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125 僕が間違っていた

「────アリスちゃん!」


 堅い決意を胸に再びヨロヨロと立ち上がった私のもとに、氷室さんが物凄い勢いで飛び込んできた。

 私を押し倒さんばかりの勢いで、けれど強く抱きしめて体を支えてくれた氷室さん。

 その表情にはいつものポーカーフェイスの色が薄く、焦燥が塗りたくられていた。


「アリスちゃん、大丈夫……!?」

「う、うん。なんとか、生きてる。ありがとう氷室さん」


 細い体で懸命に私を抱きしめてくれる氷室さんに、抱きしめ返しながら答える。

 私の返答に安堵した氷室さんは、抱きしめる腕の力を強めて、私の肩に頭を預けた。

 それと同時に私に治癒の魔法をかけてくれて、ゆっくりと全身の痛みが和らいでいくのを感じた。


 真奈実さんがいなくなったことで、彼女が制定した領域の制限はなくなっている様だった。

 氷室さんを抱きしめながら周りを見てみれば、リーダーを失った魔女たちは動揺して動きを止めていた。

 彼女たちに執拗に付きまとわれていた氷室さんがこっちに来られたのは、そのお陰なんだろう。


 真奈実さんが掲げていた正義は、確かに魔女のためになるものではあった。

 ドルミーレ云々は別としても、魔法使いを下して魔女の世界を作るという点においては。

 そんな彼女に賛同し、付き従ってきた魔女たちは、果たしてリーダーを失ってもその道を突き進めるのだろうか。


 元々過激な思想を持っている魔女も少なくはなかったけれど。

 魔法使いへの全面闘争は、リーダーの鶴の一声によるものが大きかったはずだ。

 それは、レイくんやクロアさんがはじめは否定的であったことからもわかる。


 なら、ワルプルギスのリーダー亡き今、これ以上の戦いを望む人はいないんじゃないかな。

 お姫様である私が声を上げれば、残った魔女たちは大人しく身を引いてくれるかもしれない。


 そう、思った時。


「なんて、ことだ…………あぁ、ホワイト……」


 レイくんが、トボトボと項垂れながらこちらに歩み寄ってきた。

 雪の様に白い髪と兎の耳をだらりと垂らし、その煌びやかな表情を曇らせて。


 その気配を感じた氷室さんは急いで私から腕を解くと、代わりに強く腕を抱きしめてレイくんに視線を向けた。

 まるで、誰にもとられまいとする様に。


「……彼女では、ダメだったのか────他人では…………いや、僕が彼女の手綱をちゃんと……」

「レイくん……」


 真奈実さんによる領域の遮断で、彼女に干渉を阻まれたレイくん。

 助けることも止めることもできなかった悔しさなのか、今にも泣きそうな顔で曇った声を出す。

 そんなレイくんに、私はなんて声をかけていいのかわからなかった。


 真奈実さん自身の暴走、独断の部分が大きかったとはいえ、結果的にワルプルギスの企てを私は阻んでしまった。

 ドルミーレは再臨されることなく、そもそも助力そのものを拒んですらいた。

 真奈実さんという器を失った今、ワルプルギスにはドルミーレを呼び起こす(すべ)はないだろうから。


「………………」


 言葉に迷っている私に、レイくんはその潤んだ瞳を静かに向けてきた。

 そこには怒りや恨みはなく、けれどとても寂しそうで。

 レイくんは、弱々しい顔でゆっくりとこちらに歩みを進めてくる。


「……やっぱり、この手段ではダメだったんだ。正攻法以外はあり得なかったんだ。これを選択肢に入れた、僕の失敗だったんだ……」


 一人ポツリと呟きながら、レイくんは私の目の前へとやってきた。

 氷室さんが警戒心剥き出しで睨むけれど、私にはそんな気はとても起きなくて。

 ただ、とてつもなく申し訳なかった。だってレイくんは、ただ魔女を救いたかっただけなんだから。


 レイくんは昔から、そのために動いてきた。

 そして私はそんなレイくんの力になるって約束したんだ。

 けれど、魔法使いを殲滅するというやり方にはどうしても賛同できなくて。

 だからこうして、その企てを阻まざるを得なかった。


 でもレイくんの想いはとても純粋なものだから、どうしても申し訳なさが出てしまう。

 けれど、それを踏みにじった私にそんなことを思う資格なんて、ないんだ。


 だから私は、真っ直ぐレイくんに向き合った。

 それが私にできるせめてものことだと思ったから。

 その希望を打ち砕いた私にできるは、手を取り合って新たな道を模索すことだ。


「レイくん、私────」

「アリスちゃん。僕が間違ってた」


 私の言葉に覆いかぶさって、レイくんはとても冷静な声でそう言った。

 その瞳には寂しさを浮かべたまま、しかし沈みきった表情はもうない。

 凪いだ海の様に静かな顔で、レイくんは私を見る。


「僕が、間違っていたんだ。こんなこと、するべきじゃなかった。僕は、大切なものを失う恐怖に負けて、最善ではない選択をしてしまったんだ」

「………………」

「ホワイトはとてもいい女の子だった。常に正しく清らかで、人を束ねるべき子だった。彼女の様な優秀な子を失ったのは、僕の責任なんだ」

「そんなことは……」


 真奈実さんを主軸としてワルプルギスを作り出したのはレイくんらしいけれど、でも組織を引っ張っていたのは彼女で間違いない。

 そして彼女自身の意思と選択によって、この戦いは起き、そして私たちはぶつかり合った。

 その全ての責任がレイくんにあるとは、私には思えなかった。

 けれど、そんな慰めの言葉はきっといらないんだろう。


「レイくん。一緒に新しい道を探そうよ。私、レイくんとの約束忘れてないよ? 今回のやり方は賛同できなかったけど、魔女を救う方法はきっと他にも────」

「いいや、アリスちゃん。僕はまだ諦めないよ」


 そう言ったレイくんは、私の目を真っ直ぐ見た。

 黒い瞳が吸い込む様に深く渦巻く。


「諦めない。諦められるわけがないんだ。だって僕は、ずっとずっと、気が遠くなるほど長い間、ずっと願ってきたんだから。今を逃せば、君は手の届かないところへ行ってしまう……」

「で、でも、レイくん。真奈実さんはもういない。私の力を受け入れられる人なんて……」

「ああ、いない。それは彼女だからこそできたことだった。けど、手段はそれだけじゃない」


 レイくんは飽くまで冷静に淡々と語る。

 けれどその言葉の内に込められた想いは、とても深く重いものを感じた。


「はじめからこうするべきだったんだ。何がなんでも、方策を変えるべきじゃなかった。そうすれば、()()の怒りを買う必要はなかったんだ……」

「レイくん、一体何を……」

「難しいことじゃない。単純なことだよ、アリスちゃん。君が、その全ての力を受け止めてくれればいい。大丈夫、僕に任せて」


 いつもと変わらぬ爽やかな笑みを浮かべて、レイくんが手を差し伸べてきた。

 しかし、氷室さんがそれを振り払って、私の腕を抱いたまま一歩前に歩み出る。

 氷の様な涼やかな瞳で視線を突き刺す彼女を、レイくんは負けない静かな視線で返した。


 そんな二人のやり取りを見てレイくんが何を言わんとしているのかわかった私は、しっかりと首を横に振った。


「レイくん、私は力を貸せないよ。どんなことがあっても、魔法使いを滅ぼすことの手伝いはできない」

「うん、わかってる。君はそういう子だ。だから僕は、君を大切に思うあまりその気持ちを尊重してきた。けれどそれだけじゃダメだったんだ。君を肯定することが、必ずしも守ることに繋がるわけじゃなかった」

「どういう、こと……?」

「僕が導く。全てをだ。その力も、心も、行末も。僕が君の手を引こう。最初から、迷わずそうしていればよかったんだ……!」


 途端、レイくんから大きな力が吹き荒れた。

 転輪の力を解放している際に発せられる、この世のものとは思えない醜悪な魔力────ではない。

 確かに異形を表しているその身からはそういった気配も感じられるけれど。

 でも今レイくんから巻き起こった力は、それとは全く別種のものだった。


 思わず体を縮こめて、氷室さんと共に数歩後ずさる。

 レイくんの中で膨れ上がった力は白い輝きとなって可視化し、その体を包んでいく。

 その力が轟々と波動を起こしていく中で、レイくんは煩しそうに漆黒のブルゾンを脱ぎ捨てた。


 それによって晒される、透き通る様な肌色。

 しかし胸部から左右の脇腹にかけては白いふわふとした兎の毛が生えていて、裸体が晒されることはなかった。

 膨らみがほぼ見受けられない胸の中心からお臍までの縦筋と、うっすらと筋肉が見て取れる滑らかなお腹だけが、妙に扇情的に肌の色を見せている。


 ただ、まとうものを失ったその肉体は、細身な流線型ではあるけれどどこか凛々しくもあって。

 なんだか、妙な違和感を覚えた。


 そんな場違いなことに気を割かれていた時、レイくんの力がさらに膨れ上がって、そして。

 その背中から、うっすらと透明な、昆虫の様な黒い羽が開いた。


「…………え」


 その瞬間、私はこの不思議な力の正体に気付いた。

 私は、これに近い感覚を知っている。

 魔法とは違う、この力の感覚を。


 その背中に生えた羽は、転輪の解放による肉体の変形ではない。

 透き通った昆虫の様な羽を持つヒトを、私は他にも知っている。


「レイくん、あなたは、まさか────」

「そうだよ、アリスちゃん。僕は妖精。妖精の身で『魔女ウィルス』に感染し、切り離された異端。魔女になった二千年前から、僕はずっとこの時を待っていたんだ。だから今更、諦めることなんてできないのさ……!」


 魔女の力と妖精の力。

 二つの力を膨らませ、レイくんは静かに叫んだ。

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