104 魔女を討った英雄
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魔女ドルミーレは死亡した。
『にんげんの国』の第三王子ファウストの剣によって絶命し、その身は朽ち果てた。
しかしその代わりに、世界を覆い尽くすような怨嗟を残して。
心臓を穿たれたドルミーレの肉体は、生命活動を停止した。
しかしドルミーレは自身の肉体を自ら崩壊させ、それを呪いへと変換させた。
魔法で促進させたとはいえ、肉体の崩壊そのものはただの現象に過ぎず、『真理の剣』でも阻めない。
そうして崩れた肉体は微粒子レベルで細分化され、その一つひとつが呪いとなったのだ。
そして、呪いはドルミーレの意志の元、彼女の死をきっかけに、世界の全土へと瞬く間に拡散された。
ドルミーレの肉体は絶命し崩壊したが、彼女の心はその存在を保ち、世界の奥底で眠りについた。
その意思がある限り彼女の魔法は力を失わず、結果その呪いは絶え間なくその効力を発揮することとなったのだ。
肉体は呪いとして爆散し、後には何も残らなかった。
空の玉座と、その背突き立てられた漆黒の剣だけが、つい先ほどまでそこにいた女を証明していて。
その形跡こそが、ドルミーレが死亡したという事実をありありと示していた。
ホーリーとイヴニングは、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。
友人がその心臓を穿たれ、そして力尽きていく様を見ていることしかできなかった。
その壮絶な最期を救うことができなかった彼女たちは、自分たちの非力を嘆くことしかできなかったのだ。
そしてその脇にいた妖精のレイもまた、呆然とその結果を受け入れることしかできなかった。
憧れの女が人間の非情の刃に晒され、怨嗟と共に死していく様を、ただ見ていることしかできなかった。
そうやって彼女の死に泣き崩れる三人。
彼女たちは、自分たちが魔女の呪いを一番間近で浴びたことに、この時は気付いてはいなかった。
ただ彼女たちは、ドルミーレという唯一無二の存在を失った悲しみに暮れるばかりだった。
何かを恨む気力もなく、ただ悲しみしだけを抱いて。
ドルミーレを死に追いやった、当の本人であるファウスト。
彼は、愛する者の悲痛な最期に、悲愴を胸に立ち尽くしていた。
自らがその終わりを突きつけたとはいえ、やはり彼はドルミーレを愛していたから。
そうするしかなかったとはいえ、真に彼女の死を望んでいたわけではないのだ。
だからこそ、その死はファウストの心を蝕み、闇を落とした。
しかし、彼女の心を裏切り最期を与えた者として、悲しみに暮れる資格がないことを、彼は弁えていた。
だからファウストは、最後まで決して、彼女を想う涙を流しはしなかった。
魔女の死によって、凍てつくような静寂に包まれた玉座の間。
しかしそれはほんの僅かな間のことで、彼らがそれを噛み締める間もなく、次第に大勢の人間が雪崩れ込んできた。
分かれて城を探索していた人間たちの生き残りが、魔女の絶命の騒ぎを聞きつけて、駆けつけてきたのだ。
そして彼らは魔女が消失した広間と、そしてその玉座に突き立てられた剣を見て、討伐が叶ったことを知った。
こうして、第三王子ファウストは、一躍国の英雄となった。
一時は魔女を招いた大罪人の謗りを受けていたが、世界を脅かす魔女の討伐を成したことで、その罪は功績によって塗り替えられたのだ。
そもそも、ファウストが魔女を招いたという事実は城の内部だけに留められ、公にはされていなかった。
結果、魔女を討ち果たした功績だけが広く知れ渡ることとなり、彼は国民の支持を強く得るようになった。
実情を知る王や彼の兄弟など、一部の者たちは、それでもファウストを快くは思いはしなかった。
しかし、王族の一人が魔女を招き入れた事実を晒すことなどできるはずもなく、ファウストの英雄視を止める術はなかった。
国を、延いては世界を救済した者として称えられたファウストは、次第に現国王や、彼の兄たちよりも強く王位を望まれるようになった。
故に、彼が国を統べる者の立場につくまでに、そう時間はかからなかった。
魔女を討ち果たした英雄となったファウストが、最愛の女のためにできたことは、彼女の大切にしたものを守ること、くらいのものだった。
彼女の最期の場に居合わせた、ホーリーとイヴニング、そしてレイに、他の人間が意識を向ける前に、生き残りを率いて城を立ち去り、不干渉の不問とすること。
彼女の闇によって染まった彼女の剣を、墓標として残していくこと。
そして、花畑の土地とその城を、それ以上踏み荒らすことなく離れることだった。
結果、ホーリーとイヴニングは魔女の知人としての謗りを受けることはなく、そしてレイもまた、何者にも咎められることなく帰郷した。
そしてドルミーレが支配していたその土地は、呪いの影響か、はたまた眠りについた心の意思か、再び魔女の領域として囲われるようになった。
以後、『にんげんの国』の西部にある花畑は濃い霧で覆われ、魔女ゆかりの地として、人間たちはそこを禁域と定める。
国を守るべき王族の立場であるファウストにできることは、それ以外にはなかった。
そもそも、彼は自らが愛した女よりも、その脅威からヒトビトを守ることを選んだのだから。
魔女を招き入れた大罪人として拷問を受け、そして幽閉された彼は、ドルミーレに対する愛情と恐怖を同時に感じていた。
その中で彼は、彼女を愛するからこそ、彼女を止められるのは自分がしないと決意し、魔女を討伐を確実に果たすことを条件に、釈放の許可を得たのだ。
自身の剣をドルミーレの『真理の剣』とされ、それを握ることのできる自分にしか、彼女を終わらせることはできない。
その事実に気づき、愛する女を自らの手で屠る覚悟を持ったのだ。
そんな自分に、これ以上ドルミーレを愛する資格はなく、そして想う資格もないと、彼はそう自らを律したのだ。
故にファウストは、それ以降ドルミーレに対するあらゆる感情を閉ざした。
彼女の残した大切なものへの不干渉を最後に、彼女を味方する気持ち、その一切を封殺した。
彼女の味方をせず、彼女を誅したのは、他でもない自分だからだ。
結果、魔女を討伐した英雄が統べる『にんげんの国』では、彼女の死後も、魔女を恐れ憎む意思が続いた。
そして、世界を恐怖に陥れ、あまりにも絶大な力を持った魔女に対する恐れは、次第にとてつもなく膨れ上がることとなる。
やがてそれの名を、その存在を口にすることすら恐れられるようになり、いつしか魔女について語ることを禁ずるのが暗黙の了解となっていった。
そうして、魔女ドルミーレの存在は『にんげんの国』の暗部とされるようになった。
彼女の存在、そしてそれにまつわる事実が歴史の闇に葬られ、なかったこととして扱われるようになるのは、少し先の話である。
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