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88 混沌に対するもの

「ファウスト────いけない!」


 明らかに人の手に余る怪物に対し、ファウストは今にも飛び掛からんと睨みつけていた。

 城の下部は私がさっき張った結界があるから、今のところ安全圏と言える。

 しかしジャバウォックはその真上にいて、恐らくその気になれば結界を破りさることだって可能だ。

 もし狙われでもしたら、ひとたまりもない。


 案の定なのか、ジャバウォックは彼の叫びに反応したかのように、その頭を真下に向けた。

 ギョロリと飛び出た瞳が、城から姿を現した人々を捉え、まるで嘲笑うように裂け広がった口を開けた。


 途端、ジャバウォックから大きな力を感じた。

 その力が攻撃として真下に向けられていることは明らかだ。

 ジャバウォックは基本的に私しか見えていないような立ち振る舞いだけれど、あそこには私の大切な人たちがいる。

 あの魔物が抑止として私の行動を反するのならば、彼らはまさに粛清の対象だ。


『────────────!!!』


 ジャバウォックが大きく吠えたのと同時に、その黒々とした体から大量の闇が吹き出した。

 それは全方位に放射状に噴出され、城全体を飲み込まんと押し広がる。

 そこから感じる高密度の重圧は、恐らく物理的で実際的な重みだ。

 あの闇のような黒いものは、圧倒的な質量で城を押し潰さんとしていた。


「そんなこと、させるものですか……!」


 地を駆けても、飛行しても間に合わない。

 私は瞬時に空間を飛び越え、ファウストたちがいる城壁の中に飛び込んだ。

 瞬きの間に突如現れた私に驚く声を全て無視し、私は頭上に向けて一筋の光を撃ち込んだ。


 ジャバウォックの登場より暗雲に覆われていた街の中で、私が放った光は多くを照らした。

 流星が打ち上がったような輝きが光速で飛び、大きく広がった闇を切り裂く。

 それはジャバウォックそのものまでは到達せず、直前で弾けてしまった。

 しかし弾けたことで周囲に光の筋が無数に拡散し、城を覆い尽くさんとしていた闇を全て切り払った。


「ドルミーレ……!」

「出てきてはダメだと言ったでしょう。あれは、ヒトの手に余る存在よ」


 目先の危機を回避したところで、ファウストが心配そうな声を上げながら駆け寄ってきた。

 輝かしいその相貌はひどく憔悴していて、この未曾有の状況に対する疲労が窺える。


「すまない。しかしこの惨状を見ては、いてもたってもいられなかったんだ。貴女だけにあんな化け物の相手をさせるんだんて……」

「気持ちはありがたいけれど、でも私以外には相手なんてできないものよ。あなたは、自分と周りの人間のことを考えていて」

「しかし……」


 今すぐ彼の腕に抱かれたい衝動を抑え、私は努めて厳しく言った。

 あんな(おぞ)ましいものの相手なんて私だってしたくないし、向き合っているだけで心が擦り減ってたまらない。

 けれどそれではこの世界自体が台無しになってしまうかもしれないのだから、そうも言っていらない。


「ドルミーレ、大丈夫なの? あれ、なんだかすっごく危ない感じがするんだけど……」

「あれはお伽話のジャバウォック……みたいなものかい? 伝承通りの化け物なら、例え君だって……」


 ファウストが口籠っている間に、ホーリーとイヴもまた駆け寄ってきた。

 二人して私に縋り付くように身を寄せてきて、卒倒しそうな白い顔でこちらを見てくる。


「大丈夫、と言いたいところだけれど、正直とっても厳しいわ。でも、私がなんとかしないと」

「無理しちゃダメだよ。ドルミーレだけが頑張る必要なんてないんだから……!」

「そうだよ。あれが本当に混沌の魔物なら、全てを喰らい尽くす正真正銘の化け物だ。そこに存在しているだけ負を撒き散らしてるあれに、君一人でなんて」


 二人は魔物のことや、私の力のことをはっきりとはわかっていない。

 けれどあのジャバウォックを目の前にすれば、あれが持つどうしようもない邪悪さは理解できるのだろう。

 本能的に、あれには関わってはいけないと、そう感じ取っている。

 だからこそ、私の力の強大さを理解している上で止めてくれる。


「ありがとう。でも、これは私の責任だから。私は何よりも、自らの愛するものを優先する生き方を選んだ。あの魔物は、そんな私への罰なの。だから、それを討ち果たすのは私の役目。逃げるわけにはいかないわ」


 私の言っていることは、きっとあまり理解できないだろう。

 けれどそれでも、私があれと向き合おうとしている意思は伝わったようで、二人は愕然とした表情を浮かべた。


 私はそんな二人にごめんなさいと謝って、それからファウストに目を向けた。


「そういうことだからファウスト、あなたは二人と一緒に待っていて。どこまでできるかはわからないけれど、でも絶対に、あなたたちのことは守ってみせるから」

「……それしか、私にはできないということか。貴女が脅威に立ち向かうのを、ただ信じて待つことしか」

「ええ、でもそれが私の力になるわ。あなたたちが私を信じてくれる、その純粋な気持ちが闇を切り裂く力になるから」

「貴女がそう言うのなら、私は全ての祈りをその心に捧げるよ」


 悔しそうにしながらも、ファウストはそう言って笑顔を作った。

 自分の非力さを嘆きつつ、しかし私の足を引っ張るまいと懸命に力強くあろうとしている。

 その気持ちはわかるけれど、でも私にとっては、そうやって私のことを想ってくれることが一番ありがたい。

 私は一人ではないのだと、それを実感できるから。


 ホーリーもイヴも、渋々ながら同意してくれた。

 人智を超えた力が渦巻いている現状では、私の言うことを聞く他ないとわかっているんだ。

 少し離れたところでは、王をはじめとした人間たちが慌てふためいて喚いているのが見える。

 未だ私に対する誤解を持っているのだろうけれど、今はそんなことはどうでもよかった。


『────────────!!!』


 ジャバウォックが再び大きく咆哮し、そしてとうとうその巨体を城の上部から離した。

 竜の翼と妖精の羽で大きく羽ばたき、黒々とした空に浮かび上がる。

 大空から私を見下ろすジャバウォックからは、今までよりも更に大きな力が渦巻いているのを感じた。


 存在しているだけで世界に悪影響を与えるジャバウォック。

 世界は軋み続け、未だ空間は(ひず)み、大地は戦慄いている。

 あの魔物が明確な攻撃を仕掛けてこなくとも、このままでは世界が崩壊するのは時間の問題だろう。

 しかしジャバウォックは、そんな緩やかな終焉ではなく、直接的な終わりを行おうとしていた。


 その穢らわしい体に集結する、混沌とした魔力。それは可視化するほどに濃厚で、ジャバウォックを中心に闇が渦巻いているようだった。

 暗雲に覆われた黒い空で闇が渦潮のようにトグロを巻いて、底のない流砂のように全てを飲み込まんとしている。

 あれに抵抗するには、単純な力だけでは難しいように思えた。


 ジャバウォックが混沌という性質を持って、世界の法則や魔法の力を乱しているように。

 あの魔物に反するような、何か絶対的な力の方向性が必要だ。

 混沌という際限のない闇を打ち払う、光となる反抗的な力が。


「────世界の真理」


 そう考えた瞬間、私は一つの事実を思い出した。

 私の魔法という力は、世界に影響を与える力であり、その大いなる力の根源は世界の真理から(いず)るもの。

 今までその真理とやらを意識したことはなかったけれど、でもそれそのもは事実のはずだ。

 ヒトビトをより深い神秘へと誘ない、世界との繋がりを深める役割を持っている私の力は、その為に世界の深層と繋がっている。

 だから、世界の力そのものともいえるこの力は、世界の真実の一端に触れているという話だった。


 真理とは即ち、全てに対する唯一無二の、絶対的答えだ。

 それは、全てを混ぜ込み有耶無耶にしてしまう、混沌とは正反対の性質だといえる。

 つまり、混沌を振るうジャバウォックに対し、真理を振るえば対抗しうるということ。


 そもそも、私が真理に通ずるものだから、その抑止として対照的な混沌が現れたのだろう。

 抑止とはつまり、同等の力を持って牽制ができるものだとういうこと。

 ならば、混沌が私に対して抑止足ると同時に、私の真理もまた混沌に対する抑止になるということだ。


 私とジャバウォックは、決して一方的な相性関係ではない。

 私たちは相反しているからこそ、お互いに対して抑止足るということだ。


 なら今こそ私は、全力を賭して自らの力で真理へと手を伸ばそう。

 本来はそれを持って、ヒトビトを深い神秘へと誘なうべきなのだろうけれど。

 私は、愛するものを守る為だけに、世界の真理とやらを使ってやる。


 世界そのものを押し潰さんばかりの、混沌の重圧がジャバウォックより空から降りかかってくる。

 私はそれを見上げながら、自らの持てる力の、その全てを解き放った。

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