119 怒り
一瞬、何が起きたのか理解ができなかった。
ドルミーレの力を大きく引き出し、その圧倒的な輝きを持って私たちを消し飛ばそうとしたホワイト。
息が詰まりそうなその圧力に、私たちはただ身構えることしかできなくて。
しかし、ホワイトは唐突にその攻撃の手を止め、頭を抱えて仰け反った。
白く眩む光は全て掻き消え、もがくホワイトが頭を掻き乱すことで髪の蛇が無茶苦茶に踊り狂った。
「真奈実!? 一体どうしたの!?」
そのあまりの唐突ぶりに、善子さんは顔を青くして叫んだ。
けれどその言葉を聞き入れている余裕なんてないようで、ホワイトは一人喚きながら悶えている。
苦しみにのたうち回ることでその長い蛇の尾が振り回されて、無作為にこちらに振るわれた。
私たちは慌ててその場から距離をとって、一人もがき苦しむホワイトを遠巻きに見守った。
善子さんは今にも彼女に寄り添っていきたそうだけれど、暴れ回る彼女の傍に近づくことなんて到底できなかった。
少しでも近づけば、無作為に振り回されている蛇の尾や髪の蛇の餌食になる。
『────────────!!!!』
声にならない悲鳴を上げて、ホワイトは恥も外聞もなく苦しみを露わにする。
その叫びは私の心を激しく掻き乱した。
まるで、自分自身の悲鳴を聞かされているみたいな。そんな他人事とは思えない苦痛が伝播する。
そう感じた時、私は気づいた。
彼女が何に苦しんでいるのか。
絶好調だった彼女を阻んでいるものが何なのか。
「ドルミーレが、怒ってる……?」
ドルミーレの心を外に映し出された今の私には、ドルミーレの声は聞こえてこない。
けれど、それでもこの心を騒つかせる感覚は、ドルミーレが気を荒立てた時の感覚と同じだった。
全てを映し切ってはいないといえ、今ドルミーレの力の大部分はホワイトの元にある。
ならば彼女の感情の矛先も、またホワイトの身に降りかかるんだ。
『始祖、様…………ドルミーレ、様……! どう、して……どうしてそうも…………わたくしは、貴女様の、為に────────!!!!』
攻め込んでくるドルミーレの感情に必死に抵抗しているのか、ホワイトはのたうち回りながら絶叫する。
ドルミーレに全てを捧げると言っていた彼女だけれど、怒り狂う感情の苦しみには耐えかねている様だった。
「ア、アリスちゃん……あの子、一体どうしちゃったんだろう……? 私、どうすれば……!」
「私から奪い取ったドルミーレの力が、彼女の心に襲いかかっているんだと思います。ドルミーレは元から、彼女に対して怒っていたから」
オロオロと震える善子さんは、私の手を硬く握りながら心配そうにホワイトへ目を向ける。
私の何の励ましにもならない言葉に、ギュッと唇を噛んで。
昨日の戦いの時点で、ドルミーレはホワイトの蛮行に怒りを抱いていた。
その理由、きっかけはよくわからなかったけれど。
でも少なくとも、ホワイトのしようとしていることに対して、ドルミーレが快く思っていないことは明らかだった。
ワルプルギスはドルミーレを信奉し、彼女の為だと再臨を目論んでいるけれど。
その過程の行い、その目的そのものが本当にドルミーレの為なのか。
その問い答えは、今目の前で起きていることが物語っている。
再臨を目論むことこそがいけないのか。
それとも、夜子さん曰く愚弄である、転輪や擬似再臨がいけないのか。
それとも、彼女たちのあらゆる行いがいけないのか。
いや、今この時に関してみれば、自分の力を好きな様に使われていることに対してかもしれない。
理由が何なのかは私にはわからないけれど。
いずれにしても、ドルミーレにとってワルプルギスは、ホワイトは受け入れがたいものであるといことは明らかだった。
『お怒りを────どうか────! わたくしは、貴女様をお慕いし、全ての魔女の、為に────ぁぁあぁあああああ!!!!!』
ホワイトの悲鳴は止まらない。寧ろその激しさは増し、苦悶の叫びと共に悍ましい魔力が周囲に吹き荒れた。
黒い魔力が乗った悲鳴は波動のように広がり、強い衝撃となって辺り一体に撒き散らされる。
「真奈実を、助けないと……! このままじゃ、あの子……!」
押し寄せてくる濃密な魔力の波動を障壁で防ぎながら、善子さんは叫んだ。
そこには今の今まで戦っていた相手へ向ける目はもうなくて、ただ親友を思う瞳だけが揺れていた。
ホワイトから感じられる醜悪な魔力が、どんどんと強くなっていくのを感じる。
そしてそれは彼女自身が望んでいるものではなく、ドルミーレの怒りによるものなんだろう。
その底知れない魔力がホワイトの制御を離れ、ドルミーレの感情によって彼女の肉体を蝕んでいる。
心に伝わってくるのは、怒り、怒り、怒り。
憤怒の感情が止めどなく流れてきて、私もそれに飲み込まれそうになる。
他人のことをものとも思わないドルミーレがあそこまで怒っているのなら、このままではホワイトの命が危険なのは明らか。
『魔女ウィルス』に完全に書き換えられた肉体を持ち、その体をドルミーレに近い存在へと昇華させ、そして挙句にドルミーレの心と力を映しているホワイト。
そこまでドルミーレに委ねた体で、彼女に抗えるわけがないんだから。
全てをドルミーレに捧げたことが、完全に仇になっている。
『あぁ……あぁあぁああ! 始祖様、どうか、お鎮まりを…………今、貴女様を現世へとお迎えいたします。この身に貴女様の全てを抱き、貴女様を…………! その、為には……その為には……!』
未だ苦痛は止まず、寧ろ大きくなっているはずなのに、ホワイトはその折れぬ瞳を私へ向けた。
ドルイーレの怒りにも屈せず、苦痛に心折れることもなく、ただ真っ直ぐに目的を見据えている。
『姫殿下ぁあ! 貴女様が、邪魔────なのです……! 始祖様のこのお怒りを、鎮めるためには、完全なる再臨が必要!!! この様な不完全な体では、始祖様はお認め下さらない!』
「違う────ホワイト! あなたはドルミーレに拒絶されてる! これ以上その力を持っていたら、あなたは……!」
『そんなことは、ありません! わたくしは、正しい────! 我らが母たるドルミーレ様が、それをお認めくださらないはず、が、ないのです……!』
聞く耳を持たないホワイト。いや、そんな余裕がないのかもしれない。
全身を苛み、心までも蝕む苦痛の中で、向けられる意識は目的の達成だけ。
理性などほぼなく、その心に刻まれた正義だけが彼女を突き動かしている。
「もうバカなことはやめなよ、真奈実! そのままじゃアンタ、死んじゃうよ!」
『わたくし個人の死など、どうでもいい……! この身体、心は始祖様へと捧げるもの! それを成すことができれば、いずれにしてもわたくしは、大いなる原初に溶けるのですから……!』
善子さんは目に涙を溜めて、痛切に訴えかけた。
敵対心はもうなく、対立心もありはしない。
苦しみのたうち回る親友をとても見ていられない。ただそれだけの、純粋な心。
しかしそれでも、ホワイトは私に向ける殺気を緩めない。
『さぁ、姫殿下! 大人しく、わたくしの正義を受け入れるのです!!!』
唸るような叫び。身の毛もよだつ醜悪な魔力。
血走った獰猛な瞳の中に、もう正義なんて見て取れなかった。




