3 代わりにはなれないけれど
「クロアさんは、どうしてあんなことを言ったんだろう。氷室さん、何か心当たりある?」
私自身の気持ちとは別に、これは話しておかなきゃいけない。
寧ろ信じているからこそ、違うという確定的な事実が欲しかった。
だから私は、疑心の色が出ないように平然と、世間話をするような気軽さでそう尋ねてみた。
そもそも、もし万が一クリアちゃんが氷室さんに化けていたり、それに類するようなことをしていたのだとして、そしてそれを私に隠しているのだとしたら。
今更「うん」と答えるはずもないのだから、これはとても無意味な質問にも思える。
だから私にとってそれは、ただの切り口のような問いかけだったのだけれど。
でも意外というかなんというか、氷室さんはゆっくりおっかなびっくりと、首を縦に振って見せた。
「あるの……?」
「ええ、恐らくだけれど」
予想外の反応に心臓がドクンと跳ねて、ただでさえ重かった心が更に重鈍になった。
まさかそんなこと、と思考が頭の中でぐるぐる回る。
抱きついていた腕は、まるでしがみ付いているようにガシッと氷室さんを捉えてしまって、彼女は少し慌てた気配を見せた。
「あの、違う。私は、私。あなたの知っている私だから。それは……信じて欲しい」
「う、うん……」
「心当たりがあるのは、私がどうしてそう思われたのか、ということ……」
つっかえながらでも少し早口に言う氷室さん。
その様子を見れば、私に誤解されたくないんだという本心がよくわかった。
「あの時の私は、クリアランス・デフェリアの残滓をまとっていたんだと、思う。とても、強く……」
「クリアちゃんの残滓? それはどういう……」
「あの森に駆けつける前、私は彼女と……遭遇、したから。激しい争いになって、彼女の魔法を沢山浴びた。何とか、撃退はしたけれど……ただそのせいで、彼女の魔力の残り香が、私に強く付いてしまっていたんだと……」
「氷室さんが、クリアちゃんと……」
思えば、私がクロアさんに襲われているところに駆けつけてくれた時、氷室さんはとても疲弊していた。
各地で争いが起きていたし、森にやってくるまでに色々な戦いがあったんだろうと思ってはいたけれど。
氷室さんはクリアちゃんと戦っていたんだ。
クリアちゃんは私が王都から離脱する時も、まだあの戦いの渦中にいたはずだけど。
でも彼女は私のことをとても想っていてくれたし、何とか抜け出して私を探していたのかもしれない。
その途中で、二人は衝突してしまったということなんだ。
氷室さんから見ればクリアちゃんは危険人物だろうし、そんな彼女が私のところに向かっていれば、止めに入るだろう。
クリアちゃんはクリアちゃんで、邪魔者として迎え撃ったということ。
それならば、お互いに魔女である二人が争ってしまう理由もわかる。
クリアちゃんは魔法使いのロードや、転臨した魔女に対しても引けを取らない、高い実力を持った魔女だ。
そんな彼女と戦ったならば、氷室さんが激しく疲弊したことにも頷けるし、激しい攻防であったことを思えば、クリアちゃんの魔力が氷室さんから感じられてもおかしくはない。
そうやってクリアちゃんの気配をたっぷりとまとった氷室さんを、クロアさんはクリアちゃんが姿を偽ったものだと、そう判断したんだ。
クリアちゃんは元々透明人間で姿がわからないし、それが解消したらしい後も、帽子とマントで姿を見せなかったから。
その中身、正体を見抜いたと、そう思ったんだ。
それにやっぱり、あの時のクロアさんが冷静だったとは思えない。
私のことを思うあまりに、ヒステリックに心を乱していたクロアさんだからこそ、そう早合点してしまったという可能性もある。
自分の邪魔をする人、氷室さんとクリアちゃんに対する気持ちをごちゃ混ぜにしてしまって、判断を誤ったんだ。
私は当時、自分の力をコントロールするのに必死で、そこら辺の気配を感知している余裕がなかったけれど。
でも今こうして側にいても、氷室さんから妙なものは感じないし、前からよく知る彼女の通りだ。
クロアさんの言葉は、そうした誤解から来たものだというのが、正しい結論でいい気がする。
「事情はわかったよ、氷室さん。そういうことなら、勘違いされても仕方ないかもね」
「私を、信じてくれるの……?」
自分の中で色んなことに納得がいった私は、氷室さんの肩の上で頷く。
そんな私に、氷室さんはとても心配そうな目を向けてきた。
心配というよりは、怯えているような、そんな縋るような目だ。
「もちろん、私は氷室さんを信じるよ。寧ろ氷室さんを信じなかったら、他に誰を信じるんだって感じだよ」
安心させようの微笑もうと思ったけれど、作れたのは、自分でもよくわかるほどにぎこちないもの。
私の心に食らい付いている色々な不安が、どうしても私に余裕をくれなかった。
でも意志は伝わったみたいで、氷室さんの瞳に安堵の輝きが差した。
「ありがとう、アリスちゃん」
「クロアさんがああ言った時はびっくりしたけど、でも私は、はじめからそんなこと信じてなかったから」
氷のように固まっていた氷室さんの緊張が、すっと引いて解けていくのを感じた。
さっき私に負担をかけていないかと心配していたから、その不安がなくなって余裕が生まれたみたいだった。
彼女は自分自身のことだから、それが嘘だとわかっていただろうし、それに私だって氷室さんは氷室さんだと信じてた。
でも生じた疑念は、お互いの意識しないところでわだかまりを作って、それがいつか大きなシコリになる可能性もあった。
だからこうしてゆっくりと、ちゃんと話すことは必要なことだったんだ。
しっかりと言葉と心を交わし合えば、これからも迷いなく信じていくことができるから。
氷室さんは小さく息を吐くと、重ねていた私の手をそっと握った。
そして静かに首を捻って、私の顔を真っ直ぐに見つめてくる。
「……アリス、ちゃん。あなたは今、沢山のものを失って、それに、沢山の不安を抱えてる。信じられるものがなくなっていって、とても、苦しいと思う……」
ゆっくり、ポツリポツリと。でも確実に。
静かな心地良い声で、氷室さんは優しく言葉を紡ぐ。
大切な人たちを失って、信じて疑わなかったものが崩されて、そして受け入れられないすれ違いがあって。
そうやって私の手からこぼれていってしまったもの。それによって生じた穴。
それらを補おうとするように、氷室さんの指が私の指に絡みつく。
「けれど……私はずっと、アリスちゃんの側にいる、から。誰かの代わりになることは、できないけれど……私は、私だけはいつまでも、あなたの側にいる。どんな時も、必ず」
スカイブルーの瞳が真っ直ぐに、私の目を見つめて心を射抜く。
透き通ったその瞳に偽りはなく、どこまでも清純な輝きが私を清らかに包む。
その心、想い、意志は決して揺らぐことなく、そして何物にも負けることはないと、そう語っている。
「氷室さん……」
不安に揺れ、悲しみに暮れ、苦痛に喘いでいた心が、氷室さんの色に染められていく。
あらゆる辛さを優しい気持ちが包み込んで、ボロボロになっていた心がじんわりと癒されていく。
沢山の喪失感を、一つの芯を持った想いが、補ってくれる。
「約束、する。私が支えると。どんな時も、アリスちゃんを放さない。最後の、その先も。どんな手段を使っても。だから────」
その言葉の先を、氷室さんは口にしなかった。
でも私には、よく伝わった。
「ありがとう、氷室さん。私、頑張るよ」
強く、強く抱きしめ直して、私は氷室さんの首元に顔を埋めた。
そんな私に、氷室さんは優しく頭を傾けて、そっと重ねて寄り添ってくれた。
沢山の辛いことがあって、まだまだ問題は山積みで、これから立ち向かわなければならない現実は残酷だ。
でも、こうして絶え間なく側にいてくれる人がいるから。
だから私は、まだ挫けずに前に進むことができる。
くよくよは、なかなかやめられないかもしれないけど。
でも、立ち上がろう。氷室さんと一緒に。