしょう!? それほどの力を本体が遠隔で行なっているなんて……しかも、魔女が!?」
人を小馬鹿にするようなクリアちゃんに、アリアはロード・デュークスを介抱しようとしながら、信じられないと声を上げた。
魔法の詳しいことはわからない私だけれど、クリアちゃんがとんでもないことをしているのだということはわかった。
けれど問題はそこではなくて、今ここにいる彼女が本体でないのなら、止めようも捕らえようもないということだ。
「まぁ、クリアちゃんならできるだろうね。彼女は、異常なまでに飲み込みがいい。そしてそれを十全に活用できるだけの素質を持っているんだから。何をしたって驚かないよ」
夜子さんはそう言いながら、流石に焦りを隠せないでいるようだった。
余裕を持ったニヤニヤ顔はなく、真剣な表情で鋭い視線をクリアちゃんへと向けている。
「これまで散々派手に暴れまわってきて、魔女狩りに大いに目をつけられながらも、今もこうして自由に振る舞っていられるのは、それが所以だ。けれど君は、それをアリスちゃんのために使おうとしているんだと、私はそう思っていたんだけれどねぇ」
「ええ、もちろんよ。私は自分の力をアリスちゃんのために使いたいと思っているわ。だからこそ、その人からジャバウォックの使い方を学ばせてもらったの」
「彼の理論を理解したのなら、あれが何かも理解しただろ? 君に、扱い切れるとでも?」
「まぁ、ね。あなたもわかっているでしょう? 私はどんな魔法だって習得、活用できる。これも例外ではないわ。それに彼が組み立てていた術式は、案外彼よりも私の方がうまく使えそうなのよ。任せなさい」
夜子さんの射殺すような視線を受けながらも、クリアちゃんは微笑みを絶やさない。
彼女は飽くまで私のためにすることだというけれど、あまりにも手段を選ばない。
ジャバウォックももちろんそうだし、あっさりとロード・デュクスに手をかけて。
目的のために、それ以外のものを全く厭わない姿勢には、恐ろしいものを感じた。
「彼女は、それを望んではいないわよ。あなたが大切だという、あの子はね。それでもあなたは、そんなやり方が最適だと言うの?」
お母さんは未だ私に視線すら向けぬまま、クリアちゃんに対して固い言葉を発した。
ロード・デュークスと話していた時よりも、更に緊迫した声だ。
「何を言っているの? アリスちゃんはちゃんと望んでいるわよ。ドルミーレの呪縛から解き放たれたいって。その苦しみから救われたいって。だから私がアリスちゃんを助けてあげるの。だって私、そう約束したんだもの」
クリアちゃんは悪びれなんて全くなくて、純粋な献身を持って声を輝かせた。
自分のやっていることに何の疑いもなく、それが最善であると疑っていない。
いや、もしからしたら彼女にとっては、最善だとか最適だとかは関係ないのかもしない。
目的が、達成できれば。
「ジャバウォックは、一介のヒトが手を出していいものではないわ。あなたであろうと誰であろうと、触れていいものではないの。そんなものを使ったって、得られるものは何もない。ただ、全てが壊れてしまうだけなの。だから……」
「いいじゃない、それ。全部壊れるのって、とっても素敵だと思うわ」
切迫しながらも、それでも慎重に言葉で押さえようとするお母さん。
しかしクリアちゃんは、人の話なんて全く聞く気がないようだった。
「まぁ世界とか、そういうことにはあまり興味はないけれど、でも私、この国嫌いだし。壊せるのなら壊してしまいたいって、ずっと思ってたの。ついでに世界が壊れてしまうのなら、それもそれでいいわ。ま、何にしたってアリスちゃんが救えるのなら、後は何にもいらないの、私」
アハハと笑うクリアちゃんに、お母さんは理解できないものを見る目で顔を引き攣らせていた。
ロード・デュークスはまだ、意見が合わないながらも言葉を交わす余地があったけれど。
でもクリアちゃんに関しては、はなから私のことしか考えていなくて、全くもって話にならない。
「だから、ね? 安心してねアリスちゃん。私がちゃんとあなたを救ってあげる。あなたを苦しめる何もかもを破壊して、ついでに気に食わないこの国も破壊して、あなたを自由にしてあげるから。アリスちゃんも、それを望んでいたでしょう?」
クルクルと炎の体で舞い踊って、クリアちゃんは楽しそうに語りかけてくる。
それはまさに、噂に聞く狂った魔女そのものの壊滅的な言葉で。
私が知る、引っ込み思案で消極的な、優しい女の子の面影はまるでない。
七年前に出会った、透明人間だった女の子。私の友達、クリアランス・デフェリア。
そんな彼女が私のことを思ってくれて、助けてくれようとしているのは嬉しいけれど。
でもその思想はあまりも突飛に突き抜けていて、私の理解を遥かに超えている。
これは考え方の違いとか以前に、根本的な価値観の違いからくるものだと、そう思った。
それが心底恐ろしくて。でも、ただそれに恐れ慄いているわけにはいかない。
彼女が、私のことを想うからこそ道を踏み外そうとしているのなら、それを止めるのは私の役目だ。
私は拳を強く握って、自らを奮い立たせた。真っ直ぐ、燃えているクリアちゃんを見る。
「ううん、私はそんなことを望んでなんていないよ、クリアちゃん。私が望んでいるのは、願っているのは、もう誰も傷付かなくて、苦しまなくて良くなるようにってこと。でも、今のクリアちゃんがやろうとしていることじゃ、それは叶わない。だからお願い、クリアちゃん。ジャバウォックは使わないって、約束して」
『魔女ウィルス』によって苦しむたくさんの人たちを救いたい。
それによって蝕まれている、この国と世界を救いたい。
もちろん、私自身が振り回されている、ドルミーレによる運命だってどうにかしたいけれど。
でも私の一番の願いは、大切な人たちが笑顔になることだから。
だから、私だけが救われたって意味はないし、そもそもそれは救いでもなんでもない。
私は一人じゃ生きられないんだから。全てが破壊された場所に、私の居場所はない。
「アリスちゃんは、やっぱり優しいね」
必死に言葉を向けた私に、クリアちゃんはうんうんと大きく頷いた。
「アリスちゃんの気持ちはよくわかったわ。アリスちゃんは昔からずっと優しくて、私はそんなあなたが大好きだった。だからこそ私は、アリスちゃんの力になりたいって、そう思ったの。だからね────」
クリアちゃんは、笑う。
「私はそんなあなたのために、全てを壊すわ。アリスちゃんの願い通り、もう誰も苦しまなくていいように、何もかもをなくしてしまいましょう。だって、こんなところで生きていたって、苦しだけじゃない?」
私たちの考え方は、どうしようもなくズレているようだった。




