8 信じていた人たち
「ありがとう、ごめんね氷室さん。でも、そうした方が良いって思った理由には、お母さんに会えるかもっていうのも、あって……」
「アリス、ちゃん……」
無理に笑顔を作って見せると、氷室さんは慈しむように眉を下げた。
昨日のあの時、一緒にいてくれた氷室さんは、私の気持ちがよくわかってくれているはずだ。
まだにわかに信じられないけれど、でもお母さんはロード・ホーリーだった。
なら、私がお姫様として国の中枢に入れば、そこで相見えることができるかもしれない。
私に背を向けて行ってしまったあの人に会うためには、今の所そんな手段しか思い浮かばなかった、というのも理由の一つだ。
お母さんとは────ロード・ホーリーとは、きちんと話をつけないといけないから。
それが、どんなに辛いことでも。
「アリスちゃんは、お母さんとちゃんと……」
「うん。あんなこと一方的に言われて、それだけじゃ納得なんてできないし。全部何もかも、話してもらいたいから」
「そう……わかった」
起きた時ほどではないとはいえ、お母さんのことを考えると胃袋が捻れそうになる。
それでも何とか頑張ってしゃんとして、私は懸命に笑顔を作った。
氷室さんはそんな私を静かに見て、小さく頷いてくれた。
「ごめんアリスちゃん。話の腰を折って悪いけれど、お母さんってどういうこと?」
氷室さんと静かに意思を確かめ合っていると、レイくんがムムムと首を傾げてきた。
そういえば、レイくんにはまだこのことを話していなかった。
「えっとね。実は、魔女狩りのロードの、ロード・ホーリーは私のお母さんだった、みたいなんだ……私もまだちゃんと理解できなくて、困ってるんだけど……」
「…………ロード・ホーリー。つまり、ホーリー・ライト・フラワーガーデンが、アリスちゃんのお母さん…………????」
「う、うん…………」
私がボソボソとありのままを伝えると、レイくんは意味がわからないというように、とてつもなく気の抜けた顔をした。
少しの間フリーズしたかのようにそのまま固まってしまって、かと思ったら、急に眉をぎゅぎゅっと寄せ始めた。
「あぁ、そう。ふーん、彼女がねぇ。へぇー、そう。そういうことか。そういうふうにしていたわけか」
「えっと……レイくん?」
不機嫌というよりは、もはや呆れ果てたように顔をしかめるレイくん。
そのあからさまな嘆息に戸惑っていると、レイくんはすぐに私に向かって微笑みを戻した。
「あぁ、ごめんごめん。彼女とは腐れ縁みたいなもので、古い付き合いだから。何をしているのかと思えば、そんな堂々と図々しいことしていたのかと、驚いちゃってさ」
「レイくん、お母さんと────ロード・ホーリーと知り合いなの? 古い付き合いって?」
「僕が二千年前から魔女だって話はもうしたよね? 彼女もまた、そうなのさ。ホーリー・ライト・フラワーガーデンは所謂、最初期の魔女、そして初代の魔法使いなんだよ」
「え……えぇ!? そ、そんなバカな……」
サラリと出てきた言葉に、私はもう頭がこんがらがってしまって仕方なかった。
レイくんが二千年前から生きているというのは、長寿の妖精だから理解できる。
でもあのお母さんが、そんな果てしない時間を生きてきた人だとは思えない。
あの人はどう見たって四十代だし、人間が二千年も生きられるなんて、そんなめちゃくちゃな話、いくら魔法があるからって……。
「まぁそれに関しては、君がよく知るナイトウォーカー────真宵田 夜子も同じだ。彼女たちは二人とも、古の時代を知っている」
「よ、夜子さんも……!? あ、でも確かに、最初期の魔女だとか、そんなこと言ってたけど。でも、本当に二千年前から…………?」
夜子さんのことだから、大袈裟に言っていたり、もしくは何か別の意味があったりとか、そういう類かと思っていた。
でもまさか本当に二千年前から生きていて、しかも本当に最初期の魔女だったなんて。
でも確かに、夜子さんはロード・ホーリーと親交があると言っていたし、二人の共通点としてはおかしくない。
そうは思っても、にわかには信じ難かった。もう何がなんだか本当にわからない。
「二千年前から生きているってことはじゃあ、二人もドルミーレが生きている頃のことを知ってるって、そういうことかな?」
「知ってるも何も、彼女たちはドルミーレの親友を自称していたからね。僕としてはどの口がって感じだけどさ」
「っ────────!」
息を飲む私を他所に、レイくんはムッと肩を竦めた。
ドルミーレに親友なんて、そんなものが本当に存在するのかどうかは、確かに定かではない。
けれど確かに、昨日お母さんは言っていた。自分はドルミーレの親友なのだと。
それを思い出したのと同時に、私の脳裏に夜子さんが以前言っていた言葉が駆け抜けた。
彼女は、親友のために生きていると言っていた。約束を守るためにと。
その親友というのが、ドルミーレのことを差しているのだとしたら────。
「お母さんも夜子さんも、一体何を考えて、私を……」
「さあ、僕にもそれはわからない。ただまぁ、彼女たちは彼女たちで、ドルミーレを想う気持ちを最優先に行動しているんだろうね」
「………………」
ドルミーレが見ている夢として生まれた私にとって、あのお母さんがどういう存在なのかはわからない。
けれど私は生まれてからずっと、あの人に育てられて、その笑顔に包まれて生きてきた。
お母さんはいつだって優しくて、私を愛してくれて、大切にしてくれていた。
その真意は、一体なんだっていうんだろう。
夜子さんは七年前に私がこの国に迷い込んだ時から、のらりくらりと私の手助けをしてくれていた。
記憶を失って向こうの世界に戻ってからも、何かとサポートをしてくれていて、私のことを友達だと言ってくれている。
だらしなくて容赦がなくてムッと感じる時もあるけれど、でもいつも気さくに朗らかに、優しく手を差し伸べてくれた。
その真意は、一体なんだっていうんだろう。
わからない。何にもわからない。わからなさすぎて、考えることもできない。
二人は私にとって味方なのか、敵なのか、それともそのどちらでもないのか。
今まで信頼していた人たちの信じ難い事実に、心が全く追いつかない。
「あー、ごめんアリスちゃん。僕がペラペラと喋ることじゃなかったね。びっくりして、つい……」
思考がパンクしている私に、レイくんは眉を落としてそう言った。
けど私はそんな顔を見て、小さく首を横に振った。
「……ううん、教えてくれてありがとう。正直わけわからないけど、でも何にも知らないよりは、知ってた方が良かったと思うし。ただ、今考えても多分答えは出せないから、二人から直接話を聞くことにするよ」
ショックはショックだけれど、もうショックが続き過ぎていて、正直少し心が麻痺してる。
これ以上悶々と抱え込んでも仕方ないし、少しの間は目を逸らしておいた方が良い。
問題を先延ばしにするんじゃなくて、優先順位をちゃんと組んで、今まず考えなきゃいけないことに目を向けるんだ。
自分で悩んでたって多分先には進めないし、これに関してはもう、本人たちから話を聞かないことにはどうにもならないだろうから。
シュンとするレイくんに、気にしないでと笑みを向ける。
でも私の笑顔がぎこちないからか、レイくん顔から影を拭うことはできなかった。
けど、もうくよくよと気にしていたって仕方ないんだ。
前に進まないと、大切なものに手が届かなくたってしまう。
だから今は辛いことに必死で蓋をして、やらなければいけないことに目を向けるしない。
今は、ロード・デュークスを止めて、レオとアリアを助けることを、考えないと。