48 語らぬ人形は想いを紡ぐ
その感触はとてもあっけなく、けれどどこかとても生々しかった。
まるでD7を庇うように私たちの間に飛び込んできた、手脚の欠けたクリスティーン。
振り下ろした私の剣が、彼女の肩から胸の辺りまで斬り込まれる。
「あ……」
ガラス玉のような瞳が、私を一心に見つめていた。
無機質で力のこもっていないはずのその瞳から、確かに何か訴えかけるものがあった。
「タス、ケテ……」
その刃を一身受けながら、それは決死の懇願に聞こえた。
けれどそれは自身に向けられたものではない。
私はそれに今更になって気が付いた。
「カレ、ヲ……タスケ、テ────」
繰り返し、何度も何度も。壊れた声で繰り返していたその言葉。
それは自身への助けなんかじゃなくて、ただひたすらに彼を案じた言葉に他ならない。
「タスケテ……タス、ケテ────オネガイ」
クリスティーンはただずっと、D7が救われることだけを願っていた。
それをずっと、私たちに訴えかけていたんだ。
クリスティーンもまた、D7を愛していた。
作り物の体になっていても、その中に宿る心は彼を愛していたんだ。
「クリスティーン!!! お前、どうして!」
ゴロンと転がるクリスティーンを、D7は慌てて抱き起こした。
元から力尽きていた彼女は、私の一刀を受けて満身創痍だった。
いや、最初からもう動けるような状態じゃなかったはずなのに。
ほんの僅か、その口がカタカタと揺れた。言葉は出ない。何も語らない。
けれどそれは、何かを伝えたいというように動いていた。
私は剣をだらりと下ろして、その光景をただ呆然と見つめることしかできなかった。
私には何にも見えていなかった。何にもわかっていなかった。
この目に見えること、自分にわかることだけで物事を判断していた。
この世には私の知らないこと、わからないことなんて山ほどあるのに。
私は勝手に決めつけてしまっていた。
「もう良かったんだ、クリスティーン。俺は死ぬ。お前と一緒に死ぬ。それで終わりで良かったんだよ。なのにどうしてこんな……」
「────────」
壊れた声がま、るで囁くような音を絞り出す。
言葉にはなっていない。けれど、何かを伝えると溢れでるもの。
「ごめんクリスティーン。お前を繋ぎ止めるためには、戦い続けるしかなかった。お前を守るためには、この使命を全うするしかなかったんだ。俺はもう、戦うしか選択肢がなかった」
彼の事情は測れない。彼に何があったのか。彼らに何があったのか。
けれど、彼らにも事情があって、矜持があって大義があって。
それは私たちとは相入れないものだとしても、確かに彼の中に刻まれるもの。
それが彼にとっての正しさで、それを否定することなんて誰にもできないんだ。
ただ、私たちとは正反対だっただけ。わかり合えなかっただけ。
どちらがより正しいかなんて、誰にも決められない。
だから私たちは戦うしかなくて。
自分の正しさを押し通すためには、別の正しさを押しのけるしかないから。
彼と戦った自分が間違っているとは思わない。
私は、友達を守りたいという気持ちが間違っているとは思えない。
けれどそれは彼らとは相入れなかった。
魔女を殺すことこそが正義としている彼らとは、交わることはできなかった。
だからこの戦いは間違っていない。
けれど、私はその相手である彼らのことを見誤ってしまっていた。
自分と反するから悪であると決めつけて、彼らの心を見ることができなかった。
そんな自分が、どうしようもなく嫌になった。
胸がぎゅっと締め付けられているみたいで苦しい。
心が泣いているみたいだった。まるで、『彼女』が泣いているみたいだった。
「クリスティーン。あぁ、クリスティーン……」
「────イデ……」
微かに溢れた言葉のような音。
クリスティーンを抱きかかえ、ひたすらに涙を流すD7を見上げて、すぐにでも事切れてしまいそうな彼女の口から僅かに漏れた。
「ナ────カナ────イ────デ」
その言葉が、無機質なただの音ではないことくらい、私にもわかった。
それは確かに感情のこもった、力のこもった想いだった。
傀儡であっても人形であっても。その内にある心が、その言葉を語っている。
「クリスティーン、お前────」
D7は目を見開いて、クリスティーンの顔をマジマジと見た。
語るはずのない人形。壊れたようにただ同じ言葉を繰り返していた人形。
そんな彼女が語る自分の意思ある言葉。
「アナタ、ハ────ジブンノ、ジンセイ、ヲ────イキ、テ────」
掠れた声は、しかし強い意志によって紡がれる。
「アナタハ────ジユウ、ノ────トリ」
弱々しく、その言葉は次第にしぼんでゆく。
「ドコヘデモ────イケ────ル────ダカラ────────」
絞り出した言葉は霞に消えて、クリスティーンの口は動かなくなってしまった。
そのガラスの瞳は静かに空虚で、虚しいくらいに空っぽだった。
力尽き、事切れたクリスティーンをD7が静かに抱きしめる。
私にはそれを見守ることしかできなかった。
私が戦わなければ、剣をとらなければ、こんな結末にはならなかったのかと考えて。それは無駄なことだと振り払った。
私たちは戦わないわけにはいかなかった。相反する想いはぶつかるしかなかった。
だから、彼女に最期を下したのは私の責任だけれど、この戦いの責任は私たちのもの。
私とD7の相反する想いの責任だ。
ものを語らぬ人形のはずのクリスティーンが最期に紡いだその言葉は、D7の心を解きほぐすことはできたんだろうか。
戦わないわけにはいかないと言っていた。引くわけにはいかないと。そうするしかないんだと。クリスティーンのために。
クリスティーンの懇願は、その呪縛から彼を解き放つことだったのかもしれない。
私にそれはできない。けれど、彼女自身の想いがそれに繋がることができていれば。
それは、せめてもの救いになるはずだから。
静寂に包まれた校庭の真ん中で、咽び泣くD7の声だけが寂しく響いた。