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73 花畑の中で

 ある日、私とファウストは外で待ち合わせをした。

 最初の頃は彼が森に訪れることが多かったけれど、回数を重ねるにつれ、他所へと出かけることも多くなっていた。

 そんな時は大抵、彼が住む王都の近くまで私が足を運び、街の外で待ち合わせをすることが常だった。


 今日もそれは例外ではなく、私は王都から少し離れた草原の只中で彼がやって来るのを待った。

 少し強い日差しを避けるのにちょうどいい木がって、私はその木陰に隠れて馬の蹄が地を蹴る音が聞こえてくるのを待つ。

 久しぶりに新調した黒いドレスが柔らかな風にたなびいて、少しだけ日差しの暑さを紛らわせてくれた。


 ファウストと出会ってから、私も少しだけ身なりというものに気を使うようになった。

 けれど、それでも街に住む洒落っ気のある女性たちのように着飾るのはどうにも恥ずかしく、それに勝手がわからなくて。

 結局いつも、私は黒いコーディネイトに落ち着いてしまって、それを二人の友人に呆れられてしまう。


 一度彼女たち、主にホーリーのプロデュースで色々と面倒を見てもらったことがあるのだけれど、でもそれはどうにも私が気に入らなかった。

 彼女たちが提案してくれる華やかなカラーリングや、ひらひらとした可憐な装いは、確かに可愛らしく、そして綺麗なものなのだろうけれど。

 でもそれをいざ自分が身につけることを考えると、どうにも気乗りがしなかった。


 だから結局私は、髪型も服装もいつもそんなに変わらなくなってしまう。

 服の方は多少趣を変えたりしているけれど、友人からの評価はいつも厳しい。

 ただファウストは毎回、私が服の様相を変えていることに気づき、褒めてくれる。

 それに彼は、私の黒髪には黒い服が似合うとそう言ってくれるから、ついその言葉に甘えてしまうのだった。


「お待たせ、ドルミーレ。今日は抜け出すのに少し手間取ってしまった」


 のんびりと木に背中を預けていると、草原をファウストが馬を走らせてやって来た。

 雪のような毛並みが美しい白馬に跨ったファウストは、私の目の前で止まると、そう優しく微笑む。

 その笑み、そして雅な様相は、初めて会った時と変わらず凛々しく、そして柔らかだ。

 その顔を見られただけで日差しの暑さなんて忘れてしまう。


「気にしないで、ファウスト。時間なんていくらでもあるのだから」

「そう言ってもらえると助かるよ。さぁ、それでは行こうか」


 ファウストから伸ばされてた手を取り、私は馬の背に飛び乗った。

 二人乗りの鞍の後方に横乗りで腰掛けると、すぐさま彼の腰に手回す。

 ファウストは私が落ち着いたのを確認してから、そっと馬を進めた。


 白馬は心地よいスピードで草原を駆けていく。

 軽快なリズムを刻みながら、人の手が及びきっていない自然の中を、まるで風になったかのうように。

 私はそんな爽やかな風と振動を感じながら、前に座るファウストの背中に身を預けた。


 馬に乗っての移動なんて私にとってみればとても原始的で、そして非効率なものだ。

 けれど私は、こうやって彼と共に地を駆けるのが好きだった。

 彼にこの身を預け寄り添い、共に同じ目的を目指し、誰にも邪魔されることなく二人だけの時を過ごせるから。

 それに、手綱を握る真剣な眼差しや、揺れる金髪、僅かに滲む汗、そして私を導かんとするその佇まい。そういった姿を眺めることができるから。


 私が魔法を使えば、二人でどこへでもあっという間に行くことができるけれど。

 でも私はこのひと時が好きだから、そんな無粋な提案をすることは決してなかった。


「着いたよ、ドルミーレ。ここを貴女に、是非見せたかったんだ」


 王都を発ってから、ひたすら西へ向かってしばらくした頃。

 ようやく馬を止めたその場所は、一面に花が咲き乱れた天然の花畑だった。


「まぁ、素敵……」


 見渡す限り全てが花に埋め尽くされた光景に、私は思わず声をこぼした。

 数え切れないほど多彩な種類の花々が、まるで豪華絢爛なカーペットのように広がっている。

 燦々とか輝く太陽の輝きを受けることで、その鮮やかさは更に際立ち、美しい光景が辺りを満たしていた。


「気に入ってもらえたようでよかった。さぁ、少し歩こうか」


 鮮やかな光景に目を奪われた私に微笑みながら、ファウストは先に馬から降りてそう言った。

 その声で我に返った私は、彼が差し出してくれた手を取り、馬から飛び降りて彼の腕に抱きとめれらる。

 ファウストはもう一度私に微笑んでから、馬を撫でて近くの木に繋ぎ、花畑の奥へと私の手を引いた。


「ここは、まだ誰の手も加えられていない、自然の花畑なんだ。昔、ふとここを見つけてね。時折こうやって一人で訪れて、日頃の疲れを癒しているんだ」

「つまりここは、あなたの秘密の場所ということ? そんなところに、私を連れて来てよかったの?」

「もちろん。君だからこそ。君には私の大切なものを共有したいからね」


 ほぼ足の踏み場もないような花の隙間を、二人で慎重に歩きながらゆったりと辺りを見渡す。

 ファウストは私の手をしっかりと握り、そして私はそんな彼の腕に掴まり、身を寄せ合って僅かな道を進んだ。


「ドルミーレ、貴女は私の大切な人だ。だからそんな貴女には、私の全てを知ってもらいたい。この花畑や、それ以外のものも。私が大切にしているものの全てを、私は貴女と分かち合いたいんだ」

「ありがとう、ファウスト。私も是非知りたいわ。一体何があなたを構成しているのか。あなたが好むものの全てを、私は知り、そして理解したい」


 華やかに咲き乱れる花々。風に流されて舞う花びらの数々は、まるで私たちの道行を祝福しているかのようだ。

 美しい花々に彩られたファウストは、いつにも増して輝かしく、清らかで逞しい。

 この美しい花畑を愛でるその心は、私が知る誠実な彼そのものをよく表していると思った。


 このように、いつも彼は私に自らを示してくれる。

 彼が良いと思う場所や、彼が私が好むだろうと思う場所、それにお互いが興味を示すような場所。

 そういった所を選んで、彼は私を連れ、いつも私に未知の体験をさせてくれる。

 その全てが、彼というヒトを示していて、私にはそれがたまらなく好ましかった。


 ファウストといれば、どこに行っても幸せな気持ちになれる。

 それが、彼が私を思って連れてくれた場所ならば尚更で。

 私は、こうして彼と連れ立って色々な場所に赴くこの時間がとても好きだった。


 ただ、少し引っ掛かりというか、もどかしさを感じることがあるとすれば。

 それは、私たちが今まで一度も、愛を口にしたことがないということだ。


 私は彼を愛しているし、彼もきっとそれは間違いない。

 私たちは互いに愛を語り合っているけれど、しかし一度も「愛している」と口にしたことがなかった。

 態度や、会話の節々で示しあっていても、明確な言葉を言ったことがなかった。

 それが今抱えるもどかしさであり、同時にその時が来ることへの羞恥だった。


 私はファウストをとても愛しているし、彼からも沢山の愛をもらっている。

 けれど、それをいざ言葉にしろと言われるとあまりにも気恥ずかしい。

 それにもし面と向かってそんなことを言われたら、なんて反応していいのかわからない。


 だから私は今まで一度も、自ら口にしようとしてことはないし、彼から明確なものを求めたことはなかった。

 でもこうやって幸せなひと時を過ごしていると、欲してしまう自分も確かに存在する。


「────ドルミーレ。私は、貴女に言わなければならないことがあるんだ」


 しばらく花畑の中を散歩していると、ファウストは不意にそう言った。

 思わずドキリとしてしまった私がぎこちなく顔を向けると、彼はやや真剣な面持ちで微笑んでいた。


 私が先を促す仕草を向けると、ファウストは私の手を引いて近くの木の下に(いざ)なった。

 木陰で身を寄せ合って座り込んでから、ファウストはゆっくりと口を開く。


「ドルミーレ。言わないつもりはなかったのだけれど、なし崩し的に今日になってしまった。しかし、これからも貴女と過ごしていくために、きちんと伝えておきたいんだ」

「どうしたの? 改まって────」


 妙なことを考えていたからか、無性に緊張してしまう。

 それでもそんな素振りなど見せないよう努めて尋ねると、ファウストは堅めな表情で言葉を続けた。


「私の、身の上の話だ」

「あなたの、身の上……?」


 予想外の言葉に、浮ついていた心が一気に落ち着いた。

 しかしそれは確かに私たちの中で触れずにいたことだったから、気にならないといえば嘘になる。

 彼の真剣な眼差しの意味に合点が言った私は、そのまま静かに続きを待つことにした。


 するとファウストは、私の手を握る力をやや強め、息を飲んでから口を開いた。


「私は名は、ファウスト。ファウスト・ハートレス。この国の、王子なんだ」

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