45 出会いは
「透子ちゃん────そうだよ、私……!」
その口から当然のように語られた言葉に、ハッとする。
そう。それこそが私が一番話したかったことだ。
色んなことがあって頭がいっぱいいっぱいになってしまっていたけれど。
私は透子ちゃんと、あの時のことを話したかったんだ。
思わず飛びつくように腕を引いてしまった私に、透子ちゃんは穏やかに微笑む。
同い年くらいのはずなのに、もっとずっと年上のお姉さんみたいにとっても落ち着いている透子ちゃん。
清楚な長い黒髪に、端正に整った目を見張る綺麗な顔。それにモデルさんみたいにスラっと優雅なスタイルは、私みたいなどこにでもいる女の子とは比べ物にならない完成度だ。
そんな悠然としている透子ちゃんを目の前にしていると、気持ちが逸りつつも、落ち着かなきゃという意識にさせられる。
だから私はできるだけ冷静に、慌てる気持ちをぐっと堪えて透子ちゃんを見返した。
でも無意識に、透子ちゃんの腕をぎゅっと抱きしめてしまった。
「透子ちゃん……透子ちゃん、だったんだね。私の記憶と力を封印した────ううん、してくれたのは。私、やっと思い出したよ」
「ええ。私は、あなたをどうしても守りたかったから。あの時は、ああするのが一番だと思ったしね」
ゆっくりと二人で歩みを進めながら、五年前に思いを馳せる。
私はずっと、誰かの思惑で封印されたのかなって思っていたけれど。
実際は、私が自分の意志と覚悟を持ってそれを選んだんだ。
そして、その手伝いをしてくれたのが、透子ちゃんだった。
封印が解け、記憶を取り戻したことで、私はそれをようやく思い出すことができた。
「アリスちゃんがドルミーレに飲み込まれないようにするためには、あれが最善だと思った。たとえ離れ離れになっても、全てを忘れしまっても。あなたがそれで、健やかに生きていけるのならって」
「ありがとう、透子ちゃん。透子ちゃんのおかげで、今私はちゃんと自分の運命に向き合えてる。幼い頃の私だったら、やっぱりきっと抱え切れていなかったと思うよ」
あの時の私だって、色んなことを考えて真剣に悩んでた。
でも、どうしようもなく子供で、弱かった。
今だってまだまだ未熟だけれど、年端もいかない当時の私には、酷なことが多すぎた。
問題を先延ばしにしたことが最善だったかというと、それは判断しかねるけれど。
でもやっぱり私には、この時間は必要なものだったと思う。
積み重ねた日々が、沢山の人たちとの繋がりが、私を強くしてくれたんだから。
私の感謝の言葉に、透子ちゃんは静かに首を横に振った。
黒髪がふわっと揺れて、女の子らしい甘い香りが振りまかれる。
「ああすることしかできなくて、自分が不甲斐なかった。もしアリスちゃんの成長が思うようにいかなかったら、あなたはずっと封印されたままで、ずっと記憶を取り戻せなくなってしまうんじゃないかって、そんな不安もあったから。でも、あなたはちゃんと強く成長した。この間、五年ぶりにアリスちゃんの顔を見られて、どんなに嬉しかったか……」
「ずっと心配をかけちゃってたんだね。ごめんね、透子ちゃん」
私の頬をサラサラと撫でながら、透子ちゃんは少し瞳を潤ませる。
その熱烈な想いに少し気恥ずかしくなりつつ、私はその手に自分の手を重ねた。
「あの時……私を助けに来てくれた時は、私を迎えに来てくれてたんだね」
「ええ、約束だったから。でもまさかこっちの世界に魔法使いが来ているなんて思わなかったから、驚いたわ」
「あの時は、本当にごめんね。私のせいで、透子ちゃんは今こんな状態に……」
「アリスちゃんが謝ることなんて何もないわ。むしろ私は、あの時あなたに救われた。私のことなんて覚えてないはずなのに、あなたはまた私のことを友達だって、そう言ってくれたんだもの。とっても、嬉しかった」
「透子ちゃん……」
あの時、突然現れた透子ちゃんのことを、どうしてあそこまで信頼できたのか。
守ってくれたとはいえ、初対面で、しかも突拍子もない話をする彼女に、どうしてそこまで心を寄せられたのか。
自分でも少し不思議だったけれど、でもそれは当たり前のことだったんだ。
私に襲いかかってきたレオとアリアのことすら、憎み切れなかったのと同じ。
記憶はなくても、私の心が透子ちゃんを感じていたんだ。
忘れてしまって思い出せなくても、心はずっと繋がっていて、ずっと友達だったんだ。
ふんわりと破顔する透子ちゃんはとっても綺麗で。
その溢れんばかりの嬉しさが伝わってきて、私も同じく笑顔で返した。
でも、一つ引っかかることがある。
「ねぇ透子ちゃん。ちょっと聞きにくいこと、聞いてもいい?」
「ん? なぁに?」
「私、封印が解けて昔のこと全部思い出した。でもどうしても、封印をしてもらう前の透子ちゃんとの記憶が見当たらないの。私たち、どこで出会ったのかな?」
「…………」
申し訳なさに縮こまりながら尋ねると、透子ちゃんは笑顔から一転困った顔になった。
朗らかな笑みは居た堪れない苦笑いになって、ストンと眉が落ちる。
一瞬、私が忘れてしまったことに悲しんでいるのかと思ったけれど、でもちょっと違う。
それは、何かを言いあぐねる迷いの表情だった。
ゆっくりと進んでいた歩みが、ピタリと止まった。
「それは…………」
「あの時も、どうしても誰だか思い当たらなくて。でも私の心はあなたを友達だって強く感じてて。透子ちゃんは私の大切な友達だから、忘れちゃってるままは寂しいし。本当にごめんねだけど、教えてもらえたらって」
立ち止まってしまった透子ちゃんは、私の頬から手を放すと気不味そうに視線を逸らした。
何か、聞いてはいけないことを聞いちゃったのかな。
それともやっぱり、そんな大事なことを忘れるなんてと呆れているのかな。
気後れしてしまって、その顔を覗き込めない。
そんな私に、透子ちゃんは視線を逸らしたまま、正面を向いて口を開いた。
垂れ下がる長髪でその表情はあまり窺えない。
「そんなことは、別に覚えてなくたっていいのよ。私は、今アリスちゃんと友達でいられれば、それで満足だから」
「で、でも……友達との思い出、忘れちゃってるってなんだか……」
「気にしないで。大切なのは今。それに思い出なんて、これから沢山作っていけばいいでしょ?」
「…………う、うん」
優しく紡がれる言葉だけれど、そこには僅かに険がこもっていた。
反論を許さないような言い方に、思わず頷いてしまった私。
私自身は、どんな思い出も大切な一ページだから、大事にしたいと思う。
でも、私にはこれ以上尋ねることはできなくて。
目を合わせてくれない透子ちゃんの腕を、ただ抱きしめることしかできなかった。
透子ちゃんは、優しくて頼れる大好きな友達。
出会いを思い出せなくても、その気持ちに変わりはない。
そう、自分に言い聞かせて。




