55 女の子
「ねぇねぇ、ドルミーレって恋したことある?」
ホーリーがそんなわけのわからないことを言い出したのは、私が『にんげんの国』に帰ってきて一年ほどが経った頃のこと。
二人で国の王都に足を伸ばしている最中、とてもウキウキした様子で尋ねてきたのだった。
ホーリーとイヴニングとの新しい日々を始めた私だけれど、もう子供ではない私たちは、ずっと森の中にいるのには限界があった。
私一人で暮らしている分には、特に問題はないのだけれど。
でももう森の中で遊び回れるような年頃でもなく、私たちは次第に森の外に行くようになった。
二人の町に赴くのは流石に無理があるけれど、それ以外の場所なら私の姿を知る人間はいない。
国外れの森に住む悪魔の噂は、もしかしたら聞き及んでいるかもしれないけれど。
でもそれを私に直結させることはないだろうと高を括り、実際誰に何を言われることもなかった。
だから私たちは邂逅の場を森から外へと移し、私の魔法を使って国の至る所に遊びに出るようになった。
『にんげんの国』を旅していたホーリーも、巡れたのはその半分ほどだという話だし。それにイヴニングが町の外に興味津々だった。
私も『にんげんの国』には明るくないから、二人と同じように新鮮な気持ちで各所を見て回ることができた。
普通のヒトであれば、じっくりと時間を掛けなければ行けないところへも、私の魔法があればひとっ飛び。
どこへでもあっという間に迎え、そしてあっという間に帰ってくることができる。
すぐそこに行く感覚で遠くへと赴ける手段があるというのも、こうした遊びをする理由の一つだった。
そんな日々の中、今日はイヴニングは来られず、ホーリーとの二人旅。
今となっては、どちらかが欠けることは特別珍しいことではない。
ホーリーと二人の時は、いつにも増して彼女が一方的に色々と話すのだけれど、今回の話題は中でも突き抜けていた。
「……ホーリー。あなた、何を言ってるの?」
「恋だよ恋! え、もしかしてドルミーレ、恋の意味知らない?」
何て答えて良いのかわからず、取り敢えず質問で返す。
するとホーリーはあからさまに驚いた顔をして、しかしニコニコと楽しそうに笑った。
彼女たちの田舎町とは違う、レンガ造りの整然とした王都の街並み。
他の国のような満ち足りた豊かさとは違うけれど、しかし人の往来が多く、活気に溢れている。
ホーリーは私の腕に自らの腕を絡め、ややひっぱりながら、交差する人の間をするすると抜けていく。
王都の賑わいに浮かれているのか、はたまた話題に一人盛り上がっているのか。その辺りは定かではない。
「言葉の意味はわかるし、概念も把握しているわ。でも、どうしてそんなことを私に聞くの?」
「どうしてって、女の子だしさ。思えばドルミーレとそういう話したことなかったなぁって思ってー!」
「…………」
十八になった少女とは思えない無邪気な口振りに、思わず溜息がこぼれてしまう。
私に二人以外の交流はなく、そして何よりヒトとの関わりを極力断ってちることは知っているだろうに。
そもそも他人に関心が薄い私には、恋以前の問題なのだから。
「ドルミーレは世界中を色々旅してたんでしょ? 素敵なヒトとかいなかったの? ほら、人魚とか男女問わず綺麗そうじゃない? どうだった?」
「私は特に何とも……そういうことを気にしていなかったから」
「えー。もう、つまんないなぁー」
思い当たる節などないとわかりつつ、旅をしていた頃の記憶を思い起こしながら返す。
世界中を巡るにあたってヒトとの出会いはもちろんあったけれど、そこに交流があったわではない。
必要最低限のものを取り交わすだけだった私には、ホーリーが求めるような出来事はなかった。
正直、顔を合わせたヒトたちの中で、覚えているヒトは大分少ない。
「まぁ、もちろん無理に恋しろとは言わないけどさぁ」
ホーリーは私の淡白さに唇を突き出した。
「でもドルミーレも女の子なんだし、そういうこと考えたりしないの? 理想の人とか、何か憧れのシチュエーションとか」
「ない、わね。女というのは、そういうことを考えるものなの?」
「絶対じゃないけどね。女の子は結構、恋とかそういうのに憧れる子が多いと思うよ?」
「イヴニングも?」
「あー、イヴは除外で」
そういうものなのかと思いつつ、真っ先に浮かんだ友人の名前を挙げてみる。
するとホーリーは苦い顔をして、呆れるように溜息をついた。
以前身なりの話をした時もそうだったけれど、イヴニングはホーリーが言う『女の子らしさ』というものがない。
その辺りに関しては、彼女は例外に当たるんだろう。
しかし確かに、こう人の多い王都に出てみると、女性はその雰囲気に彩りを持っているように見えた。
国外れの田舎町に比べると様相は鮮やかだし、華美な出立のものも多い。
身なりに関しては男性にも言えることだけれど、女性の方がそこに重きを置いているように見える。
子連れの家族や、男女で連れ立っている人たち。
そんな姿を見ると、特定の誰かに想いを寄せ、関係を強めることにヒトは心の多くを割いているのだとわかった。
恋という感情の動きそのものはわからないけれど、人は誰かに強く焦がれたいものなのかもしれない。
そしてホーリーいわく、女性はそれに夢を抱き、憧れを抱くことが比較的多いのだろう。
「そう言うホーリーはどうなの?」
二人で王都の大通りを歩き、いくつかの道が行き合う交差点に出た。
次はどこに行こうかと首を動かす彼女に、私は純粋な興味で疑問を投げ掛ける。
「え!? と、言いますと……!?」
「いえ、その恋とやらについてよ。あなたはどうなの?」
不自然に素っ頓狂な声を上げたホーリーは、私の腕から手を放して飛び上がった。
自分が振ってきた話題だというのに、どうしてそこまで狼狽えるのか。
私が少し訝しみを含みながら言葉を続けると、ホーリーは慌てて首を横に振った。
「ないないない! 私はなーんにもないよ! もちろん興味はあるけど、これっていう人に会ったことないもん!」
「なんだ、そうなの。自分に心当たりがあるからこそ、そういう話をしてきたのかと思った」
「むしろ逆だよー。自分にないから、人の話を聞いてトキメキのおこぼれに与ろうかと思ってさー」
ホーリーはすこしやさぐれた表情でそう言った。
彼女こそ、国を巡る旅の中で何かあっても良いように思えるけれど。
彼女は人間で、人間の国に住んでいて、もちろん想いを寄せる対象も人間なんだろうから。
ホーリーは陽気で人当たりがいいのだから、色々といい出会いがあったっておかしくなさそうだ。
ホーリーは散々首を振ってから、切なげに溜息をついた。
「あーあ。素敵な王子様みたいな人に出会えないかなぁ」
「ホーリーは、この国の王子と恋をしたいの?」
「ち、違うよ! ものの例え! 本物の王子様なんて無理も無理! 貧しい人間だといっても、私みたいな田舎者と王子は流石に住む世界が違うもん」
何故だかものすごく慌てた様子のホーリーは、そう否定しながら急いで周りを見回した。
誰も私たちを気にしていないのを確認して、はぁと重い溜息をつく。
「もう、ドルミーレったら。ここは王都なんだから、そういう話はダメだよ。誰かに聞かれたら恥ずかしいでしょ?」
「そういうものなの。それはごめんなさい」
放していた腕をまた私に絡ませたホーリーに、取り敢えず謝っておく。
まったくもうと顔を落としたホーリーは、しかしすぐにハッとした顔をした。
「そうそう、そういえば! 前ここに来た時、私本物の王子様見たんだよー!」
そうやって、自分から振った話題を強引に変えたホーリー。
恋の話は自分が痛手を被ると思ったのだろう。
私が相槌を打つと、ホーリーはケロッと気分を変えて思い出話を始めたのだった。




