44 帰郷
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『にんげんの国』の南端にある小さな町。
ほぼ国外れといって相違ないその町は、ささやかながらも活気に溢れていた。
林に並んだ町並みは、自然と混ざり合いながら豊かで穏やかな時を刻んでいる。
巨木を囲む町の中心地が火災にあったのは、凡そ五年前のこと。
多くの家屋、木々が焼失し倒壊したが、現在はその爪痕も大分ささやかなものになっている。
倒壊物は撤去され、代わりに新しい建物が立ち、焼け落ちた木は新たなものが据えられた。
万全とは言えずとも、町は以前の様相を取り戻しつつあった。
小さな町故に火災は大事であったが、被害の程はとてつもなく大きいとは言えなかった。
再建に注力し、人々が日々を励めば、暮らしぶりを取り戻すことは難しくはない。
小さな町だからこそ、町民は力を合わせて再建に奮起したのだった。
町の南には、怪物的な森がある。
天高くそびえる不気味な巨木が群れた、奇怪な森だ。
そこには町に災いをもたらした悪魔が住むとされ、町民は一層に恐れ、決して近づこうとはしなかった。
一度は悪魔の討伐の声も上ったが、更なる災いを恐れ、触れないことを決め込んだのだ。
それが功を奏したのか、以降町に超常的な災いは起きていない。
少女の形をした悪魔の姿も、その後誰一人見かけていないという。
国外れの森は、悪魔が住む森という畏怖の念だけを残し、誰に踏み入られることなくそこにあり続けた。
ここ五年間は実害のない、悪魔が住むとされる森が近隣にある。それ以外は平凡で平和な町。
その中心地にそびえる巨木の枝の上に、女が一人座っていた。
いや、女というにはまだ未熟が見えるが、しかし少女というほど幼くもない。
しかし成人に達していないその女は、やはり少女と呼ぶべきだろう。
昼下がりの木漏れ日を浴びて、少女は木の幹に背を預けながら、片脚をだらりと枝から下ろして座り込んでいた。
乗せたもう片方の脚は膝を立たせ、その上に器用に本を乗せて、緩やかにページをめくっている。
林から抜けてきたそよ風が巨木の枝葉を撫で、彼女の乱雑な長髪を踊らせるため、少女はうざったそうに片手で髪を押さえた。
切るかまとめるかすればいいだろうに、少女は面倒がってそれをしない。
ただ無作為に伸ばした髪は整えることなくそのままで、身にまとう衣服は手軽さ重視の軽装でダボついたもの。
およそ身嗜みと呼べるものを一切していない彼女だが、その目付きには聡明さが窺える。
外見的な淡麗さには欠けるが、内側には輝くものを持つ。
少女はそれで満足しているが故に、自身を一切取り繕おうとしないのだった。
自分のことは自分がわかっていればいい。あるいは、わかって欲しい人にわかってもらえていれば、それでいいからだ。
「ん……?」
ふと、少女は本から顔を上げ、巨木の上から見渡せる町並みに目を向けた。
それと同時に一陣の風が吹き抜け、何かに気を取られた少女の髪をバサバサと拐い、そして本のページを乱した。
しかし少女はそれに気に留めることなく、遠く町の北側に目を凝らす。
そして瞳に小さな何かを映して、少女は一人ニィッと笑う。
それはいつも淡白な彼女には珍しい、少女らしい花のような笑顔。
しかし花に例えるには少し鮮やかさに欠ける、やや歪んだ笑みだった。
だがそれでも、少女にとっては喜びによるもので間違いない。
「────まったく、人の虚を突くのは相変わらずか」
少女はそう独言てから、どこまで読んだのかわからなくなった本をバタリと閉じた。今はもう、そんなことなどどうでもいい。
閉じた本を小脇に挟むと、巨木の枝から滑るように身を落とし、三メートルはある高さからするりと地面に着地する。
幼少期からこの木に登っている彼女にとって、この程度のことはもう造作でもない。
少女は着地した勢いそのままに、木の上から見たものを目指して北の方に駆け出した。
その足取りは軽くしなやかで、まるで好奇心に満ち溢れた子供のようだ。
新しい玩具を手にした時のように、彼女にはもうそれしか見えていない。
少女は風ではためく長髪を無視し、逸る気持ちを本を抱きしめることで抑え込みながら、一目散に走った。
巨木のある中心地から伸びる町の大通り。町の北側は主に他の町々から来るものを迎え入れる場であり、大通りは北へ向かうほど人の行き交いが多くなる。
そんな人の道行をかわしながら走った少女は、やっと目的のものを間近に捉えた。
人の行き交いが多いとはいえ、元々大きくない町の人手。
探し物を見つけるのに苦労はなく、そして目的のものを見失うこともなかった。
少女はそのまま、視線の先にあるもう一人の少女に向かって走り続ける。
「あぁーーー! おーーーい!!!」
白いローブに身を包んだポニーテールの少女が、彼女に気がついて満面の笑みを浮かべた。
そして大手を振り上げて、駆け寄る少女に向けて同じように駆け出す。
二人はお互い足を緩めることなく、駆け込んだ勢いのままにぶつかり合い、しかしどちらともよろめくことなく固く抱き合った。
「ただいま、イヴ! 会いたかったー!」
「帰ってくるならそう言いなよ、ホーリー。まったく君は……」
奔放に明るい声で再会の喜びを上げるホーリーに、イブニングは嘆息を漏らす。
しかし久しぶりの友人の帰還に歓喜の方が勝り、嫌味もそこそこに強く白い体を抱きしめた。
町が火災に見舞われてから、五年が経った。
二人の少女はすっかり大人び、十七歳になっている。




