43 私の中のお姫様
「聞きたいこと、あるんだけど……」
力についてもう説明する気がない────のかできないのかは知らないけど、とにかく力についての説明を終えてしまったお姫様に、私は諦めて別の質問をすることにした。
おずおずと尋ねる私に、お姫様はにこやかに微笑む。
「あなたが過去の私────つまり私が知らない『まほうつかいの国』を救った頃の私だっていうことはさ。あなたは知ってるんだよね? D4とD8のこと」
「うん、知ってるよ」
お姫様はとても朗らかに答えた。
とても軽く、当たり前のように。
「わたしが知ってた頃は、そんなカッコ悪い名前じゃなかったけどね」
「いや、あれコードネームみたいなものでしょ。カッコイイも悪いもないよ」
「レオとアリアはね、わたしの大切なお友達」
それがあの二人のことだということは、聞かなくてもわかった。
お姫様はニコニコ嬉しそうに話す。
「二人共とっても優しくてね、いっつもわたしと一緒にいてくれて。わたしは、二人がすごく好きだった」
二人は私を親友だと呼んだ。お姫様を大切だと言っていた。
それをこのお姫様も、同じ顔をして言う。
「じゃあ、私があの二人と戦ったりするの、嫌でしょ」
「うーん。そうだなぁ……」
お姫様は困ったように苦笑いした。
「確かに二人共わたしの大切な友達だけれど、それは過去のわツィの気持ちであって、今の『私』の気持ちじゃない。わたしは、今の気持ちを大切にするべきだと思うから……」
「でも、それじゃああなたの気持ちが────」
「わたしはわたしじゃなくて、あなただからね。わたしは昔の思い出みたいなものだから。過去に縛られて、今をないがしろにしちゃダメだよ」
お姫様の言いたいことがわからないわけじゃない。
けれどお姫様はこうしてここにいる。私の心の中に存在してる。
それなのに、そんな過ぎ去ったみたいなことを……。
「そんな顔しないで。わたしはあなたが思っているような存在じゃないの。わたしは飽くまであなたの中の、『お姫様』という部分に過ぎない。別人格とかじゃないの」
「でも、現にあなたはこうして私と向き合ってる」
「それはここがあなたの心の中で、あなたにとってこれがイメージしやすい形だからだよ」
もう一人の自分のように面と向かった方がわかりやすい。それだけのこと。
「さっきも言ったでしょ? わたしはあなただけど、あなたはわたしじゃない。わたしはあくまであなたの一部。引き剥がされてからも、わたしはあなたとしてずっとあなたの人生を歩んできた。同じものに触れて、同じように感じて生きてきた。あなたの気持ちはわたしの気持ちなの」
だから、かつての記憶より今の方が大事だってお姫様は言う。
引き剥がされても同じ道を歩んできたんだからと。
「だからあなたが気兼ねする必要はないよ。もちろん、いつかわたしたちが元の形に戻った時、あなた自身が『お姫様』を自分自身とした時に、どう感じるかはもちろんその時のあなた次第。それはまた、その時感じてその時考えればいいでしょ」
そう言って笑うと、お姫様は私の口の中にシュークリームを押し込んだ。
「んー!」
「今を大事にして。今感じる気持ちを大事にして。『私』はそれをずっと大事にしてきたはずだよ」
心のままに、今大切に思うものを。今正しいと思うことを。
感じる想いに、溢れる気持ちに正直に。
確かに私はいつもそうしてきた。考えなしかもしれないけれど、自分の気持ちを信じてきた。
飲み込みきれない部分もあるけれど、彼女がそういうのなら、今はその気持ちを大事にしよう。
「なら、あの二人がどんな人たちなのか教えてよ」
何とかシュークリームを飲み込んでから、私は尋ねた。
昔を知ることは、私の知らないことを知ることは、きっと大事なことだから。
それに個人的に、あの人たちの本当の姿というのにも興味があった。
「それは……話せないの。話したくないんじゃなくて、話せない。『お姫様』の頃の話は、あんまり多くは話せないみたい」
「そう、なんだ」
ちょっぴりがっかりだった。彼らに対する私の印象は、まだ怖い魔法使いというくらいのことしかない。
お姫様の当時の視点から、あの二人がどう見えていたのか知りたかったんだけどな。
でもそれはきっと、私自身が思い出さないといけないことなんだ。
過去の私とはいえ、客観的に聞くものじゃない。
「あれ……?」
少し頭がぼんやりしてきた。
温かい紅茶を飲みながら甘いお菓子を食べて、心地よい日差しに当たって眠くなってきたのかな。
ふんわりと頭に霞がかかる。
「そろそろ時間みたいだね」
「時間……?」
「そう。あなたは元いたところに帰らないと。ここは夢の中みたいなものだから、目を覚まして現実に帰らないと」
ぼんやりとする頭で朧げに思い出してきた。
そう。私は今戦っている。私は戦うための力を欲していたんだ。
そうだ。みんなを守らないと。早く帰って、守らないと。
「また会える?」
「どうだろう。こうして向かい合えたのは、奇跡みたいなものだから。また会えるかもしれないし、もう会えないかもしれない」
「それは、寂しいなぁ……」
「寂しくなんかないよ。だってわたしはあなたの一部なんだから。いつだって一緒だよ」
お姫様は微笑む。無邪気に屈託なく。
私と同じ顔で作るその笑顔は、でもどこか私とは違う。
「自分の心を大切にして。わたしの力は、あなたの力は、繋がる力なんだから。あなたの心の中にいるわたしを感じて。あなたの心に繋がる、大切な人たちの心を感じて。その想いが、あなたの力になる」
段々と声が遠くなる。その姿もぼんやりとしてくる。
眠気に体が耐えられない。もっと話をしたい。
もっと聞きたいことがあるのに、頭が重い。
「大丈夫。あなたなら大切な人を守れるよ。だってわたしにできたんだから。今度だって大丈夫。この力は、きっとあなたが望む結末に繋がるはずだから────」
伸ばした手が空を切る。もしかしたら伸ばせていなかったかもしれない。
もう意識は薄ぼんやりとしていて、微睡みの中に。
そして私の瞼は降りた。
眠りに落ちるように緩やかに。ゆっくりと意識が落ちていく。
切り離された私の力。私の思い出。大切な心。それはきっと、今は取り戻せない。
これは彼女の言った通り奇跡のような邂逅で、本来あるべきことじゃない。
ほんの一瞬の、すれ違いのような接触。私自身は何も変わってない。けれど、私に繋がる何かは見えた。
私の中に眠るとても大切なもの。私が知らなくて、思い出せなくて、切り離されてしまったもの。
今の私にとっては、どれも他人事のよう。
だから帰らなくちゃ。今の私のいるべき場所へ。私を待ってくれている人のところへ。
私自身が思い出せない過去。私自身が知らない思い出。
きっとそれは大切なものだって頭ではわかるけれど、でも今の私にとって大切なのは、今ここで私に寄り添ってくれている人たちとの日々だから。
この出会いは夢と同じ。私は目覚めて現実に帰る。
今現実を生きているのは私だから。私は、私が大切だと思うもののために生きるんだ。
がむしゃらに足掻いて、私を守ろうとしくれる友達を私も守るんだ。
力のない私に力を貸してね。
いつかきっと、私たちが同じ気持ちで笑える日を迎えるために。