93 悲しい決断
気がつくと、私は国の西にある花畑の只中にいた。
咲き誇る花々の中に無作法に寝転がって、呆然と仰向けに寝転がっている。
何をする気力も起きず、私はただただ無為に青い空を眺めた。
どうしてここに来たのかは、よくわからなかった。
ここは以前、ファウストに連れられてやって来た、彼の秘密の場所だ。
そんな場所へ無意識に訪れたということは、私はまだ彼に未練があるということなのだろうか。
「……くだらない、くだらないわ、まったく」
腕で目元を多い、私は力なく呟いた。
人と共に過ごすことを知り、その温もりを知って。
他人に関心のなかった私も、少しずつヒトとの繋がりを理解してきていた。
そう思っていたけれど、それはどうやら勘違いだったらしい。
けれど、そんなものはよくわかっていたことだ。昔から、よく。
忘れようと、目を逸らそうと、都合よく解釈しようとしていただけで。
現実というものは、はじめから何一つとして変わってはいない。
ヒトは、人間は私という存在を決して受け入れない。
私という理解を超える存在を、決して容認したりしない。
私がどんなに心を開こうとしても、手を差し伸べようとしても、何を努力しても。
人間とは違い、そして多くのヒトと違う私は、誰にも受け入れられたりなんてしない。
そんなこと、昔からよくわかっていたはずなのに。
私は何を舞い上がって、何を勘違いしていたんだろう。
澄み渡る晴天が、私に暖かな日差しを降り注いでいる。
しかし今の私の心は、激しい雨に打たれているかのように、冷たい感情が全身に流れていた。
意識も感情も、全て激流に流れ落とされてしまうみたいに、心がどっしりと重い。
それなのに心はあまりにも空虚で、穴が空いたというよりは、心が透き通ってしまったみたいだった。
それほどまでに、私の胸はスカスカになってしまっていた。
どうして、こんなにも虚しい思いをしなければならないんだろう。
私は一度だって、誰かに危害を加えたことはない。
この強大すぎる力だって、全力で振るったのは今日が初めてで、いつもは些細なことにしか使わない。
なのにどうして私は人々から、彼らから、あんな目を向けられなければならないんだろう。
でも、どんなに疑問を抱いても、どんなに理解ができなくても、それこそが真実。
私は人々にとって化け物で、世界を脅かす災厄に見える。
それは、私がどんなに否定したとしても、どうしたって拭うことのできない現実。
事実かどうかは問題ではなく、飽くまで周囲にどういう印象を与えるかとういう、そういう問題。
私がいかに無害で、いかに友好的にしようとしているかなんて、そんなことは関係ない。
でもそれは、仕方のないことなのかもしれない。
だって私は、他のヒトたちとあまりにも違うのだから。
辛うじてヒトの形を得ているけれど、その中身には世界と密接に繋がった、無尽蔵の力が渦巻いている。
神秘を持つ他の種族から見たって、私は別次元の存在だった。
世界から生み出され、世界そのものの力を扱い、そしてヒトと世界の繋がりを深める役割を持つ私。
それが、普通のヒトと同等の存在なわけがなく、だとすればわかり合えるわけがない。
それほどまでに存在としての規模が違えば、確かに私は化け物のように見えるだろうから。
だって、あの悍ましい魔物であるジャバウォックは、私の力の一部から生まれた対照存在。
ということは、私自身にもあんな風な怪物になる要素があるということだ。
それがわかりやすく表面化していないだけ。ジャバウォックはそれを映し出していたんだ。
「私は化け物……ヒトの形をした怪物……ヒトの、敵…………」
何が、ヒトと世界を繋げる役割を持つ者だ。
ここまで他人と隔絶した存在の私が、ヒトを神秘の深みに導けるわけがない。
そもそも私自身が、とてもではないけれどヒトと交われないんだから。
もう、疲れてしまった。否定することも、傷つくことにも。
期待するから、そんな無駄な労力を使うんだ。もう何もしなければいい。
そもそも私は、周りのことなんて微塵も興味なんてなかったじゃないか。
誤解されて否定して、罵られて傷ついて、歩み寄ろうとしたら拒絶されて。
そうやってヒトに受け入れられる道を歩もうとするから、挫折して傷付く。
一番最初、昔のように他人のことなんて気にしなければいい。
そうすれば、もうこんな気持ちになる必要はないんだから。
「戻ればいい、最初に……でも、私は知ってしまった。知ってしまったのよ……」
誰かといるということを、そこで得られるものを、私は知ってしまった。
だから私は、何も知らなかったあの頃にはもう戻れない。
だからどんなに捨て去ろうとしても、この悲しみは無くなってくれない。
拭い去れない悲しみが私の心にこびりついて、どんどんと厚く重なっていく。
何度も積み重ねてきた悲しみが、濃厚な闇のように私の感情を重鈍にしていった。
この気持ちは、どうしたって失くすことはできなくて、失くそうと思えば思うほど、どんどんと濃くなっていく。
「どうして私がこんな思いを……私は、何にも悪いことなんて、していないのに……!」
果てのない悲しみは、同時に怒りを呼び起こす。
責められる謂れなんて微塵もない私が、どうしてこれほどまでの責め苦を受けるのかと。
自身の恐怖に向かい合いながら、無謀を貫きながら、必死に守った人々にどうして、私は罵られなければいけないのか。
その結論は、遠の昔に知っている。
ヒトというのは浅慮で、自己中心的で、愚かな生き物だからだ。
表面しか見ることができず、深く思慮することができず、自らの保身しかできない。
物事の真実に目を向けられない、愚かな存在なんだ。
そんな劣悪な生き物に、私のことが理解できるはずがないんだ。
私たちはわかり合えないんじゃない。他人に、私のことがわかるわけがないんだ。
彼らにその意思があり、それだけの能力があれば、私はこんなにも否定されないだろうから。
「そう、そうよ。私は何も悪くない。私を理解できない、愚かな連中が悪いのよ。だって私は、何にもしていないのだから」
そう考えると、憎しみが膨れ上がってきた。
私を悪魔だなんて呼び、怪物のように見て、そして悪魔と蔑むその傲慢さ。
自分たちの愚かさからくる不理解を全部私のせいにして、勝手に恐れ慄いて、私の心を抉る。
どうしてそんなに、私を悪者に仕立て上げたいのだろう。
「……いいわ。あなたたちが望むのならば、なってあげるわよ。悪魔にでも何にでも」
ストンと、そんな思考が頭の中でまとまって、私は上体を起こした。
枯れることのない悲しみが、尽きることのない怒りが、際限のない憎しみが、私をその結論へと導いた。
私のことを理解できず、恐れ慄き、そして悪しきものだと罵るヒトビト。
誰しもがそう呼ぶのなら、望む通りこの世界の恐怖になってやろうではないかと。
ヒトの理解の及ばない、強大な力を持って圧倒して見せよう。
逆らうものには容赦なく鉄槌を下し、あらゆるものを虐げよう。
この世界の全てを、私が塗りつぶしてしまうのもいいかもしれない。
「そうね、それできっといいんだわ。世界すらも私を憎んで、あんな化け物を差し向けてくるんだもの。それが嫌なら、私が変えてしまえばいいんだわ」
そう考えると、また笑いがこみ上げてきた。
何もかもが馬鹿らしくて、嗤わずにはいられなかった。
誰も私を受け入れてはくれない。世界すらも、私を嫌って排除しようとする。
そんな中で生きていくのならば、私は自らを押し通していくしかない。
それが人々にとって悪魔だろうが怪物だろうが何だろうが、そうしていかなければ淘汰されてしまう。
「こんな醜い世界、こっちから願い下げなのよ」
私のことを受け入れてくれないものを、私が気遣う必要なんてない。
どうして私が周りに媚び諂って、歩み寄って、受け入れてくださいと泣かなければならないんだろう。
私は悪くない。私を受け入れないヒトビトが、この世界が悪いんだ。
私は誰のことも知らず、思うままに生きる。それが彼らの目に邪悪と映ろうと、知ったことではない。
悲しみも怒りも憎しみも、しまい込まずに解放しよう。
ただ一人、何一つ憚ることなく、自らのことだけを考えて、好きなように生きていこう。
だって、ヒトの繋がりなどくだらないと、私はわかってしまったから。
だから、ヒトと決別しよう。世界と、決別しよう。




