99 揺らぐことのない気持ち
「よくなんかない!!!」
もう話はお終いだと、そう視線を下げた時、泣き叫ぶような声がこだました。
感情的でヒステリックな、そんな悲鳴のような声が、静かな広間にぐわんと響く。
慌てて顔を上げてみれば、ホーリーが泣き腫らした目で私を睨んでいた。
「あなたがそれでよくても、私たちはよくなんかない。私たちは、ドルミーレがなんて言っても、あなたを一人ぼっちになんてさせたくないんだから……!」
その言葉はやけに力強くて、今さっきまでメソメソと泣いていた女とは思えなかった。
自らの罪を嘆き、謝罪して許しを請うていた姿とは、まるっきり違う。
ホーリーは涙をこぼしながらも、強い意志を持って私に向けて歩を進めてくる。
「私たちを許せなくたっていい。人間を、ヒトを憎んでしまうのも、仕方がない。でも、それでも……ドルミーレが完全に心を閉ざしてしまうのは、私見過ごせないよ……!」
ズンズンと躊躇うことなく詰め寄ってきたホーリーは、あっという間に眼前まで来ていた。
簡素なポニーテルを乱暴に揺らして、まるで胸倉を掴むような勢いで食らいついてくる。
その強気の意思と、未だに流れる涙がチグハグとしていて、私は混乱せずにはいられなかった。
「何を、無茶苦茶なことを……許されないとわかっていて、ヒトを憎むのも当然だというのなら、何故私があなたたちを今更受け入れると思うの? 矛盾しているわ。そんなこと、あり得ない……!」
「そんなことないよ。ドルミーレだって本当はわかっているはずだよ」
ホーリーは大きく首を横に振った。
涙が散り、ポニーテールが風を切る。
「だって私たち、友達だから。誰よりも大切な、親友だから。喧嘩してすれ違って、許せないくらい悲しくて辛くても。もう嫌われてしまったと思っても、それでも大切な気持ちが消えない、そんな親友だから……!」
私の肩に掴みかかって、ホーリーは喚いた。
あまりにも滅茶苦茶で、破綻していて、勝手な言葉を。
わけが、わからない。わからない。わからない……。
「そうだ。君もわかっていると思うよ、ドルミーレ」
混乱する私に、ホーリーに追いついてきたイヴニングがそう言った。
私に掴みかかるホーリーをそっと引き剥がして、こちらに向けて鋭い瞳を向けてくる。
「君のその気持ちは、紛れもない本物だろう。君はこの世界とそこに生きるヒトに絶望して、大きな悲しみと怒り、そして憎しみを抱いている。それは私たちも例外ではなくて、さっき君が言った、『顔も見たくない』というのもまた本心なんだろう」
「けれどね」と、イヴニングは目を細めた。
私に発言をする暇を、考える暇を与えず、透かさずに言葉を発する。
「君が今、こうやって私たちに危害を与えない。それがこれの答えだよ。君は確かに世界を憎み、そして私たちを恨んでいるんだろう。それでも私たちを拒むことができず、そして報復することができない。それが、今君が言った矛盾の正体であり、君に嫌われながらも私たちがしがみ付き続ける理由の答えだ」
「なっ…………」
それはつまり、私は自分で気がついていないだけで、実は二人のことを嫌いきれていないということ?
……いや、きっとそういうことではない。彼女たちが言っているのは、そうではない。
どんなに嫌っていても、憎んでいても、疎ましく思っていても、関係が破綻してしまっていても。
それでも離れることのできない気持ちがあると、そう言っているんだ。
何者も侵入することを許していない、私だけの領域に彼女たちが踏み込めたわけ。
信頼していた分その裏切りが一番響いていたのに、彼女たちに復讐する気が起きなかったわけ。
そして、もう顔も見たくないと思っていたのに、こうして会話をしてしまっているわけ。
それは彼女たちが言っている通り、壊れてしまった関係性の中でも、想う気持ちがあるからだとしたら。
もう誰も信じられないと、世界の全てが憎いと心の底から思っていながら、それでも彼女たちを友人と思う情が残っているのだとしたら。
そんな深層心理よりも深い、心に刻み込まれたような感情があるのだとしたら、私は。私は……。
「昔のように、無邪気に笑い合える仲に戻ることができなくても。もう二度と君に心を許してもらえなくても、それでも私たちは、ドルミーレの親友であり続けたい。あり続ける。だからいくら拒まれても、君を見捨てることなんてできないんだ」
イヴニングの言葉は全く遠慮がなくて、私の心に容赦無く突き刺さる。
それは私を労る言葉ではなく、私にわからせようとする、絶対の意思を持った言葉だった。
「そうなんだよ、ドルミーレ。あなたのこと嫌いじゃないのに、それでも怖いと思ってしまった、あのどうしようもない恐怖と同じように。私たちがあなたを大切に思う気持ちは、どんな状況になっても絶対になくならない。それはもうどうにもならない、私たちの確かな気持ちなの。だからこの先どんなことが起きても、何を思うことがあっても、この気持ちだけは絶対に変わらないんだよ!」
ホーリーの叫びは、とても稚拙で短絡的なようで、しかし全く揺らぐものがない。
そこに含まれている曖昧な根拠が、しかしはっきりとした理由になることを、自分自身と私で証明している。
表面的な感情と本能的な感情。それらがいくら揺れ動こうとも、深層にある根源的な感情だけは、決して変わらない。
それを知っていれば、例えこの先何があろうとも、信じることができるははずだと────。
「ファウストだって、きっと同じだ」
考えてもみなかったそのことに私が言葉を失っていると、イヴニングが少し萎れた顔でそう言った。
「彼はきっと、私たちよりも強く君に恐怖を感じてしまっただろう。でもやっぱり、君への愛情はなくなってはいなかったはず。だから彼は、ギリギリまで悩んで、苦渋の決断をするしかなかったんだ。でもそこで出た結論だって、君が憎かったからじゃないはずだ」
「────────」
その名前を耳にして、心臓が物凄いスピードで跳ねた。
私が心の底から愛した人。私のことを何よりも愛してくれていると思っていた人。
彼が私に剣を向けたときの、その表情は一体どういったものだったか……。
「ファウストはね、今幽閉されてるんだよ。でもね、それはきっと、ドルミーレのことを嫌いになっていたら、もう少し軽い処分になっていたと思うの。だって彼は王子様だし。それでもそうやって閉じ込められているってことは、彼はあなたを恐れつつも、でもやっぱりあなたを好きだって気持ちがなくならないからなんだよ。私たちと同じ、ドルミーレと、同じ」
「っ………………」
頭がぐちゃぐちゃになる。冷静に物事が考えられなくなる。
私はこの世界の何もかもに絶望して、もう何も信じられないと思って、全てが憎らしく思った。
その感情は今でも揺るがないし、何を言われたって心変わりはしないだろう。
でも、確かにこの心の奥底の底に、希望に似た輝きがある。
信じられないのに、憎らしいのに、悲しくて辛くて憤っているのに。
でもそれを全部無視して、かつて愛した人たちを思う心が、霞のようにささやかにあるような。
信頼を全て切り払われて、私はとても傷ついて、もう二度と許せないと思っているのに。
絶対だと思っていた繋がりがあまりにも脆いことを知って、それはまやかしでしかないと理解したのに。
どうして私は、心の奥底で、彼らを未だに想っているのだろう。
「もう、やめて────」
頭を抱えて俯く。
止めどなく膨れ上がる絶望と憎しみの中で、それを切り裂かんとする言葉が痛くてたまらない。
もう希望なんて持ちたくない。綺麗事を並べて、期待を持ちたくない。
その果てにある絶望と落胆を、もう二度と味わいたくない。
「もう私に、前を向かせないで頂戴……」
希望という夢を見て、絶望という現実を知るのは、もう嫌だから。