9 力の調子
それから、もう少しだけ今後のことについてすり合わせをして。
食事を済ませた後は、ワルプルギスの魔女の人たちと少しお話をしてから、私たちは遂に動き出すことにした。
けれどその前に、ミス・フラワーに会いに行こうと、私たちは森に繰り出した。
神殿を出ると、大きすぎる木々の大きすぎる葉っぱの隙間から、朝の強い日差しが清々しく降ってきた。
昨日感じた強烈な悍ましさはだいぶ薄らいでいて、あれは真奈実さんから醸し出され出されていたものなんだということがわかった。
この森自体から特に悪いものは感じられない。ただ、何もかもが巨大なこの森からは、とても濃密な魔力が漂っているのはわかる。
けれど、それ以外はただの穏やかな深い森だ。
光景はスケールが崩壊しているけれど、基本的に緑が気持ち良い、とても良い森だ。
その印象は、以前私が迷い込んだと時変わりなく、今でもこんな状況じゃなければ、色々探検してみたいと思ってしまう。
そんな森の中を、私は氷室さんとレイくんと一緒に進んだ。
穏やかな森を進む中で、これから待ち受けているであろうことを考えると、気持ちだけがハラハラと駆け足になってしまう。
レオとアリアは無事なのか。ロード・デュークスをうまく止めることはできるのか。
魔法使いたちとちゃんとわかり合えることはできるのか。お母さんと────ロード・ホーリーとちゃんと話はできるのか。
それに、戦いは終わったとはいえ、王都を始めとする各地の状況も気になる。
王都を任せてきたシオンさんとネネさんの無事だって。
考えれば考えるほど気持ちが重たくなるけれど、でももう、実際に向かって事を動かさないことにはどうにもならない。
そしてだからこそ、冷静に落ち着いて行動しなきゃいけない。
気持ちが逸るからこそ、一つずつ着実に進めなきゃいけないんだ。
だからまずは焦らずに、ミス・フラワーに会って、この森のことと魔女のことを改めてお願いしよう。
そうやって安心を作っていけば、迷いなく前を向けるはずだから。
「そういえばアリスちゃん。こんなこと聞くのはアレかもしれないけれど、調子はどう?」
巨大な木々で埋め尽くされている森の中を、軽いハイキングのように進んでいっている中、レイくんがポツリと尋ねてきた。
私と氷室さんを先導する為に少し前を行っていたレイくんは、少し大きめの根っこに乗り上げながら、私に向けて振り返る。
「調子? あぁ、怪我とかダメージは、魔法で大方直したから、身体の調子は悪くないよ」
「それはよかった。でも僕が聞きたいのはそれだけじゃなくて、君の内側の話さ。力の調子、ドルミーレとの折り合いの調子は、どんな感じかな?」
「あー……」
ニコリと微笑んで、続けて根っこに上がろうとした私に手を差し伸べてれるレイくん。
私はその手を取って体を持ち上げながら、曖昧な声を溢した。
「可もなく不可もなく、かな? あれからドルミーレは全く気配を感じさせなくて……まぁ、心の奥底にある存在感は無くならないんだけど。ただ今までみたいに、私が力を使うにつれて、その存在感で圧迫してくるような、そんな威圧感はないかな」
昨日心の中から目覚める時、ドルミーレは力を好きなように使えば良いと言っていた。
五年前や、封印が解けたここ数日は、力を使うと彼女の存在が私の心の中で少しずつ大きくなって、それが苦しくて思うように力を使えなかった。
でも今、そんな彼女の意思のようなものは全く感じなくて、力を使うことに関して弊害は全くないように思える。
「多分今なら、思いっきり力を使えるんじゃないかなって思うよ。そう意味では、調子が良いって言っても良いかもしれないのかな」
「なら何よりだ。彼女の思惑が何なのかはわからないけれど、でも彼女なりに君を尊重しているということだろうしね」
「あの人が、私のことを尊重するかなぁ」
続いてくる氷室さんの手を今度は私が取りながら、思わず唸り声を上げてしまう。
ドルミーレが、そんな思いやりのあることをするとは思えない。
ドルミーレはあの時、ワルプルギスの思惑とは別に、そろそろ目覚めても良いと考えていた。
そもそも、私が力を自覚して、そして『真理の剣』を手にした七年前の時点から、そう思い始めていたんだ。
だから私が力を使いこなすに合わせて、ゆっくりと私の心の中で存在感を膨らませていたんだと思う。
ある意味それは、私が私らしく振る舞うことへの邪魔だった。
私はドルミーレの見ている夢だけど、でも彼女とは在り方が正反対の、受け入れられない存在だから。
そうである以上、彼女が私のことを尊重して全てを委ねてくれるなんてことなんてあり得ない。
だからきっと、思惑は別にある。
少なくとも、今はまだ目覚めるタイミングではないと思っているからこそ、というのはあるはずだ。
後は、よくはわからないけれど、晴香を捕まえているから……。
「確かに、尊重という言葉は適切じゃないかもね。ただそれでも、君の思うようにやらせようって感じじゃないかな」
「そう、だね。それが私にとって良いことかは……わかんないけど。でもまぁ、力を使うのに不自由がなければとりあえずはって感じだね」
三人で根っこを越えながら、私は眉を寄せた。
私のために、残ったその心を激しく燃やして守ってくれた晴香。
そしてそんな彼女の霞のような灯火を、何故だか囲ったドルミーレ。
正直心配で仕方ないし、今すぐ心の中に舞い戻って晴香を助け出したい。
でも、今再びドルミーレと対峙しても、きっと今の私では太刀打ちができない。
色々なことに不安要素を残した、不安定な状態な私では、あらゆる事の原初である彼女には向かい合えない。
それでは助けられるものも助けられないし、最悪私が押し潰されてしまうかもしれない。
だから今は、ドルミーレの「取って食ったりはしない」という言葉を信じるしかない。
ドルミーレが何をしたいのかは、未だにこれっぽっちもわからない。
何のために、どうやって目覚めようとしているのか。
何のために晴香を奪ったのか。
そして、何のために今私を自由に、好きにさせているのか。
何もかもわからない。
でもわからないからこそ、その疑問に全て真正面からぶつかれるように、その他の不安要素は取り除いておかなきゃいけない。
「まぁ取り敢えず、アリスちゃんが力を使うのに弊害がないのなら安心だよ。これからどんな事態になるかわからないからね。アリスちゃんが万全なのは大切なことだ」
「うん。そのことに関しては問題ないと思うよ。ドルミーレからの圧迫感がないから、力を使うってことに関しては、今まで一番良い感じだと思う。何でもできそうな気がするよ」
「良いことだ。ドルミーレの力、『始まりの力』はそもそも何でもできる力だからね。それを十全に扱えるのなら、願ったり叶ったりだ」
レイくんはそう言うと、ホッと頬を緩めた。
確かに今は、心の奥底からとても力が漲ってきていて、一種の万能感のようなものを覚える。
今までも力を引き出した時に大きな力の流れを感じていたけれど、今はそれに際限がなくて、しかもとても体に馴染んでる。
今までで一番、力を使いこなせている状態だろうことは明らかだ。
封印が解けてかつてを取り戻し、そしてドルミーレからの圧迫感がない今が、私にとってのベストコンディションだ。
ただまぁ、それが力を十全に扱えることなのか、というところはわからないけれど。
だって力の源流はドルミーレなのだから。私は飽くまで、そこから流れてくるものを使っているに過ぎない。
結局私の力は、彼女次第というところは否めない。
ただどうだったとしても、私は今自分にできる限りのことをするしかない。
使えるものは何でも使って、未来を切り開くことに専念しよう。
そんなことを話しながら、私たちは森の中を進み続けて。
レイくんが少し先を歩き、氷室さんは私の手を取ってぴったりと身を寄せて。
そしてしばらくして、私たちは見覚えのある場所に辿り着いた。
普通のサイズの私たちにはちょっとした広場に見えるけれど、でもこの巨大な森からしたら僅かな隙間のような、そんな開けた場所。
七年前からミス・フラワーが咲いている、私も何度か訪れたことのある所だ。
久しぶりにあの楽しげなお花に会えるんだなと、私たちはカーテンのような草花を掻き分けて、広場に乗り出した。
「────────!?」
けれど、そこに喋るユリの花は咲いていなかった。
代わりに私たちの目に映ったのは、見覚えのある白いローブの、大きな後ろ姿だった。