21 純白の姿
一切の穢れがない純白の衣。
時代錯誤な幾重にも折り重なった和装。
例え距離を隔てていても、その姿を見紛うことはなかった。
あれは紛れもなく、ワルプルギスのリーダー・ホワイトだ。
今までではありえない異常事態を俯瞰している彼女。
それが無関係とはとても思えない。
彼女なら、今一体何が起きているのかを知っているかもしれない。
急いで善子さんの顔を見る。
レイくんの態度に苛立って眉を吊り上げている善子さんは、まだ上を見ていなかった。
けれど、斜め上から視線を外さないレイくんと私の様子に首を傾げ、その視線を追おうとして頭を上げた。
「アリスちゃん! 善子ちゃん!」
その時、夜子さんが駆け寄ってきてそこに全員の視線が集中した。
そのことに少しホッとする。
善子さんにはちゃんと真奈実さんと話して欲しいけど、今善子さんがその存在に気付いたら、それこそ取り乱しそうな気がしたから。
足早にこちらにやってきた夜子さんには、いつもの気の抜けた笑みはなかった。
眉根をグッと寄せ、顔をしかめた固めの顔をしている。
同時に駆け寄ってきた千鳥ちゃんも、とてもピリピリとして見えた。
「夜子さん! 一体何が起きてるんですか!? こんなこと、普通じゃないですよね!?」
「もちろん普通じゃない。普通でたまるものか。ただ、必然ではあるかもしれない……」
「ど、どういうことですか……!?」
詰め寄る私に、夜子さんは視線を逸らした。
いつものらりくらりと、飄々としている夜子さんにしては珍しく、言うか言うまいか思案しているように見えた。
ズボンのポケットに乱雑に手を突っ込み、溜息をつく。
「────とにかく、状況は切迫している。この限定された場所で、三人も立て続けに死に至った。これで落ち着くとは思えない。もっと増えるよ」
「…………!」
誤魔化すことなく話を切り替えた夜子さんは、そうピシャリと言い切った。
予感はしていたけれど、そう言葉にされると恐怖がこみ上げてくる。
あの凄惨とした状況が、これからドンドン増えていったりなんかしたら……。
「何か、打つ手はないんですか!? こんな真っ昼間の、公衆の面前で、これ以上は……!」
「打つ手は一つだけだよ、善子ちゃん。該当の魔女が限界に到達する前に、その息の根を止める。それが唯一、被害を最小限に抑える方法だ」
食いかかるような勢いで尋ねた善子さんに、夜子さんは冷静に、落ち着いた声色で答える。
それを受けた善子さんは、そして私も、思わず息を飲む。
これから増えるかもしれない犠牲を減らすことはできない。
ただ、それからなる被害の規模を抑えることしかできない。
それはそういうことだった。
「け、けど……! まだ無事な魔女だっているはず。何か対策とかは……!?」
「善子ちゃん、君だってわかってるはずだよ。『魔女ウィルス』の侵攻に対抗する術はない。それによる死は止めようがないんだ。だから私たちにできるのは、その先を食い止めることだけ。正義の味方なら、成すべき事を正確に捉えるんだね」
「わ、私は別に、そんなんじゃ……」
一切の反論を許さないという風な夜子さんの言葉に、善子さんは口籠る。
ピシャリと言い切る夜子さんではあるけれど、正義の味方なんて言い方をわざわざしているところを見ると、努めて柔らかさを作ろうとしているように見えた。
切迫した状況の中でも、その余裕を取り戻しつつある。
けれど、夜子さんの言っていることは的を射ている。
成すべき事を正確に捉える。それは、どういう守り方をするかという事だ。
以前私は晴香を救おうとして、結果的に最悪な結末を与えてしまった。
ここまできてしまったら、その先を見据えないといけないんだ。
「腹、括りなさい。私だってそうしてるんだから。今はね、感傷に浸ってる場合じゃないわ」
瞳を震わせる善子さんに、千鳥ちゃんが言い放った。
今まで夜子さんの仕事の手伝い────魔女への介錯を躊躇っていた千鳥ちゃんが、今はそれをした。
つまり、それほどまでにどうしようもない状況という事だ。
小さい体を僅かに震わせながら、けれどその瞳には覚悟の光が宿っていた。
「まぁ適材適所だ。君たちにそれをやれとは言わない。ただそういう状況だと、理解した上で次に向かうべきだ」
夜子さんは善子さんの肩をポンと叩いてそう言うと、傍のレイくんに視線を向けた。
「さて。事情を聞こうか」
「やれやれ。僕は関係ないよ────と言いたいところだけれど、そうも言ってられないみたいだ」
夜子さんの鋭い視線を受けて、レイくんは肩を竦めて溜息をついた。
参ったという困り顔で頭を上げ、先ほど眺めていた上空に目をやる。
その先には、下界を見下ろす純白の姿がある。
「我らがリーダーが、どうやら関与しているようだ。だが残念ながら、僕には全く知らされていなかった。状況の理解は、実は君とそんなに変わらないのさ、ナイトウォーカー」
「それは、何故今、唐突にこうなったのかを知らない、ということかな?」
「そうだね。遅かれ早かれこうなる可能性はあったけれど、何故今それが起きたのかは知らない」
「そうか」
含みのある二人のやりとり。
夜子さんとレイくんは、二人だけで納得したように視線を交わす。
そんな中で、善子さんがレイくんの言葉に反応した。
「リーダーって、もしかして真奈実が……!?」
飛び上がるように声を上げた善子さんが、レイくんの視線を追って遥か上に顔を向けた。
そしてビルの屋上に佇む純白の姿を認めて、目を見開く。
「まさか、あの子がこの状況を……!? そんな……嘘だよ……そんなこと……!」
「よ、善子さん、落ち着いて。まだわかりません。ちゃんと話を聞かないと」
「う、うん……」
明らかな動揺を見せた善子さんの腕を抱きしめて、私は慌てて宥めた。
善子さんは私の顔を見ると思いの外すぐに冷静さを取り戻して、つっかえながらもコクコクと頷いた。
「真奈実ちゃん、か。何を企てているのか、まぁ凡そ予想がつくけれど、確かに聞かないことには始まらないね」
後ろから、夜子さんが私たちの肩をまとめて抱きながら言った。
その目は鋭く、どこか怒りに研ぎ澄まされているように見えた。
「彼女を叩いてどうこうなる問題でもないだろうけど、でも放置するわけにもいかない。あの子はきっと────」
夜子さんがそう言いかけた時、周囲からまた騒ぎが聞こえてきた。
駅前広場を外れたところから、いくつかの悲鳴が飛び交う。
それが意味する事を、今はもう考えなくてもわかる。
心臓が、止まってしまいそうだ。
「っ……! 千鳥ちゃん、次だ。一つも取りこぼさないよ」
「わ、わかった……!」
バッと勢いよく私たちから離れた夜子さんは、辺りを見回しながら叫ぶ。
それを受けた千鳥ちゃんがすぐに身を引き締めて、悲しみを孕んだ瞳に力を込めた。
「アリスちゃん、私たちは一先ず目の前のことに対処する。これを放置はできないからね。そっちのことは、任せるけどいいかな?」
「わ、わかりました。彼女とは、私たちが」
真面目な顔で飛んできた言葉に頷くと、夜子さんは満足げに頷いた。
この先、一体どれだけの犠牲が出てしまうんだろう。
この街だけでも元々どれくらいの数の魔女がいて、その人たちがどれくらいの侵攻具合なのかなんてわからない。
これから起こるであろうことを考えると、不安で堪らなかった。
でも、夜子さんと千鳥ちゃんが頑張ってくれるのなら、最悪の事態の中でもまだマシになるかもしれない。
二人を信頼して、そこに一縷の望みを持って、私たちはホワイトに向き合わないと。
夜子さんと千鳥ちゃんが、すぐに騒ぎの元へと飛んでいく。
そんな彼女たちを見送ってから善子さんの顔を見ると、血が出そうなほどに唇を噛み締めて、ビルの上を見上げていた。
「真奈実……どうして、こんなこと……。真奈実……!」
「善子さん……」
更なる被害の拡大を受けてか、落ち着きかけていた心がまた乱れていた。
私は更に強くその腕を抱いて声を掛けたけれど、それに気付いている節はない。
「私は、認めない。これがアンタの正義だなんて。そんなの、私は……!」
無意識か、善子さんは私の腕を振り解いて前に乗り出す。
そした私が言葉を口にする間もなく、煌々とした光をまとって、ビルの屋上目掛けて跳び上がってしまった。
流星が描く閃光の如く、地上から遥かビルの屋上へと宙を駆け上る。
私はそれを、止めることができなかった。




