45 会える気がする
「イヴ、なんだかあんまり変わってないね。しばらく会ってないうちに大きくなったなぁ、とか言ってみたかったのにー」
「そういう君だって、頭のてっぺんから爪先まで相も変わらずじゃあないか」
抱擁を解いて、すぐさま全身を舐めるように見回すホーリーに、イヴニングは渋い顔で返した。
実際彼女の身長は二年ほど前から打ち止めで、わかりやすい成長の変化はない。
伸びているのはその乱暴な髪だけだ。
「私は背伸びたよ? ほら、前まではそんなに変わらなかったけど、今は私の方が高いでしょー」
「中身の話をしてるんだよ私は。図体ばっかりデカくなっても、中身はお子ちゃまのままなんじゃないかい?」
「ひっどーい! 私だってもう大人なんだならー!」
まったく遠慮のない言葉を戦わせ、ホーリーとイヴニングは顔を見合わせて笑った。
久しぶりでも、何一つ変わらない。体が大きくなろうが、中身が成長しようが、二人の関係性は変わらない。
ホーリーとイヴニングは、昔から変わらず仲の良い幼馴染みのままだった。
「あ、そうだ。はい、これお土産。送ってもよかったんだけど、もう持ってきちゃった方が早いと思って」
ふと、ホーリーは思い出したように声を上げ、背負っていた大きな旅行鞄を下ろし、分厚い本をいくつか取り出す。
鈍器のような存在感のあるそれらを重ね、塔のように積み上げてイヴニングへと差し出した。
「いつも悪いね。ちょうど手が空きそうな頃合いだったから助かるよ」
「イヴってホント本好きだよね。私、こんなの一ページも読めないよ」
「本は知識の宝庫だ。インドア派の私にとっては、ここにこそ世界が詰まっているのさ」
うへっと舌を出すホーリーに、イヴニングは本を抱えて受け取りながら微笑んだ。
知識を得ることが好きで、本を読むことが好きなイヴニングだが、町の蔵書では限りがありすぎる。
新しい本との出会いは、彼女にとってとても貴重だった。
お土産の受け渡しが済み、ホーリーが少しだけ身軽になったので、二人は家の方へと並んで歩き出した。
白いローブをまとって大きな旅行鞄を抱えるホーリーと、前が見えなくなるほど本を抱えているイヴニングの二人組は、なかなかに奇抜な並びだった。
しかし昔から良くも悪くも目立つ存在だった二人を、今更誰も気には留めない。
五年前、町が火災に見舞われた際、それを行なったとされる悪魔を連れてきてしまった二人。
奔放なホーリーと、自由気ままなイヴニングは元々注目される子供だったが、その一件でより町の人の目を引くことになった。
しかし彼女たちが真に目立つのは、その過去の過ちではない。
イヴニングは同年代はおろか、長年の大人たちすら並び立てない程聡明な頭脳を持っている。
その豊富な知識と頭の回転の速さで、町の復興を始めとした多くのことに役立ってきた。
広い世界と比べると流石に劣るが、『にんげんの国』の外れにあるこの町にいるのが惜しいほど、彼女は突出した頭の持ち主だ。
ホーリーはその快活さを十全に発揮し、国中を見て回るんだと二年前に突然町を飛び出した。
国外れの小さなこの町で、旅歩きをする者などそうそういないため、その突飛な行動は町を揺るがした。
しかし時折、便りと共に珍しいものを送りつけるものだから、いつからかホーリーからの知らせは町人の楽しみになっていた。
そう。ホーリーは長らく町を離れ、自国のあらゆる場所を巡る旅に出ていた。
町の火災から三年ばかりが経った頃、唐突に旅をしに行くと言い出した彼女に、誰しもが驚いた。
本来であればイヴニングの方こそ、好奇心に任せて世界中を見て回りたかったのだが、本の虫にアウトドアな物見巡りが向くわけがない。
そうたたらを踏んでいた彼女の脇をすり抜けてホーリーがそう言い出したものだから、皆の驚きは相当なものだった。
ホーリーは特にわけを話しはしなかったが、イヴニングにはわかっていた。
彼女はジッとしていられなかったのだ。何も知らずただ待っていることはできなかった。
イヴニングのように知識を拾い集めることができないのなら、自らの脚で見て回ろうと、そう思ったのだ。
神秘を持たず、拙い繁栄しかできていない人間には、国外を旅することは難しい。世界中を巡るなんてことは夢のまた夢だ。
だからホーリーは、まず手の届く範囲である『にんげんの国』に目を向け、少しでも多くを知ろうとしたのだろう。
国外れの小さな町の、何も知らないちっぽけな子供ではいたくなかったのだ。
五年前のあの日、ホーリーは────イヴニングも、己の弱さと未熟さを思い知ったから。
だから恐らくホーリーの旅は、あわよくば彼女にばったりでくわせないかと、そんな希望も孕んでいたはずだ。
「にしても、帰ってくるならそうと、事前に便りくらい寄越してほしいよ。こっちにも準備ってものがあるんだから」
「ごめんごめん。あ、もしかして、おかえりなさいの歓迎パーティーでもしてくれようとしてた?」
大事そうに本を抱えながら、しかし幼馴染みの奔放ぶりに溜息をつくイヴニング。
そんな彼女に、ホーリーはポニーテールを揺らしながらニコニコと首を傾げた。
しかしその返事は更に重い溜息だ。
「残念、違うね。カンカンな君のオヤジさんを、事前に宥めておくっていう準備だ」
「おーぅっと、それを忘れてた。こわぁ……」
イヴニングがジトッとした視線を向けると、ホーリーはハッとして青ざめた。
厳格な自身の父親の様を思い出して、ニコやかだった笑みが徐々に強張っていく。
旅に出るという突拍子もないホーリーの発言は、当然ながら彼女の両親の賛同を得られるものではなかった。
彼女からしてみれば、少しでも大きくなろうと三年も我慢した上でのことだったが、しかしまだ十五の娘に快く一人旅をさせる親はいない。
故に彼女の旅立ちは、半ば家出に近い無断のものだった。
夜中にこっそり抜け出したホーリーを見送ったのはイヴニングだけで、彼女の出立を他の人たちが知ったのは翌朝のこと。
それからしばらくは大騒ぎで、イヴニングは知らぬ存ぜぬを貫きつつ、彼女の家族を宥めるのに奔走した。
イヴニングも本当は、ホーリーが行くのならばその旅路に同行したかった。
しかし待っている人がいなくなると大変だから、とホーリーに諭され、仕方なく町に残ったのだ。
その代わり、定期的に旅先で手に入れた本を送って寄越すように言付けて。
それもあってホーリーはこまめに町に便りを寄越したため、彼女の両親はハラハラしつつも何とか堪えてくれた。
しかしいざ帰っていたとなれば、その雷は避けられないだろう。
無事だからよかったものの、無断で家と町を飛び出して国中を旅して回るなど言語道断。
厳格なホーリーの父親でなくとも、怒り狂わない親はいない。
「あー、うーんと……しばらくイヴのうちに泊めてくれない?」
「君が帰ってきて、こうして私と歩いているところを見ている人がどれだけいると思っているんだい? こんな小さな町で身を隠すなんて無駄なことは、私はお勧めしないね」
「だ、だよねぇ……」
「まぁ、共犯者として一緒に怒られてあげるよ」
「やん、イヴだーいすき!」
幼馴染みの奔放ぶりに辟易しながら溜息をつくイヴニングに、ホーリーはわざとらしい歓声を上げて抱き着いた。
抱えていた塔のような本がぐらつき、イヴは慌ててバランスをとって幼馴染みを睨む。
ホーリーはえへへと笑って誤魔化して、すぐに腕を解いた。
「────にしても、急に戻ってきたのはどういうわけだい? 君の便りの様子だと、まだまだ回り切れていないように思えたけれど」
「あぁ、それはね……」
溜息をつき続けても仕方ないと、イヴニングは切り替えて疑問を投げ掛ける。
するとホーリーは戯けた表情を整えて、南の方角に視線を向けた。
「そろそろ、会えそうな気がして……」
「────なるほどね」
イヴニングもまた南に目を向け、ポツリと頷いた。
その視線の先にあるのは、町中からでも窺える巨大が過ぎる森。
五年前、彼女たちが毎日足繁く通っていた場所だ。
「……イヴのうちに泊まるのはまぁ無理として。家に帰る前に、ちょっと森に行ってみるのはダメかなぁ?」
「それは問題の先延ばしだ────とは流石の私も言わないよ。賛成だ。二年ぶりの再会を機に、久しぶりに行ってみるのもいいだろう」
イヴニングとホーリーは視線を遥か先に向けたまま、お互いに探りを入れ合うように言葉をかわした。
根拠のない、自分の心が感じていることを、引き腰で擦り合わせている。
それでも、二人の思惑はぴったりと合わさっている。
「なんだかアイリス────ドルミーレに、会える気がするの」
「ああ。会いに行こう、私たちの親友に」
根拠も確証も、何一つとしてありはしない。
けれど彼女たちの心は、五年前に別れた少女の存在を感じていた。
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