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143 リアリスティック・ドリームワールド

 神殿の階段を上がった先、入り口の前に誰かが立っている。

 白いローブに身を包み、フードを目深く被った人。


 フードによってその顔は窺えず、全身を白に包んだその出立は、一見男か女か判別もつかない。

 けれど先程の声の主がこの人なのだと思えば、僅かに覗く口元や指先から女性のように感じられた。


「あ、あなたは…………」


 何の前触れもない登場に戸惑いながら、私は辛うじて声をこぼした。

 彼女からは敵意のようなものを感じはしないけれど、その存在感は強烈なものがあった。

 私を支えてくれている氷室さんも、そして傍らに立つレイくんも、息を飲んで彼女を見つめている。


「…………」


 そんな私たちに、その人は続く言葉を口にしなかった。

 少しの間、フードで隠れた視線を静かに私に向けてから、唐突に柔らかな物腰で身を翻して。

 そして、ゆっくりと神殿の中へと入っていってしまった。


「…………?」


 彼女が一体何者なのか、皆目検討がつかなかった。

 この『魔女の森』に入ってこられているし、その気配からしても魔女であることは間違いなさそうだけれど。

 でもレイくんの様子を見るに、ワルプルギスの一員というわけはなさそうだ。


 そう考えて、ふと私は思い出した。

 彼女がまとっていた白いローブ。

 あれは、魔女狩りのロードたちが身につけていたものと同じだ。


 ロード・スクルド、そしてロード・ケイン。

 私が出会ったことのあるロードたちは、一様に白いローブをまとっていた。

 ということは、あの人は魔法使いのロード?

 でも、彼女からは魔女の気配を感じたし……。


 わからないことばかりだけれど、考えていても仕方がない。

 彼女の視線、立ち振る舞いは明らかに私を誘っていた。

 なら追いかけて直接聞けばいい。


「アリスちゃん……」


 よたよたと立ち上がる私に、氷室さんが心配そうな声をあげた。

 体にはまだうまく力が入らないけれど、まぁ歩けなくはない。


「私、ちょっとあの人追いかけるよ。氷室さん、一緒に来てもらってもいい?」

「……え、えぇ」


 傍に置いてあった『真理の(つるぎ)』を杖代わりにして体を支える私に、氷室さんは少し固めな返事をした。

 あの人からは相当な力を感じたし、とても警戒しているのかもしれない。

 実際にロードではなかったとしても、それと同等の実力者である可能性はある。


 それでも氷室さんは臆することなく、頷いて私を支えてくれた。

 背中に回してくれた手が、とても心強い。


「アリスちゃん。僕も、行こうか……?」

「ううん、大丈夫だよ。あの人は多分私に用があるみたいだから、何人もで押し掛けてもあれだし。それに、レイくんにはワルプルギスの人たちのことをお願いしたいから」

「……わかった。くれぐれも、気をつけて」


 心配そうに手を伸ばしてきたレイくんだけれど、私のお願いにすぐ頷いてくれた。

 あの人が何者なのか、目的は何のなのか気になるけれど、今は戦いを止めることが先決だから。

 レイくんが周囲でおどおどと縮こまっていた魔女たちを束ねて去っていくのを見送ってから、私は氷室さんと一緒に神殿の階段を登った。


 開け放たれた木の扉を潜ると、壁に吊るされた松明の明かりが照らす白い空間が広がっていた。

 そこは以前訪れた時と全く変わっていない、厳かな白の世界。

 豪華絢爛な装飾が施された柱が並び、松明がチラチラと反射する煌びやかな大理石の床が敷き詰められていて。

 本物の神が住っている様な息の詰まる重圧が支配している、無人の空間。


 白で埋め付くされた室内の奥先には、やはり以前と変わらぬ祭壇が設けれられていて。

 そこにある女性の石像を見上げる様に、こちらに背を向けてローブの人が立っていた。


「あなたは一体、誰ですか……?」

「…………」


 半分くらいまで入り込んだところで私たちは足を止め、その白い背中に問いかける。

 ローブの人はとても小さく息を吐いたけれど、シンと静まった神殿の中ではその息遣いがよく響いた。


 何だか無性に嫌な予感がして、全身を冷や汗が伝った。

 その不安を氷室さんの手を握ることで紛らわせると、彼女もまた少し震えた手で握り返してくれた。


「私は────」


 僅かな静寂の後、ローブの人が口を開いた。

 こちらに振り返ることなく発せられた声は、やっぱり女性のもの。

 そしてさっきは気にならなかったけれど、なんだか聞いたことがある様な気がして。


「ロード・ホーリー。私の名は、ホーリー・ライト・フラワーガーデン」

「ロード……ホーリー……!?」


 これは誰の声だったかと吟味しようとした瞬間、告げられた名前。

 それを聞いた刹那、私の全身に電撃が走った。


 ロード・ホーリー。それは、魔女狩りを統べる四人のロードの内の一人。

 さっき協力してくれたシオンさんとネネさんの主人で、私のことを心配してくれているという人。

 だけどその人は、晴香を魔女にした人だ……!


「あなたが、ロード・ホーリー……!!!」

「………………」


 思わず語気が強くなる。

 わかってる。わかってるんだ。頭では。

 ロード・ホーリーは私の敵ではなく、寧ろとても気にかけてくれている人。


 私が魔法使いたちの策略に翻弄されていることや、ドルミーレとの運命に苦しめられていることを、案じて手を貸してくれている人。

 それはシオンさんたちの言葉からもそうだし、聞き及ぶ行動からも窺えることだ。

 わかってるんだ。でも……。


 でも、ロード・ホーリーが晴香を選ばなければ、彼女は魔女にならず、死ななくてもよかったんじゃないかと、そう思ってしまうと。

 思ってしまうと、どうしても心が騒ついて、渦巻く感情が……!


「どう、して……」


 違う。そうじゃない。でも、言葉出てしまう。


「どうして、晴香を魔女に……あの子は、何にも関係なかったのに……!」

「アリスちゃん……」


 今かけるべき言葉は、聞くべきことはそれではないとわかっているのに。

 どうしても気持ちが傾いてしまって、言わずにはいられなかった。

 たった今彼女の気持ちを一身に受けたからこそ尚更、溢れる気持ちが抑えられなくて。


 心配そうに、でも冷静な氷室さんの制止を受けても、心が止められなかった。


「あなたがあの子を魔女にしなければ、晴香は……!」

「……晴香ちゃん。あの子には、本当に申し訳ないことをしてしまったわ。彼女のあなたへの想いと優しさに、私は甘えてしまったから……」


 ロード・ホーリーは本当に悲しそうに、懺悔する様にそう言った。

 反省していると、悔いていると、その背中が告げている。

 けれどそれだけでは、私の気持ちは収まらなくて。


「晴香は、誰よりも優しくて、誰よりもいい子だった……あなたが、巻き込まなければ……」

「ええ。でも、あなたを守るためには、彼女の協力が必要だったの。私は他人の子よりも、あなたが大切だった」

「そんなの────!」


 頭に血が上って、感情のままに叫びそうになった時、ロード・ホーリーがくるりとこちらに振り向いた。

 そしてフードで覆った顔で、ジッと私を見つめてくる。


「……ロード・ホーリー。あなたは、何なの……? 私の為と言う、あなたは一体……」


 見えない視線に晒されて少しだけ冷静になった私は、氷室さんの手を握りながら尋ねた。

 彼女の声が全くあり得ない人を連想させる、そんな嫌な想像を振り払いながら、その白い姿を見つめる。

 ロード・ホーリーは、私の問いかけに小さく息を飲んだ。


「……()()が道を曲げないのなら、私も覚悟を決めなきゃね」

「…………? 何を、言って……」

「自分自身を貫き、全てを曝け出してあなたに向き合う時が来たってことよ。()()()()()()


 それは。私を呼ぶ声は。私が一番耳馴染みのある、その声は。

 そんなはずはないと否定しても、心が、全身が、その声の主を叫んでいる。


 そんな中、ロード・ホーリーはローブのフードをゆっくりと取り払った。

 晒された、その顔は────


「おかあ、さん…………?」


 どこからどう見ても、花園(はなぞの) (ひいらぎ)。私の母親その人だった。

 柔らかくも溌剌としたその顔。奔放に散らすふんわりとした長髪。

 それは紛れもなく、私のお母さんだった。


「お母さん……? 嘘だよ、そんなバカな……お母さんが、そんなわけ……」


 頭がこんがらがって理解が全くできない。

 現実が処理できずに、頭の中のいろいろなことがちぐはぐに巡る。

 こんなことあるわけがないんだ。


 だってお母さんは、いつももっと笑顔だ。

 そんな静かな、悲しそうな顔は私に見せない。

 そんな、冷たい眼差しを私に向けたりなんて、しないんだから……!


「お母さん、なの……?」

「……いいえ。違うわ、アリスちゃん」


 それでも目の前の女性はどう見てもお母さんで。

 信じたくなくても私の全身が訴えてきて、思わず聞いてしまう。

 そしてロード・ホーリーは否定する。お母さんの声で、私を『アリスちゃん』と呼びながら。


「私は、あなたのお母さんではないのよ。私は、ドルミーレの親友、ホーリー・ライト・フラワーガーデン。私は彼女の為に、生きてきた。今までずっと」

「なっ────」


 紛れもないお母さんの顔で、お母さんの声で、お母さんの言葉で、紡がれる理解不能な現実。

 目の前の女性は絶対にお母さんではないと思いたいのに、否定すればするほどお母さんにしか見えなくて。

 なのに、わけのわからないことをその口は言うんだ。


 ロード・ホーリーが────お母さんが────ドルミーレの親友……?

 もう、私には何が何だか…………。


 全身の力が抜けて、思わずその場にへたり込む。

 氷室さんが私の体を支えながら心配そうに叫んでいるけれど、全く頭に届いてこない。

 私には、目の前の光景しか認識できなくなていた。


「アリスちゃん。ドルミーレはもう時期目を覚ますでしょう。自らの意思で、定めた時に。私はその時をずっと待っていたの。彼女が目覚める時のために、あらゆる尽力をしてきた。だから、後はあなたたちの問題よ」


 お母さんはとても優しい声で言う。けれど、私に目を合わせてはくれない。


「ごめんなさい。私には選べないの。だから私は、あなたたちが出した結論を受け入れる。だからアリスちゃん。最後の最後まで抗って。それを見届けるために私も、もう逃げないから」

「……………………」


 何も、声を出せなかった。何を言っていいのかわからなかった。

 お母さんがロード・ホーリー。それだけで頭がパンクしそうだ。

 それはつまり、晴香を魔女にして死の運命を与えたのは、お母さんということになる。

 それだけでも、もう何をどう感じていいのかわからないのに。


 なのに、ドルミーレの親友。彼女の為に、ずっと生きてきた……?

 じゃあ、だとしたら、私とお母さんとの今までは、一体何だったの?

 お母さんはずっと、私の中のドルミーレのことしか、見ていなかったの?

 私が感じていた愛情は、じゃあ────────。


 心がぐちゃぐちゃになって、最早涙もでない。

 ただ項垂れることしかできない私に、お母さんはとても切なそうな視線を向けてきた。


「今、彼女は目覚めることだってできた。でもそれをしなかったのなら、もうその時まで結果はわからない。それなら私も、あなたたちにちゃんと向き合うから。だから、負けないでね」


 そう、とても悲しそうに一方的に言って、お母さんは歩き出した。

 その目はもう私を見てはおらず、ただ真っ直ぐ前に向けられている。

 その姿には、私の知らない凛々しさがあった。


「ごめんなさい。アリスちゃんの、お母さんになりきれなくて」


 私たちの横を通り過ぎ様、ポツリとそう言って。

 そして、その言葉に私が振り返った時には、お母さんは神殿の中から消え去っていた。


「なん、なの────────」


 大理石の床に倒れ込みそうになるのを必死で堪えながら、私は拳を握った。


「何なの!? 私、もう何が何だか、わかんないよ!!!!!」


 感情のままにあげた叫びが、空虚な神殿の中を木霊する。

 わんわんと響く絶叫が、余計に私の心を掻き乱した。


 今日だけで、私の心では抱えきれない現実をいくつも叩きつけられて。もう限界に近かった。

 大切な、大好きな人たちとの別れ。

 私が生まれ育った世界がドルミーレの夢であること。

 そして私自身が彼女の夢であり、誰よりも不確かな幻影であること。

 極め付けが、大好きなお母さんの意味がわからない正体…………。


 笑っちゃうよ。なんだこれ。意味がわからないよ。

 でも、これが現実なんだ。私の、現実なんだ……。


「ねぇ、氷室さん…………」


 ぐちゃぐちゃの心が、一周回って鎮まった。

 いや、鎮まってなんかいないけど、でもなんだか妙に落ち着いて。

 思いっきり叫んだのが、案外効いたのかもしれない。


 私は震える体を起こして、隣で心配そうに寄り添ってくれている氷室さんに寄り掛かった。

 氷室さんは少しだけ驚いて、でもその華奢な体で私をしっかりと受け止めてくれた。


「ごめん、甘えさせて…………強く、抱きしめてほしい」

「………………」


 何も聞かず、何も言わず、氷室さんはただ強く、私の体を包んでくれた。

 とても温かくて心地良い、氷室さんの優しさが私を満たす。


 どんなに信じ難くても、どんなに理解できなくても、私の現実はここにある。

 私はここで生きていて、私が進むべき道はこれしかない。

 だからどんなに泣き叫んだって、私はこの現実の中で生きていくしかないんだ。

 私が、私であり続けるためには。


 でもだからといって、悪いことばかりじゃない。

 私が生きるこの現実には、嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことだってあるって、私は知ってる。


 辛い時、悲しい時、苦しい時。こうやって抱きしめてくれる人がいる。

 支えてくれる人が、私の側にいる。

 だから、こんな現実って嘆く必要はきっとないんだ。


 現実だって夢だって、結局は気の持ちよう。

 自分が何を信じて、どう生きようとするかが問題なんだ。


 世界のことも、私自身のことも、そしてお母さんのことも。

 辛い現実、受け入れたくない現実は、自分の夢で覆していけば良い。

 私の人生だ。私が望む通りに、夢と希望を持って現実をひっくり返してしまえばいんだ。


 現実化した夢の世界があるんだから。

 私の未来くらい、いくらだって夢溢れるものにできるはずだ。


 だから、挫けるのは、塞ぎ込むのは今はやめよう。

 そうじゃないと、私のことを想って、その気持ちを託してくれた人たちに顔向けができない。

 こうして寄り添ってくれる友達がいる限り、私の希望はきっと途切れないから。


 現実を受け入れ、夢を(いだ)いて進んでいこう。

 この心に繋がる友達と一緒に。


 氷室さんの腕に抱かれながら、私はそう、強がった。

第7章「リアリスティック・ドリームワールド」 完


次回より幕間を挟んでから新章へと移ります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今まで複雑に絡んできた人物関係や謎が解きほぐされてきて、物語もいよいよ佳境という感じですね。 具体的に述べてしまうと、これを読んだ読者に致命的なネタバレになってしまうので、あまり詳しく語…
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