60 強いんだね
「あ、アリス! やっと来た!」
一旦夜子さんの元を後にして、氷室さんと一緒に下の階に降りた。
するとそれに気付いた千鳥ちゃんが奥からトタトタと駆け寄ってきた。
四階の夜子さんがいる部屋と同じように、オンボロな三階の部屋。
金髪のツインテールをフリフリやってきた千鳥ちゃんは、とても疲れた顔をしていた。
けれど私に向ける目はとてもホッとしていて、縋るように視線を絡ませてくる。
「アンタ、もう大丈夫なの? しばらく気失ってたけど」
「うん。もう大丈夫だよ。それより千鳥ちゃん。さっきはありがとうね。大変だったでしょ?」
「そりゃ大変だったわよ。気が滅入ってしょーがない。でもするしかなかったんだから……」
私よりも低い視線を気まずそうに彷徨わせ、千鳥ちゃんはもごもごと言った。
仕方なかったとはいえ魔女の介錯を立て続けにしたのだから、その精神的な負担は大きかったはずだ。
気の弱い千鳥ちゃんには特に堪えただろう。けれど千鳥ちゃんはすぐに視線を上げて、そんなことよりもと背後に視線を向けた。
「あっちの方が私には向いてないわ。どうしてあげたらいいのか、わからないんだもの」
弱々しくそう言う千鳥ちゃんの視線の先には、善子さんの姿があった。
部屋の隅で座り込んでいる善子さんは、力なく茫然と空を見つめていた。
いつもの元気潑剌な様子はもちろんなくて、まるで別人のように静かだった。
「私じゃ話し相手にもなってやれない。後はアンタに任せる」
「うん。ありがとう千鳥ちゃん」
ションボリと唇を尖らせる千鳥ちゃんは、ふぅと小さく溜息をついた。
てっきり手に負えないと匙を投げておろおろしているかと思っていたけれど、千鳥ちゃんなりに色々気を使ってくれたみたいだった。
素直じゃなくてぶきっちょだけど、千鳥ちゃんはやっぱり優しい子だ。
千鳥ちゃんにお礼を行って、私は善子さんの元に向かった。
氷室さんもつい来てくれようとしたけれど、千鳥ちゃんと一緒に待ってくれるようにお願いした。
あんまりゾロゾロ連れ立ったら、気疲れしちゃうかもしれないから。
「お体、大丈夫ですか?」
「アリスちゃん……」
暗い隅で膝を抱える善子さんに明るく声をかけると、細い声が返ってきた。
私の存在に今ようやく気付いたみたいで、私の顔を見て引きつっていた顔が少し和らいだ。
どんよりと暗い顔に薄く笑みを作って、疲れ切ったような優しい顔を私に向ける。
「私は、まぁ。アリスちゃんこそ、大丈夫……?」
「私も大丈夫です。疲労は残ってますけど大事はありません。隣、失礼しますね」
余裕のない顔をしながらも私を気遣ってくれる善子さんに笑顔で答えながら、私はその横にぴったりとくっつくように腰を下ろした。
肩と肩を触れ合わせて並んで座ると、善子さんの体が僅かに震えているのがわかる。
私に対しては優しく接してくれているけれど、精神的に参っているのは明らかだった。
結局善子さんはホワイトと心を交わすことはできなかった。
自身の正義を一歩も譲らないホワイトと、わかり合うことができていなかった。
そしてその人ならざぬ姿と力に打ちのめされて、身も心もボロボロなんだ。
大切な親友にそこまでの拒絶をされるなんて。
その気持ちを考えると、私まで涙が出そうだった。
それなのに善子さんは、弱々しいながらも懸命に笑顔を作っている。
「千鳥ちゃんにすごく気を使わせちゃったよ。あの子、案外いい子だね」
「気は小さいですけど、でもその分優しいんです。私の大好きな友達ですよ」
「そうだね。すごく困った顔してるのに、それでも私にずっと話しかけてくれるんだもん。後でちゃんと、謝んなきゃ……」
ハハハと乾いた笑いを浮かべる善子さん。
普段通りに話そうとしているみたいだけれど、無理しているのが丸わかりだった。
私を目の前にして、ちゃんと先輩をしないといけないと思っているんだ。
こんな時くらい、自分のことを考えればいいのに。
でもそうやって私に対して強っがっている善子さんに、私が慰めの言葉をかけてはいけない気がした。
本当は弱さを見せて欲しいし、弱音を聞かせて欲しい。
一緒に苦しんで、泣いて、弱さを支え合いたい。
それでも善子さんが望まないのなら、私にはそれはできない。
「……善子さん。私、明日向こうの世界に、『まほうつかいの国』に行こうと思ってます」
だから私はあえてストレートな話をすることにした。
善子さんの顔を見ず、さっき彼女がしていたように空に視線を向けながら。
「今日この世界で起きたことを解決させる為には、向こうに行って全てにケリをつけるしかないんです。それに、これ以上ワルプルギスに好き勝手させるわけにはいかないですから……」
「………………」
ワルプルギスという言葉に、善子さんはビクッと反応した。
けれど私はそれに気付かなかったフリをして、そのまま言葉を続けた。
「起きてしまったことはもう変えようがないですけど、今後できるだけ被害が少なくなるように、私は戦おうと思います。全ての問題の原因は私にありますし、それに私はやっぱりこの行いが正義だとはどうしても思えないですから」
「…………アリスちゃんは、強いんだね」
ポツリと、善子さんが消えそうな声で言った。
それは褒めているようで、けれど悲観した思いがこもった寂しい言葉だった。
「苦しいこと、悲しいこと、受け入れがたいこと。沢山のことがあったのに、そうやって立ち向かおうとしている。アリスちゃんは、すごいよ」
「そんなことないですよ。私はまだまだ未熟で……。昼間だって、善子さんたちが支えてくれたからこそ、なんとか踏ん張れたんですから」
「ううん。それはアリスちゃん本来の強さだよ。支えがあっても、立てない人は立てないんだから」
その言葉はとてもぶっきらぼうで、口元には薄い嘲笑があった。
けれどそれは口に出しているというだけで、私に向けられているものではなかった。
「もしそうだとしたら、それはやっぱり善子さんのお陰ですよ。いつも真っ直ぐで正しくて力強くて、どんな時も明るく頼もしい善子さんの背中を見てきたから。だから私もちょっぴり強くなれたんだと思います」
「正しく、強い、か…………」
善子さんはそう独り言ちると、抱えていた膝に口元を埋めた。
体育座りで小さくなったその姿は、まるで存在を消そうとしているかのように弱々しかった。
「善子さん、あの────」
「あのね、アリスちゃん」
思わずフォローの言葉を口にしてしまいそうになった時、善子さんがポツリと口を開いた。
顔を埋めて私の方を見ないまま、ぎゅっと自らの膝を抱いて。
「ごめん。私はもう、戦えない。一緒には行けないよ」




