53 涙
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ホーリーとイヴニングが森を去ったのは、日が暮れる切る手前のことだった。
もう幼子ではない二人だが、ホーリーの帰郷は既に町中が知っているだろうことから、帰宅が遅なることを避けたのだ。
ドルミーレの申し出により、二人は彼女の魔法の空間転移で、森の奥の小屋から町境の近くまで送り届けられた。
五年前にも一度経験している空間の跳躍だったが、しかし二人は驚きを隠せなかった。
特に今回は一方的に突き放されたのではなく、友人による送迎だった為、二人はその不思議な体験を十分に驚き、そして楽しんだ。
共に町外れまで跳んできたドルミーレと笑顔の別れを済ませると、彼女は夕暮れの闇に溶けるように、再び空間を超えて帰っていった。
そんな姿を見送ってから、ホーリーとイヴニングはこっそりと町の中に足を向けたのだった。
「『魔法』か。神秘ってやつは本当にとんでもないね」
二人でイヴニングの家に向かう道中のこと。
今体験した魔法の余韻に浸りながら、イヴニングがポツリとこぼした。
森に向かう前、ホーリーの大荷物を一旦イヴニングの家に置いていっていたのだ。
「すっごいよね。昔もすごかったけど、もっとずっとすごくなった気がする。ドルミーレは本当に何でもできるのかもしれないね」
ホーリーはイヴニングの横でひらひら踊るように歩きながら、元気よく声を上げた。
国内を旅して色々なことを経験した彼女だったが、やはり神秘に勝るものはなかったのだろう。
その瞳はいつになく輝いている。
「それに魔法っていう名前がいいよね。なんかこう、わくわくするしっ!」
「うーん。それに関してはきっと、あんまり前向きな意味じゃないと思うけどなぁ」
年甲斐もなくはしゃぐホーリーに、イヴニングは腕を組んで苦笑した。
自分の予想が当たって欲しくないと思いつつ、しかしそれしか考えられず、何とも苦い気持ちを抑えられないでいる。
「魔法って言うのはきっと、悪魔の力って意味だろう。自らをそう呼ばれたことを、きっと揶揄してのネーミングだ」
「あ、うぅ……」
イヴニングの言葉にハッとしたホーリーは、途端にシュンと肩を落とした。
ドルミーレがそう呼ばれていたことは、本人だけではなく彼女たちの心にも傷をつけているからだ。
「じゃあ、あんまり魔法って言わない方がいいかな? そうだ、私たちで新しい名前を考えてあげる?」
「どうだろう。寧ろほじくり返す方がよくないんじゃなかなぁ。印象が直結するものでもないし、とりあえずは彼女の意思のままがいいと、私は思うよ」
「そっか。そっかぁ……」
ホーリーは少し納得いっていなさそうだったが、しかしコクコクと頷いた。
語源はともかくとして、ドルミーレ本人が自身の神秘をそう命名したのであれば、もうそれはそういうことにしておいた方がいいのだろう。
本人がそう思い、そしてイヴニングがそう察しているのであればと、ホーリーはそれ以上そのことに言及するのをやめた。
そして少し、沈黙が続いた。
ほぼその姿が窺えない太陽の赤い光が、うっすらと差し込む黄昏の刻。
ホーリーとイブニングはトボトボと道を歩く。
言葉は交わされなかったが、お互いに考えていることは一緒なのだろうとわかっていた。
五年ぶりの再会を果たせたドルミーレ。もしかしたらもう会えなかったかもしれない親友。
彼女のことで頭がいっぱいで、胸がいっぱいだった。
彼女は必ず帰ってくる、信じて待ち続けていた。
けれどやはり心のどこかで、それは叶わないのではないかと思ってしまっていた。
それほどまでに、ドルミーレはあの時深く傷つき、そして絶望を抱いていたから。
だからこそ、この再会は奇跡のようで、二人にとっては至上の幸福だった。
五年前の約半年間しか関わりのなかった少女。
ただそれだけの関係で、二人の人生にとてはほんの僅かのできことだったけれど。
しかしその僅かな間で培ってきた時間は、二人の一生に色を残すものだった。
それはドルミーレが特別だったからではない。きっかけはそうだったかもしれないが、しかし理由ではない。
半年間毎日のように交流していた彼女たちには、明確な絆が出来上がっていたからだ。
種族も神秘も何一つ関係なく。ただ心を交わした友として、強い繋がりが生まれていた。
だからこそ彼女たちは、ずっとその胸にドルミーレを思い続けていたのだ。
「────よかったぁ」
不意にそうこぼしたのはホーリーだった。
しばらくの沈黙を破った言葉は、ひどく震えて弱々しい。
「また、ドルミーレに会えて、よかったよぉ」
言葉と共に涙が溢れる。
もう十七歳の彼女だったが、まるで小さい子供のように躊躇いなく嗚咽を漏らした。
そんな彼女の手を取って、イヴニングは腕を揺らした。
「……まったくホーリー。最後まで我慢しなよ。せっかく、彼女の前では泣かなかったのに」
「ごめん……でも、だってぇ」
「君が泣いたら、私も、我慢できなくなるじゃないか」
ポロポロと涙を流すホーリーの肩にもたれかかるようにしながら、イヴニングはか細い声を漏らす。
ドルミーレの前では、決して泣かなかった。泣くまいとしていた。
再会は涙ではなく、笑顔でしたかったら。長い空白は、楽しい笑顔で埋めたかったから。
何より、自分たちが泣いたら彼女を傷付けてしまうかもしれないから。
けれど、もう堪えられなかった。
たまたまホーリーが先に堪えきれなくなっただけで、イヴニングも限界だった。
堪えきれずに溢れ、頬を伝った涙をホーリーのせいにして、イヴニングは声をこぼした。
「信じて待っていて、よかった。大切な友達を失わなくて、本当に……」
五年前を後悔しない日はなかった。
もっと上手く立ち回っていれば、そもそも彼女を町に呼ばなければ。
ああすればよかった、こうしなければよかった。そうすれば彼女を傷つけることはなく、失うことはなかった。
二人は五年間、ずっとそう考え続けてきた。
だからこそ、ドルミーレが再びこの地を訪れ、「ただいま」と言ってくれたことが嬉しかった。
また三人で同じ時が過ごせる。これからはまた、あの森を訪れればいつでも会えるんだと。
そう考えると幸福で堪らなく、涙が溢れて止まらない。
暗くなった町の中を、二人の少女が泣きじゃくりながらトボトボ歩く。
子供のように憚ることなく。しかしこの時ばかりは気にならなかった。
ホーリーとイヴニングは、今まで溜め込んでいた感情を吐き出すように、思いのままに泣き続けたのだった。
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