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132 深淵

「危ない!」


 吹き上がった闇に、私よりも透子ちゃんが先に反応した。

 私とレイくんを遮った闇は、遥か下方から間欠泉のように飛び上がって、既に私たちよりも高くへ昇っている。

 そして周囲にその黒を振りまかんばかりに、私たちの頭上で大きく広がった。


 透子ちゃんは私を後ろから抱き寄せると、急速に後方へと飛び退いた。

 咄嗟のことでされるがままの私は、しかしそれでも前方のレイくんから目を離さなかった。


「レイくん!」


 私に向かって手を伸ばしていたレイくんに、闇の噴出をかわす(すべ)はなかった。

 前のめりになっていたその体は、吹き上がってきた闇をもろに受け、押し飛ばされてよろめいていた。


 この闇がなんであるかなんて、考える必要もない。

 あの心が凍り付くような声は、彼女の以外には有り得ない。

 ドルミーレがこちらに意識を向けてきたんだ。


 吹き出した闇はあっという間に周囲を覆い尽くし、その場を離脱しようとした私たちごと深い黒で閉じ込めた。

 光は一瞬で消え去り、温かみは引いていき、寂しく悲しい冷たさだけが空間を満たす。

 何もかも無くなったような闇の中で、抱きしめてくれている透子ちゃんの温もりだけが、唯一私がここにいると教えてくれた。


 しかし、それは強引な力で引き剥がされた。

 固く抱きしめてくれていた透子ちゃんの腕は、濁流に流されるかのように(ほど)け、あっという間にその感覚が遠のいてしまった。

 けれどそれを止めることも、存在を確かめることもできず、私は闇の奔流に身を委ねるしかなかった。


 肌で、全身で、ドルミーレの強い気配を感じる。

 いや、心の中の世界にいる今、私の丸裸の心が直に彼女を感じている。

 僅かでも気を抜けば押し潰されそうな、異次元の存在の圧力を。


 そして、唐突に闇が晴れ、視界が戻ってきた。

 そう認識した瞬間、宙に浮いていたはずの足がストンと地面に降り立った。

 私たちは既に上空にはおらず、どんよりと暗い森の只中に立っていた。


「────────」


 全く見覚えのない、暗く重苦しい森。

 いつもの巨大な森でもなく、その更に深くにある小さすぎる森でもない。

 等身大のスケールの、凡そ常識の範囲内の大きさの森だ。

 けれど木々は焼け焦げたように黒ずみ枯れていて、降り注ぐ光もない黒に満ちた森。

 視覚が情報を認識できるのが不思議なくらい、暗い場所だった。


 透子ちゃんの姿はやはりなく、私は自分だけの力でこの場に立ち尽くしていた。

 そしてすぐ横にはレイくんが膝をついていて、引き立った顔で一点を見つめている。

 その先にいるものはわかり切っていたけれど、だからこそ、視線を追うのには少し勇気が必要だった。


 けれど、戸惑っている場合じゃない。

 この場にいる不安と恐怖、それに透子ちゃんの心配に心が駆り立てられるけれど。

 今は、目の前にあるものに集中しなければならない。


「本当に、あなたは絶え間なく騒がしいわね」


 ドルミーレが、静かにそう言った。

 黒塗りの大きな椅子に身を預け、目蓋を閉じたまま。


 私と全く同じ姿をした、私ではない人。

 黒いドレスを身にまとい、髪は真っ直ぐ下ろしてはいるけれど、私と瓜二つの顔を持つ人。


 私の過去の切り離しであったあの『お姫様』であれば、同じ姿を持っていることに納得がいった。

 けれど私の一部ではない彼女が、どうして私の姿をしているのか疑問だった。

 でも、今ならわかる。私が、彼女に似て生まれたんだ。

 私が、彼女の夢だから。


「ドルミーレ…………」


 彼女が、彼女こそが本物。私の正体。

 こうしてあらゆる隔たりを乗り越えて対面すると、今までとは比べ物にならない圧力を感じた。

 奥底で眠っていた時、封印されていた時の彼女など、その本領に到底及んでいなかったんだ。


 今にも押し潰されそうなのを堪えて、逃げ出したくなるのを堪えて、対面する同じ顔の人の名を口にする。

 するとドルミーレはピクリと眉を動かしてから、ゆっくりと目蓋を開いた。

 宇宙の全てを内包しているような、果てしなく黒い瞳が私に向けられる。


「まったく、トラブルを持ち込んでくるなんて呆れたわ。あなたは以前、自分のことは自分ですると言ったから、多少騒がしいことには目を瞑っていたのに。まぁ、無礼者には我慢できなかったけれど」


 ドルミーレは浅い溜息をつきながら、ポツリとそう言った。

 レオとの戦いの時私が言ったことを、彼女なりに守っていたらしい。

 確かに彼女が怒って表に出ようとした時、私が強く拒めば引っ込んでくれた。

 もちろん、昨日のように例外もあったけれど。でもきっとあれは、私の弱さが原因だ。


「あなたは私。けれど私とあなたは相入れない別物。あなたはただ、私にその景色を見せてくれていれば良かったのに。自分から色んなことに首を突っ込んで、果てにこんなところまで他人に許してしまうなんて」


 ドルミーレは肘置きで頬杖をつきながら、気怠そうにそうこぼす。

 終始静かに眠ることを望んでいた彼女にとって、私が『まほうつかいの国』の問題に関わることは想定外、且つ不本意だったんだ。

 それでも彼女の逆鱗に触れること以外は関与してこなかった。

 けれど私の心の中、彼女に近いところまで問題は転がり込んできてしまった。


 だから流石の彼女も無視はできなくなったんだ。


「……私は、花園 アリス。あなたの夢によって生まれた存在だとしても、私はあなたじゃなく私。私は、自分の心と意志で今を生きる」


 やれやれと肩を竦めるドルミーレに、私は深呼吸をしてから意思を示した。

 何もかもが自分中心だと思われたらたまらない。

 私は私なんだと、彼女にわからせる必要があるから。


「ここは私の心の中だ。あなたに大きな顔なんてして欲しくない。ここに来た友達のことも、踏み込まれてしまったことも、全部私の問題だから。眠っていたいのなら、あなたはずっと眠っていればいい」

「言うわね」


 ドルミーレは可笑しそうに薄く微笑んだ。

 そこには嘲笑も含まれており、向けられた視線は冷ややかだった。


「もちろんあなたの言う通り、あなたの問題はあなたが自分でどうにかすればいいでしょう。けれど、私も以前に言ったわよ? 私に向けられた害意を無視はできないってね」


 そう言うと、ドルミーレはようやく私の横に視線をずらした。

 その先にいるレイくんは膝をついたまま息を飲んだ。


「私の心を勝手に他へと映し出し、剰えその力を下品に振りかざし、果てには私の心へ踏み込もうとする。ここまで侮辱されて、黙っているのは難しいわね」

「ッ………………」


 その声は、本来の冷たさを更に上回った冷ややかさを持っていた。

 燃え滾るような怒りではなく、氷のように凍てついた静かな怒り。

 その感情の全てを視線と言葉に乗せ、ドルミーレはそっと憤る。


 真奈実さんに投影され、力を使われたこと。それに対する怒りは、やはり彼女の死をもってしても晴れてはいなかった。

 ただぶつける先がなくなったことで、黙らざるを得なかっただけだ。

 しかしそれを導いたレイくんが、彼女を目指してここまで乗り込んできた。

 それを堪える彼女ではない。


「ドルミーレ、僕は……」


 レイくんはようやく口を開いた。

 本来ならば再会を喜びたいだろうに、しかし向けられる威圧がそんなことは許さない。


 それでも直向きに真っ直ぐに。

 顔を引き締めながらも、レイくんは縋るような目を向ける。


「僕は君を────」


 親愛のこもった瞳で声を上げ、レイくんが立ち上がろうときた時。

 どこかともなく現れた漆黒の『真理の(つるぎ)』が六本、レイくんの首に囲むように突き付けられた。

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