49 おかえり
一瞬、全てが停止したような感覚に見舞われた。
目の前のものが理解できず、脳がフリーズしたように固まる。
扉が押し開かれた際の破裂音なような音は、すぐに森林の静寂に飲み込まれて。
無音よりも静かな、虚空の音が小屋の中を満たした。
絵画の中の人物が額縁から飛び出そうとしているかのように、戸口には二人の女がひしめき合って立ち尽くしていた。
我先にと部屋に入り込もうとしているようで、しかし唖然と驚愕に立ち尽くしているようにも見える。
どちらにしても、この小さな小屋の入り口を、大人の体格をした人間が同時に潜るのは難しいだろう。
そう。二人の女性が、小屋の入り口で茫然と私を眺めている。
幼い少女ではなく、人間としてはもう大人と呼んでもいい風体をしている大人の女。
私は、その女たちの顔をよく知っている。
「………………」
私は、言葉を発することができなかった。彼女たちも、どちらも言葉を発しはしない。
ただ、目が回るほどに視線が絡み合って、私たちは何度も何度もお互いの姿を確認しあった。
まるで何千年も経ったかのように、時間がゆっくりと流れた。
一人の女は白いローブをすっぽりと身にまとった、白尽くめの出立ち。
引き締まった印象がありつつも、どこかあどけなさを感じる。
軽くまとめたポニーテールは、相変わらず。
もう一人は、やぼったい服装のやや小柄な女。
ルーズという言葉を体現したような、ラフというよりはガサツな出立ちは、本人の無気力さを窺わせる。
しかしそんな乱雑な風体をしながらも、聡明で鋭い瞳は相変わらず。
私は、この二人の女を知っている。よく……知っている。
五年の時を経ても、一目でそれとわかるほどに。
時が止まったように固まって、驚愕と呆然に満ちた表情をしていようとも。
こうして顔を突き合わせ、瞳を交わし、共にここにあれば。私の心が、彼女たちを的確に感じとる。
しばらくの間、お互いを見遣るだけの時間が続いた。
私が二人を観察するのと同じように、二人も私をまじまじと観察して。
やがて二人は、どちらともなくゆっくりと小屋の中に足を踏み入れた。
「っ…………」
思わず息を飲んで、座ったままやや腰が引けた。
しかし二人はそんな私を意に介さず、驚愕から静かな笑みに切り替えてゆっくりと近づいてくる。
二人で顔を見合わせるわけでもなく、もちろん言葉を交わすわけでもなく。意思疎通なんてしていないのに。
それでもまるで以心伝心しているかのように、とても当たり前の動作で空いている椅子を引き、そっと腰掛けた。二人揃って、寸分違わず。
それは、五年前に私が用意した、二人が座るための椅子だ。
「ちょうどお茶を淹れるところだったのかな。いい香りだ」
「そうだね。私たちも飲みたいなぁ。ね、淹れてくれる?」
当たり前のように座り、当たり前のように紡がれる言葉。
まるで昨日まで同じ光景を繰り返してきたかのように、とても自然な事の流れ。
そんなわけがない。あり得ない。なのに、どうしてだか違和感が全くない。
五年前の『いつも』が、今も変わりなくここにある。
「………………」
私の唇は、まだ言葉を結んではくれない。
けれど魔法が勝手に働いて、二人分のティーカップを呼び寄せ、ポットがお茶を注ぐ。
まるで、私がそれを望んでいるかのように。
三人分のカップにお茶が満たされ、ハーブ系の澄んだ香りと温かな湯気が立ち込める。
先ほどとは比べ物にならない温もりが小屋を満たすのは、決して注がれたお茶の量のせいではないんだろう。
二人の女はカップをそっと両手で包むと、まるで至高の宝を手にしたかのように目を細め、しっとりと口をつけた。
あぁ、頭が働かない。全身が麻痺したように、体の感覚も感情もうまく把握できない。
この二人の存在が、私のあらゆるものを阻害して、鈍らせ、混乱させている。
二度と会わないと思っていた。会ってはいけないと思っていた。
人間ではない私は、人間である彼女たちとは相入れないから。
私たちがお互いの違いを明確に認識してまい、そして傷つかない為には、もう一緒にいてはいけなかったから。
なのに、今私の目の前には二人がいる。呼んでなんていない。知らせるわけがない。だから来るはずなんてないのに。
それでも今、二人はこうして私を目指してここにやってきた。一体、どうして……。
ただただ混乱し、動揺する私に、二人はそっと微笑んだ。
そこには激しい感情の色は窺えず、穏やかで慈愛に満ちた温かなもの。
それが一層私の理解を乱すのだけれど、二人はそれを崩さない。
世界中を旅してきて、多くを学び理解してきた。
魔法という神秘を極め、大きな力を手中に納め、自身が巨大な存在だと知った。
けれど今の私にそんなものなどカケラもなく、自分のことがか弱い小動物かのように感じられた。
何の力もない、ちっぽけでひ弱な、赤子のよう。まるで、丸裸にされたようだ。
それはきっと、二人を見た瞬間に、かつての日々を思い出したから。
無知で無垢な、ただの少女だった頃を思い出したから。
そんな私が、彼女たちと過ごした平凡な日々を思い出してしまったから。
彼女たちが私を友達と呼び、私もそう思っていたことを思い出したからだ。
それは私が、孤高の旅の中でもずっと胸の奥に仕舞い込んでいたもの。
もう、見ないようにしてきたもの。でも、捨てなかったものだ。
「ホーリー────────イヴニング────────」
やっと私の唇が紡いだのは、二人の名前。
それを口にするのが、今の私には精一杯だった。
そんな私に苦笑して、二人は声を揃えて言った。
「おかえり」
ごく自然に。まるで、毎日言っている言葉のように。




