9 一緒にいるだけ
日差しがとても強く、こと更に暑い日のこと。
私の小屋に訪れたのは、イヴニング一人だった。
「ホーリーはオヤジさんに捕まっちゃってね。今日は抜け出してこられないだろう」
そう言ったイヴニングは小屋に入るなり、いつものように椅子を一脚窓側にズラして座った。
彼女の口振りはとても気が抜けていて、何か一大事があったようではない。
けれど捕まったという単語に、私は少しだけ引っかかった。
以前彼女たちは、この森に来ていることが周囲の人間に知られたらまずい、というようなことを言っていた。
もしかするとホーリーは、父親にそれを知られてその責を問われているのかもしれない。
私が大丈夫なのかと尋ねると、イヴニングはヘラヘラと笑った。
「別に大したことじゃあないよ。ホーリーの家は農家なんだけど、その手伝いをさせられてるだけさ。ただあの子のオヤジさんはおっかないからね、言付けられた仕事を放っぽり出したら後が恐ろしい。だから今日来るのは難しいね」
私には群れ……家族や組織の関係性というものは、やっぱり知識でしかなかったから、具体的な感覚はわからない。
けれどイヴニングのいつもどおりの無気力そうな様子を見れば、言う通り大したことではないのだとわかった。
ただそうすると、新しい疑問が湧いてくる。
彼女たちが私の元にやってくるようになってから、思えばどちらか一方だけが来たことはなかった。
ここ数ヶ月ほぼ毎日やってくる二人だけれど、もちろん来ない日もあって。
だから今日もその日にしてもよかったんじゃないのか。もちろん、一人で来てはいけないわけではないけれど。
そんなことを考えながらお茶の準備をしていると、イヴニングはこちらを見て見透かしたような笑みを浮かべた。
「ホーリーが拗ねるから、今日は私も見送ってもよかったんだけどね。でもほら、アイリスに本を貸す約束をしていたから」
「あぁ……」
テーブルに置かれた一冊の本を見て、そんな約束をしていたことを思い出した。
イヴニングはよく本を持ち歩いていて、ここへ来た時も一人で読書に耽っていることがある。
そんな彼女が私が一人の時のためにと、時よりこうして本を貸してくれる。
ただ私には知識に関するものは不要だから、読むのは専ら物語が綴られたもの。
陳腐と感じることもままあるけれど、身の回りでは起こり得ない出来事が記されたそれは、思いの外いい暇つぶしになる。
「別に、今日でなくてもよかったのに」
「そう言うと思ったけどね。まぁ本は言い訳で、今日は暑いからこの森の中の方が涼しいだろうと踏んだってことで」
ティーカップを差し出す私に、イヴニングはカラカラと笑う。
のらりくらりと、掴み所のない自由さはいつものこと。
ホーリーと同い年の少女とは思えないほど、彼女は一癖も二癖もある。
理知的で聡明ではあるけれど、こねくり回したものの考え方と発言は、あまりにも子どもらしくない。
もちろん私が言えたことではないし、そんな彼女の在り方に何かを思うことはないけれど。
人間社会で生きている彼女は、周りの人間にどう思われているのだろうと考えることはある。
そう思うと、やっぱり集団というものは面倒臭い。
けれど、そんなイヴニングがここを居心地がいいと感じていることには、悪い気がしなかった。
「まぁ、実はそれも建前でね」
「取り繕うものが多いのね」
「そう言わないで。照れ隠しってやつだよ」
私からは何も言っていないのに、イヴニングは勝手に事実を曝け出し始める。
ホーリーとは違うけれど、彼女もまたお喋りだ。
いや、私と比べてしまったら誰しもがそうなってしまうのかもしれないけれど。
「正直なところ、私は君と二人でゆっくりしたかったのさ」
「何か、私に話でも……?」
「いいや、そういうことじゃあない。用件はないんだ。ただ、君と時間を過ごしたかっただけだよ」
「…………」
そう言ってやんわりと微笑むイヴニングに、私は首を傾げることしかできなかった。
そんな私を見て一層笑みを増す彼女に、ほんのり憤りが積もる。
彼女は明らかに私の反応を楽しんでいるようだったから。
「ホーリーは賑やかで良い。一緒にいて退屈はしない。わたしはあの子のことは好きだよ。でも、彼女はあまりジッとできる性格じゃない。それは長所でもあり、短所でもある」
「つまり?」
「静かに読書をしたい時、のんびりしたい時にはやや不向きだってことさ」
そうきっぱりと言い切ったイヴニングだけれど、そこに特に悪意は感じられなかった。
それは単純な彼女自身の価値観を口にしただけだからだ。
「静かにしたい時は、一人でいればいいんじゃない?」
「それはそうだけど。でも誰かと一緒にゆっくりしたいって時、あるじゃないか」
「私にはよくわからないわ」
「そんなことないと思うけどな。君が今、この時間を煩わしいと感じていなければね」
イヴニングはそう言ってニヤついてから、お茶をゆっくり飲んで、そして本を開き出した。
そんな自由気ままな行動に、やはり少なからずの不満のようなものを覚える。
けれど決してそれは、煩わしさや嫌悪感ではないことも、同時にわかっていた。
彼女のこういった掴み所のない行動はいつものことで、今更それに何も感じることはないから。
会話はそこで終わったので、私もイヴニングが持ってきた本を手にとった。
いつもはホーリーがよく喋るから、この場に私以外の人がいる時にこんな静かな音は流れない。
けれど今ここで聞こえてくるのは、二人分の息遣いと本のページをめくる音だけ。
何だかとても、不思議な気分だった。
二人と出会って数ヶ月。他人と関わることにはもう慣れた。
会話は二人主導のことが多いけれど、それでも滞りなくできるようになってきたと思う。
顔を合わせることも、話をすることも、一緒に何かをすることも。もう当たり前になってきた。
人と人とはこういうものだと。他人との交流はこういうものだと。知識と実体験が噛み合ってきていた。
けれどこの時間は、私には未知のものだった。
時間と空間を共にしつつ、けれど各々勝手に振る舞って。
これは何の意味があるのかと、そう思う自分もいたけれど。
でも彼女が言う通り、別段煩わしいとは感じなかった。
ホーリーがいる時のような賑やかさが、人の交流では当たり前のものかと思っていたけれど。
イヴニングが醸し出すこの静かな空気も、これはこれで人の関係の一つなのかもしれない。
時折一人で本を読んで寛ぐ彼女の姿を思い出す。
そして、今日ここへ一人で来た理由を思い起こす。
こうして二人静かに読書をしていると、その気持ちが少しだけわかった気がした。




