80 他とは異なる思想
「アリス様がお気になさることではありません。もう昔の話ですから」
サッと血の気が引いた私に、シオンが手早く言った。
その表情は既に普段通りな落ち着いたものに戻っていて、むしろ私に気を使っているようだった。
「ごめんなさい。私、知らなくて……」
「だからいいんだって。私たちもそれなりに踏ん切りつけてるから、もう引きずっちゃいないし」
それでも謝ると、ネネさんもまた普通通りのトーンで首を横に振った。
二人とも気にしていない風にしてはいるけれど、親を殺されたなんて穏やかじゃない。
気持ちに整理をつけたというだけで、決して悲しくないわけじゃないはずだ。
「私たちの両親は、クリアランス・デフェリアによって六年前に殺められました。彼女のことは、アリス様もご存知でいらっしゃいますでしょう」
「ク、クリア────!?」
シオンさんの口から飛び出した名前に、ぎゅっと心臓が締め付けられた。
頭が真っ白になりかけて、飛行の魔法が一瞬解けそうになってグラつく。
クリア。クリアランス・デフェリア。
それは七年前、私が友達になった子の名前。
『魔女の森』で出会った、透明人間の魔女だ。
記憶を取り戻す前、数日前もその名前を耳にした。
その時は狂った危険な魔女だと、そう教えられて。
実際私がこの国にいた時も、レジスタンス活動をして暴れ回っている魔女として、彼女の名前が挙がっていた。
当時は何かの間違えなんじゃないかと思った。
私が知っているクリアちゃんは、内気で臆病で優しい女の子だったから。
とても、自分勝手に他人を傷つける様な、そんな残忍な人には思えなかったから。
けれどあれから長い時間が経つにも関わらず、彼女の名が狂気の魔女として語られ続けているのであれば。
考えたくはないけれど、私の知るクリアちゃんが、暴れ回る危険な魔女なのかもしれない。
「私たち以外にもライト様傘下の魔女狩りは、魔女に何らかの禍根を持つ者たちです。身近な人間を害されたり、知人が魔女となってしまったりと、様々ではありますが」
「そ、そうなんですか…………」
穏やかに話を続けるシオンさんに、私はしどろもどろな相槌しか打てなかった。
クリアランス・デフェリアは私の友達だと、正直に言うべきかどうか、頭の中でそればかりがグルグルと回る。
クリアちゃんがそんな恐ろしいことをしているという現実もショックだし、その被害者が身近にいるということも苦しかった。
今ここでそれを打ち明けることは簡単だけれど、でもだからといって何ができるわけでもない。
私だってクリアちゃんが今どこにいるかわからないし、友達だからと私が代わりに詫びても二人はきっと救われない。
クリアちゃんのことは、彼女と出会った時にハッキリさせた方がいい。
彼女こそが本当に狂気の魔女なのか、二人の両親を殺めたのは本当なのか。
それは彼女自身に会わないことにはわからない。
だから今は話をスムーズに進める為に、飲み込むことにした。
「……えっと。でも魔女に禍根があるのなら、余計に魔女を狩りたいと思ってしまうような気がしますけど……」
「まぁ、普通はね。でもそこは、逆にってやつなんだよ」
震える気持ちをグッと堪えて尋ねると、ネネさんが緩めに微笑んだ。
「魔女を恨んでしまいそうだからこそ、ライト様は私たちにそうではないと教えてくれたの。されたことそのものは許さなくても、だからって魔女という存在を恨んじゃいけないってね」
「魔女が悪いのではなく、悪いのは個人の行いやその時の出来事だと。それがライト様の教えなのです。悲しみや苦しみで、感情の矛先を間違えてはいけない。魔女だから悪いわけではないのだと」
「魔女だから悪いわけじゃない……」
それは、私もずっと思っていたことだ。
『魔女ウィルス』に感染してしまったからといって、その人たちが悪いわけじゃない。
魔女の人が起こした特定の悪事や、『魔女ウィルス』の感染によって起きた被害を、魔女という全体に対する恨みにしちゃいけないと、そういうことだ。
そしてそうした事件なども、そもそも『魔女ウィルス』に苦しむが故に起きたものだとしたら。
恨みの矛先全てをその当人に向けて良いものかと、そういう考え方なんだろう。
「ライト様は魔法使いと魔女の本来の在り方を説くことで、その争いの無意味さと、魔法使いの考え方の過ちを教えてくださりました。もちろん、両親を奪われた悲しみと怒りはなくなりませんが、それでもそれを一重に魔女のせいだと決めつけてしまうのは誤りであると、私たちは理解することができたのです」
「大切なのは今いる魔女を徒に狩ることじゃない。『魔女ウィルス』は確かに死を与える危険なものだけど、魔法使いが魔女を蔑む理由にはならない。私たちはそれを知ったから、他のみんなみたいにやたらめったら魔女を狩らないの。私たちの目的は、もう同じような目に遭う人が出ないように、魔法使いと魔女の軋轢をなくすことなんだ」
そう言う二人は、とても落ち着いていてどこか悟っているように見えた。
魔法使いの本来の在り方を知って、魔女との関係性を見つめ直している。
だからこそ彼女たちは、魔女である氷室さんを目の前にしても嫌悪感を全く示さなかった。
魔女とのトラブルを抱えているからこそ、そのトラブルの本当の見方に目を向けて、間違った恨みを抱かないでいる。
彼女たちのその姿勢は、私にとても近いものだと思えた。
「それでも恥ずかしながら、クリアランス・デフェリアに対してはどうしても怒りを隠せません。魔女だからではなく、彼女自身の猟奇性に対して、です。ロード・スクルドが彼女をあと一歩の所で仕留め損なったと聞いた時は、悔しさで眠れぬ夜を過ごしました……」
「アイツがしてきたことは、私たちの親のことだけじゃないからねー。一般の国民を殺したり、それに同胞の魔女に手をかけたって噂もある。野放しにしておくのは、シンプルに危険なんだよね」
「………………」
二人は努めて平静を保って話しているけれど、堪らぬ想いがあることは明白だった。
シオンさんもネネさんも、駆け抜ける風になびく髪でその表情を遮っている。
私はそんな二人に、何も言うことができなかった。
それに、クリアちゃんがロードと戦って命からがら逃げ延びたと言う話は聞いたけれど、その相手がロード・スクルドだったなんて。
ここ数日レイくんやカノンさんたちの前に姿を現したというし、もう動けるくらいには回復したんだろうけれど。
心配や不安で、どうにかなっちゃいそうだ。
「すみません。私たちのことでご心労をおかけしている場合ではないですね。アリス様は、どうかお気になさらず」
「あ、いえ。そんなことは……」
気遣って優しい笑みを向けたくれるシオンさんに、私はまた微妙な顔を返すことしかできなかった。
でもそのままだと余計に気にさせてしまうから、私は気持ちを切り替えて顔を引き締めた。
「ロード・ホーリー傘下の人たちが魔女と戦わない理由はわかりましたけど……そうするとやっぱり、ロード・デュークスとロード・ケインが気になりますね。こんな状況で戦力を割いてるなんて……」
私の命を狙っているというロード・デュークスには会ったことがないけれど、ロード・ケインとは先日の一件がある。
あの見透かしたような笑みで、何か良からぬことを企んでいるのかもしれない。
訝しみながら私が言うと、ネネさん「えーーーっと」と難しい顔をした。
「まぁ私たちも、あの二人が何を考えてるのかよくわからないんだけどさぁ」
私越しにチラッとお姉さんを伺ってから、ネネさんは言いにくそうに口を開いた。
「実は、今一つ言えることがあるんだよね……」
「…………? なんですか?」
言い出しておきながら言い渋るネネさんに、首を傾げながら問い掛ける。
言い寄るつもりはなくても、どこか問い詰めるような視線になってしまった私に、ネネさんは歯を食いしばって唸って。
そして観念したのか、ポツリと申し訳なさそうにいった。
「実はここに来る前……D4とD8がロード・デュークスの襲撃を受けたんだ」




