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130 心の中に落ちる

 気を失ったのではなく、意識はほぼ継続していた。

 一瞬だけ途切れて直後に回復した意識で把握したことは、落ちている、だった。


 私は高い空から、背中を下にして落ちている。

 けれど急速落下ではなく、ゆっくりふわふわとだった。


 今さっきまで森の只中にいたのに、今は上空から落下している。

 けれどそれによる混乱はなくて、私は現状をすぐに受け入れることができた。


 私の意識は現実から零れ落ちて、心の中に沈み込んだんだ。

 ぐるりと体を捻って下を向き、辺りを見渡してみれば、そこには見慣れた光景が広がっている。

 上空からでもその巨大さがわかる特大の森と、それを囲むお花畑だ。


 この光景は『まほうつかいの国』のもののようで少し違う、私の心象風景だ。

 何度かこのように訪れたことがあるから、それに関しては慣れたものだ。

 けれど、眼下にはいつもとは明らかに違うものが混じっていた。


 霧が、モクモクと立ち込めている。

 それもただの霧じゃない。甘く蕩けそうなピンク色の霧だった。

 妙に淫靡な雰囲気のピンクの霧が、森の周りに広がっているお花畑を覆っていた。

 いや、この空間自体を覆い尽くそうとしていた。


 霧の侵食を受けていないのは中心にある森だけで、お花畑はほぼピンクに染まっている。

 こんなことは初めてだ。あれは、一体…………。


「────アリスちゃん」


 明らかに異分子である霧に眉をひそめていると、少し上から声が降ってきた。

 私と同じようにふんわりとゆっくり落ちてきたその人は、すぐに私のすぐ横に追い付いてきた。


「……レイくん」

「やぁ、お邪魔してるよ」


 いつもと変わらない爽やかな笑みで、レイくんは優しく言った。

 先ほどまでと変わらず、転臨の力を解放した白兎の耳と、妖精の姿を晒して羽を広げた姿のまま。

 自らの力で浮遊するレイくんは、垂直な体勢のまま私に合わせて降下している。


「こんなところまで、来られるなんて……」

「こうして君の心の中に訪れたことに関しては、僕は無理強いをしていないよ。僕とアリスちゃんは友達だから、その繋がりを辿ってきただけさ」

「あ、そうか……」


 私の心の中の世界にまで乗り込んでくるなんて、と思ってしまったけれど、そう言われると納得してしまう。

 透子ちゃんが何度かここへ来てくれたのと同じように、私の友達ならば訪れることができるんだ。


「ただその為には、君自身に心の中へ落ちてもらう必要があったからね。それに関しては、君の精神に干渉させてもらった。ごめんね」

「………………」


 そう申し訳なさそうに言われると文句が言いにくい。

 さっき魅了をかけたのは、私を思惑通りに動かそうというのと同時に、こうして意識を落とす為だったんだ。

 ということはつまり、今この空間に充満しているピンクの霧は、私の心がレイくんの魅了に浸食されていることの現れなのかもしれない。


 私の意識が深層に落ちている今、ここにいる私はさっきほど思考がぶれないけれど。

 けれど充満さているピンクの霧、侵食している魅了は私の心を確かに縛っている。

 そしてあの霧がこの空間を完全に埋め尽くし、核たるこの私が飲み込まれれば、きっと私は堕ちてしまう。


 危機感が身を引き締め、私は空中で身を捻りながらレイくんから少し距離を取った。

 同じように垂直に姿勢を整えて、まっすぐレイくんを見据える。


「これから、何をするつもり?」

「もちろん、このまま君と一緒に深奥へ降る。彼女を眠りから引き出し、僕のいうことを聞いてもらうさ」

「そんなこと、本当にできるの? 相手は『始まりの魔女』。下手なことをしたら、それこそ怒りを買うかもしれない。そうしたら、私もレイくんも……」

「まぁ、確かにリスクはあるね」


 レイくんは穏やかな笑みを浮かべながらも、真剣な表情で頷いた。


「けれど、僕だってこの二千年間なにもしていなかったわけじゃない。魔女として、僕は力を培ってきた。僕という妖精の概念と、持てる魔力を総動員して、彼女であっても虜にしてみせるさ」


 レイくんの瞳に迷いはなく、自信の程が窺えた。

 恐らくそれは、そうしなければならないという覚悟からくるものだ。でも……。


「大丈夫だよアリスちゃん。彼女に君は傷付けさせない。君の心は僕が守るから。心配する必要なんてないよ」

「……違う。そういうことじゃ、ないよ。私はドルミーレが恐ろしいんじゃない。その先が怖い、嫌なんだよ」


 優しく微笑むレイくんに、私は強く首を振った。

 私はこの力で魔法使い滅ぼしたくない。

 みんなが住むこの世界を、作り替えたくなんてないんだ。


「お願い、レイくん。こんなことやめようよ。私は、大切な友達を傷付けることに加担なんてしたくない……!」

「……うん、そうだよね。君はそういう子だ。わかってる。わかってるから、僕は────」


 レイくんが悲しそうに呟いた瞬間、空間に立ち込めていたピンクの霧がモクモクと膨れ上がった。

 それは落下している私たちの高さまで盛り上がってきて、甘い香りのピンク色が私の周りに群がった。


「だから僕は、君を力尽くでモノにするしかなかった。多くの心を抱き、多くのものを大切にする君は、決して僕だけを選んではくれないから! 僕は君だけを愛しているけれど、君は僕だけの味方ではいてくれないと、知っているから……!」

「ッ────!」


 まずい。瞬間的にそう思った。

 大きく膨れ上がったピンクの霧は、私を飲み込まんばかりに押し迫ってくる。

 これに包み込まれれば、私はきっと私ではなくなってしまう。

 本能がそう告げていた。


 けれど、私の周りは既に全てピンクでかわしようがない。

 そもそも、既にレイくんの魅了に侵されている私には逃れる(すべ)なんてなかった。


 僕だけを選んではくれない。

 そんな悲痛な叫びを物語るように、ピンクの霧が押し迫る。

 手に入らないものを力尽くで奪い取ろうと、強引に手を伸ばしてくる。


 レイくんを拒みたいわけではない。

 けれど確かに言う通り、私はレイくんだけのものにはなれないから。

 最後の瞬間まで、言いなりになんてならないと抵抗の意思を示す。

 けれど、私の意思など構わずピンクの霧は膨れ上がって。


 その魅了が私の全てを染め上げようとした、その時。


「アリスちゃん!!!」


 凛とした叫びが遥か頭上から降ってきた。

 それを私が認識した瞬間、炎が私の周りに降り注ぎ、周囲の霧を吹き飛ばした。


 真っ赤に燃え盛る灼熱の炎は、しかし肌を焼くような熱さを感じさせない。

 降り注いだ炎は私を守るようにぐるぐると駆け回り、レイくんを遠ざける。

 この温かな炎を私はよく知ってると、そう心が感じた。


 そして、渦巻く炎が晴れる。

 魅了の霧は遠くに追いやられ、森の上空は見通しが良くなっていて。

 そんな中で、私とレイくんの間に一人の女の子が浮かんでいるのが見えた。


 私に背を向ける、艶やかな長い黒髪。

 スラリと流麗な、目を奪うような佇まい。

 セーラー服を着た、その人は────


「透子ちゃん!」


 神宮 透子が、私を守らんとレイくんの前に立ちはだかっていた。

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