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97 荒唐無稽な話

「……………………は?」


 あまりにも突拍子もない言葉に、理解が追いつかない。

 どうして今クリアちゃんの名前が出てくるのか。

 辺りを見回してみても、もちろん彼女の姿はない。


 クロアさんのその濁った瞳は、氷室さんに向かって真っ直ぐに注がれている。

 それはどう見ても目の前の人に対する呼びかけだった。


 重苦しい静寂が流れる。

 森の中に満たされた闇に、全てを飲み込まれてしまったんじゃないかと思うほどの、重厚な静かさ。

 クロアさんは意地の悪い歪んだ笑みを浮かべ、対する氷室さんはピクリとも表情を変えず、無言のままだ。


「なにを、言ってるんですか……?」


 わけがわからなさすぎて、堪らず尋ねる。

 何故クリアちゃんの名前が出てきて、しかもそれを氷室さんに向けられたのか。

 あまりにも脈絡がなさすぎて、私はただただ戸惑うばかりだった。


 そんな私に、クロアさんは黒く微笑む。


「その者の名にございますよ。姫様」

「そ、そんなわけないですよ。氷室さんは氷室さん。クリアちゃんはクリアちゃんです。全然、違う……」


 ここにいる氷室さんは、確かに私のよく知る氷室さんだ。

 今ここが薄暗かろうがなんだろうが、それは見間違えない。

 その鮮やかなスカイブルーな瞳、雪のように白い肌、何事にも動じないポーカーフェイス。

 何より私が感じるその心は、確かに氷室さんのものだ。他の誰かなんてあり得ない。


 だからクリアちゃんが氷室さんのフリをしてやってきたとか、そんなことはありえない。

 そもそもそんな理由がないし、クリアちゃんは氷室さんのことを知らないはずだ。

 それにさっきまであの場に一緒にいたんだから、姿を偽って現れる理由がない。


 私が首を振っても、クロアさんは氷室さんを見つめたまま微笑むだけ。

 その余裕が、なんだかとても怖かった。


「クロアさん、一体何が言いたいんですか? ここにいるのは確かに氷室さんで、クリアちゃんなわけがありません。私が、ずっと一緒にいた氷室さんを間違えるなんてこと、ありえない……」

「ええ、そうでございましょうね。その者は確かに、姫様のお側にずっといた者。それは間違いないのでしょう。しかし、問題はそこではないのですよ」

「………………?」


 クロアさんの言葉に、更にわけがわからなくなる。

 氷室さんが氷室さんで間違いないというのに、どうしてクリアちゃんと呼びかけるのか。


「もしかして、クリアちゃんの正体が氷室さんだって、そう言いたいんですか……? 彼女がいつも、姿を覆い隠してる、から……」


 そんなのあまりに暴論だと思いつつ、浮かんだことをそのまま口にしてみる。

 確かにクリアちゃんはその顔を常に隠していて、私だって見たことはない。

 だからって、それが氷室さんだというのは流石に滅茶苦茶な話だ。


 けれど、クロアさんは無言のままにニンマリと笑みを増した。

 まるでそれを肯定するかのように。


「い、いやぁ……そんなバカな! ありえないですよ!」


 自分で言っておいてなんだけれど、そんなことあり得ない。

 だって私は、氷室さんとクリアちゃんに、それぞれ別の場所で出会っている。

 その二人が同一人物だなんて、そんなことはあり得ない。


 向こうの世界の、私の街に流れ着いてきて出会った氷室さん。

 こっちの世界の『魔女の森』で出会った、透明な頃のクリアちゃん。

 私が七年前にこちら世界に来た時、氷室さんは向こうでずっと待ってくれていたんだから。

 それにもし万が一氷室さんがクリアちゃんなら、『魔女の森』で出会った時にそう言ったはずだ。


 その事実を隠している理由はないし、違う名を名乗る意味もない。

 さっきクリアちゃんと出会った時だって、そう言ってくれればよかっただけだ。

 それに氷室さんだったら、私が止めたら絶対に止まってくれたはず。


 クリアちゃんが姿と顔を隠しているからといって、それはあまりにも荒唐無稽な話だ。

 どんなに考えても否定材料しか浮かんでこない。

 クロアさんがあまりにも堂々と言うから戸惑ってしまったけれど、明らかにおかしな話だ。


「それはあり得ません。よくわかんないですけど、クロアさんの勘違いですよ」

「……左様でございますか────姫様はこう仰っておりますが、いかがですか?」


 私が否定してもクロアさんは笑みを崩さず、優雅に氷室さんに尋ねた。

 ついつい心配になって氷室さんの顔を見ても、そこに動揺の色などなかった。


 もし本当に、何かの理由があって私に嘘をついていたんだとしたら、流石の氷室さんもその暴露に反応を示すはずだ。

 けれどそこにあるのは、何を言っているのかというような、クールな瞳だけだった。


「…………私は、氷室 霰。それ以外の何者でもない」


 ポツリと、普段も変わらぬ淡々とした言葉を口にする氷室さん。

 クロアさんに冷たい視線を突き刺して、揺らがぬ表情をぶつける。

 そしてすぐに私の方を向くと、そっとその手を重ねてきた。


「……大丈夫。何も、心配しないで。私は決して、あなたを裏切らない」

「うん、信じてるよ」


 そのひんやりとした手の感触も、優しく静かな声も、透き通るような瞳も。

 どこからどう見たって昔から私がよく知る氷室さんで、他の何者でもない。

 こうして隣に並び立って手を繋ぎ、心を交わしているんのだからわかる。


 クロアさんがどうしてそう思ったのかはわからないけれど。

 でもきっとそれは、クリアちゃん憎しと氷室さん憎しの気持ちが混ざり合った結果の、盛大な思い違いなんだろう。

 さっきもクリアちゃんはクロアさんから私を奪おうとしていたし、氷室さんは今クロアさんの邪魔をしている。

 二人の共通点なんて、それくらいだ。


 或いは、私が信頼を寄せる氷室さんが、狂気の魔女と言われているクリアちゃんだったなら、不信を買うと思っての虚言か。

 それとも、普段の穏やかさを失い荒れ狂っている彼女は、もはや錯乱してしまっているのか。


 いずれにしても、その言葉には信憑性がない。


「そうですか。そうでございますか。この期に及んでまだ、あなたは罪を重ねるというのですね」


 手を取り合って確かめ合う私たちを見て、クロアさんは肩を揺らして笑った。

 嘲りをたっぷりと含んだ、黒く恐ろしい笑い声で。

 穏やかさや柔らかさ、優しさの全てを失ったその姿は、どこか狂気に満ちていた。


「お可哀想な姫様。わたくしがせっかく機会を与えて差し上げたのに、まだ真実を語られぬまま。しかしあなたがそうやって姫様に対し不忠を働くのであれば、尚のことわたくしはあなたに姫様を奪われるわけにはいきません」


 飽くまで氷室さんはクリアちゃんだと思っているクロアさんは、不届き者を見咎めるように氷室さんを睨んだ。

 深い深い怨みつらみをぶつけるように、その視線に闇を乗せながら。


「もう二度と、あなたに邪魔などさせません。わたくしと姫様の仲を割くことなど許さない。そのお側に侍るべきは、わたくしなのですから……!!!」


 大口を開いてそう叫んだクロアさんから、更に止めどない闇が溢れ出した。

 一切の光を断ち、あらゆるものを飲み込み、この場は瞬く間に暗黒に支配された。

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