12 嫌われたとしても
無事だったんだねと、諸手を上げて飛び付きたい。
けれど、とてもそんなことができるような状況ではなかった。
私の目の前に現れたアリアは、決して『人質として囚われていた人』ではなかった。
彼女は明確に、自らの意思でそこに立っている。
そして私に対峙しているのだと、黒に包まれたその姿が物語っていた。
これは穏やかな再会ではなく、彼女は彼女で、何か目的を持って私の前に現れたようだった。
「アリア……ねぇ、アリアでしょ? 私を連れ帰るってどういうこと?」
「言葉の通りだよアリス。私はあなたをロード・デュークスの元に連れ帰る。私はそのために、ここであなたを待っていたんだから」
「……!? そんな、でも、アリアは……!」
自らがアリアであることを肯定せぬまま、しかし彼女はスムーズに受け答えをしてきた。
けれどそれは、彼女の口から出るとは到底思えないもの。
だってアリアは、ロード・デュークスが私の命を狙っているからこそ、彼を裏切る道を選んだはずだ。
そんなアリアが、自らの意思で私をロード・デュークスの元に連れて行くなんて……。
「まさかアリア、またロード・デュークスに呪われたの? 命を掴まれて脅されて、それで……?」
「────それとこれとは、今は関係ないよ。これはね、あなたを救うためなの。その為に、ロード・デュークスの『ジャバウォック計画』が必要だから」
「ジャ、ジャバウォック……! アリアは、それが何だかわかっていってるの!?」
アリアの言葉はとても静かで、妙なくらいに落ち着き払っている。
まるであらゆる感情を押し殺しているかのような、そんな淡々とした言葉だ。
いつもの優しいお姉さんのような雰囲気はなくて、今はとても冷徹な機械と話しているような気分になる。
言葉は、私のことを気遣ってくれているのに。
そんなアリアだからこそ、その口から飛び出したジャバウォックという言葉に、私は過剰に反応してしまった。
まるでジャバウォックを肯定するようなその口振りが、とても彼女らしくなかったから。
私はレイくんから聞いた話でしか、ジャバウォックのことを知りはしないけれど。
でもその名前を聞き、そしてその存在を思い浮かべるだけで、とても気分が悪くなる。
私の心が、その奥底にあるドルミーレが、それに対して強い嫌悪感を示しているからこそだ。
それを踏まえれば、少なくとも良いものだとは思えない。
けれど、私が食らいついてもアリアは揺らがなかった。
「わかってるよ。ジャバウォックは『始まりの魔女』ドルミーレの天敵。その力と、そしてそこから出ずる『魔女ウィルス』を打倒できる存在。だからこそ私はその力を使って、アリスを運命の呪縛から救いたいの」
いつもと雰囲気の違うアリアだけれど、でもやっぱり私を思ってくれていることには変わりない。
けれど、その考え方は間違っている。確かにジャバウォックはドルミーレを打倒しうるものかもしれないけれど、その方法は決して正しくないんだ。
「ダメだよ、ダメなんだよそれじゃ! ジャバウォックが現れたら、ドルミーレを倒すだけじゃ済まなくなる。この世界が、何もかもが壊れちゃうんだよ!? そんな方法、私は絶対に認められない……!」
「そんなこと、ならないよ。ロード・デュークスは確かに手段を選ばない人だけれど、けれど誰よりも魔法使いの繁栄を考えている人だというのは間違いない。そんな人が、世界を滅ぼしてしまうかもしれない方法なんて、とるはずがない」
それにねと、私が口を挟もうとすると、アリアは強く首を横に振った。
あなたはわかっていないと、そう言いたいかのように。
「他に方法がないから、仕方ないの。他に、あなたの中のドルミーレを倒す方法がある? あなたがその運命に抗う方法がある? 私はもう、アリスが苦しむ姿を見たくないんだよ」
「アリアがそう思ってくれるのは嬉しいよ。でもやっぱり、ジャバウォックを使うことは受け入れられない。それに私は、自分自身の力でドルミーレと向き合うって、そう決めたから」
「あなたが、ドルミーレに勝てるの? 相手は世界に『魔女ウィルス』を振り撒いた、全ての根源。その力の強大さは、アリスが一番わかってるでしょ?」
「勝つよ。だって勝つしかないんだから。相手がどんなに強大でも、私は彼女にだけは負けるわけにはいかないから……!」
「………………」
深く被ったフードのせいで、その表情を窺うことはできない。
けれど、その奥から注がれる視線から、不安と心配が強く感じられた。
アリアは私のことを案じてくれるあまり、判断が鈍ってしまっているのかもしれない。
少しだけ沈黙してから、アリアはポツリと口を開いた。
「……アリス、あなたがそう言うのなら、私はそれを信じてあげたい。でもね、私はアリスが心の中のドルミーレと戦うのをずっと見てきた。それに苦しんで、悩んで、辛い思いしているところ、ずっと。確かにアリスは昔とは違うかもしれないけど、でも……そんな姿を見てきた私は、少しでも確実な方法をとりたいの」
「っ………………」
七年前に私がこちらの世界に迷い込んで、そしてアリアとレオ出会って、沢山の旅と戦いをして。
そんな中で、私のことを支えてくれたのはいつもアリアだった。
優しいお姉さんとして、私の不安をいつも抱きしめて、寄り添ってくれたのは彼女だ。
だからこそ、誰よりもアリアは私の弱さを案じてくれている。
アリアは私の親友だけれど、やっぱりどこかお姉さんみたいなところがあって。
だから彼女は私のことを妹のように、とても労って案じてくれることが多い。
彼女にとっての私を支えるということは、庇護的な意味合いがあるんだ。
だからこそアリアは、考えられる中でより可能性の高い方法で、私のことを救おうとしてくれている。
その気持ちは嬉しい。間違っているとは思わない。そんなアリアが私は好きだ。
でも今は、私が求めているのはそれではないし、特にジャバウォックは受け入れられない。
アリアの私を想う優しさは、私が目指すものと食い違ってしまっている。
「ありがとうアリア、私のことを考えてくれて。でもね、私はやっぱり、ロード・デュークスには賛同できないよ。その『ジャバウォック計画』のこともそうだし、そもそも彼は私を殺そうとしているわけだし。私は、ロード・デュークスを止めて、その計画を阻止しようとしているんだよ」
「心配しなくても、ロード・デュークスはもうあなたの命を狙わないと、そう言ってくれたよ。アリスが魔女掃討の邪魔をしなければ、あなたに危害を加える必要はないからって」
「そっか、そうなんだ。でもね、やっぱりダメだよ。だって私には、魔女に大切な友達がいる。魔女掃討は、させるわけにはいかないからさ」
「…………!」
万が一私の命が狙われなくなったとしても、そもそも魔女掃討を止めることが私の目的だ。
そしてその為にジャバウォックが使われるというのなら、ロード・デュークスの好きにはさせられない。
どう転んだとしても、ロード・デュークスが『ジャバウォック計画』というものを実行しようとしている以上、相入れることはできないんだ。
まして、そんな物の恩恵に預かるなんて、できるはずがない。
私が首を横に振ると、アリアは大きく息を飲んだ。
そして小さく肩を震わせ、拳を握った。
「アリス、あなたは優しすぎる。いつもそうやって誰かを想って、助けようとして。そうやってアリスは、いつも苦しんでる。私はあなたに、もっと自分を大切にして欲しいのに……!」
「アリア……」
その声が震えているのは悲しみか、それとも怒りか。
アリアは僅かに俯いて更に顔を隠しながら、静かに声を荒げた。
「私は……私は、アリスが大切だと思うものを、尊重したいと思ってきた。あなたの気持ち、想いに添いたいと。でも、それであなたが自分を蔑ろにするのなら、私があなたを守るしかない。アリス、私はあなたが想うものよりも、あなたを優先する!」
いつでも私の味方で、優しく微笑んで寄り添ってくれたアリア。
それはいまでも変わらないのだろうけれど。
でもそこには、私の知らない彼女の強い意思が込められていた。
顔を上げ、真っ直ぐに私を見たアリアは、そっとフードを剥いだ。
長い黒髪のポニーテールが跳ね、その相貌を痛切に歪めたアリアの瞳が私を貫いた。
「私は、アリスを連れ帰る。力尽くでも、絶対に。それで、あなたに嫌われることになったとしても……!」
その叫びは、悲鳴だった。