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29 私たちはすれ違っていた

「どういうこと? ここにいるって」


 私が思わず尋ねると、引きつった顔で正くんは私のことを見た。

 いつもの余裕に満ち足りた、キラキラとした気構えはもうない。


「そのままの意味だ。いつもお前たちは、俺のことをまるでいないみたいに扱う。俺に興味はないって。関心なんてないって。そんな風に、お前たちはいつも俺をコケにするんだ!」

「そんなこと、私はしたことないよ!」

「じゃあ俺の話を聞いたことがあるか? 俺の誘いに乗ったことがあるか? いつだってお前は、俺のことなんて気にかけていなかった」

「そんな……」


 確かに正くんに話しかけられる時、いつも始めから逃げ腰になっている自覚はある。

 けれどそれは積もり重なった結果であって、始めの頃は違った。

 正くんの今までの言葉や態度の積み重ねが、私に苦手意識を植え付けていった。

 決して最初から、正くんをぞんざいに扱ってはいなかったのに。


「姉ちゃんだってそうだ。姉ちゃんはあの時から変わった。あの時から姉ちゃんは俺から距離を取るようになって、まるで俺に関わらなくなった!」

「私から距離を取り始めたのは、正の方じゃない。私に対して冷たい態度を取るようになったのだって……」

「違う違う違う! 俺は姉ちゃんに、認めて欲しかっただけだ。姉ちゃんの後を追わなくても、俺は俺の道を行けるんだって。あんな顔をして帰ってきた姉ちゃんが、もう俺の心配をしなくていいように! それなのに姉ちゃんは、俺を認めるどころか離れていったんだ!」


 それはきっと、認識の相違だったんだ。

 私は結局赤の他人だから、想像することしかできないけれど。


 善子さんが中一の夏の騒動から生還してきた時、正くんは正くんできっと思うところがあって、善子さんに頼りきりになってはいけないと思ったんだ。

 だから善子さんに憧れるだけじゃなくて、自分の考えで生きようと持ったんだ。

 それはきっと、騒動で憔悴していた善子さんに負担をかけないため。自分が憧れていることが重荷にならないため。


 けれどその在り方は、彼が思った正しさは、あまりにも善子さんのものとはかけ離れていて。

 だから善子さんの目から見ればそれは、どうしても反抗に見えた。

 弱々しくなった自分に失望した結果の反骨だと。


 正しさの在り方は人それぞれ違う。憧れていた在り方に、必ずしもなれるとは限らない。

 姉弟だとしても、同じものを志していたとしても、その結果が同じになるとは限らない。

 それぞれの正しさが交差しない時だってある。


「正、私は……!」

「失望したよ。失望したんだ。姉ちゃんはそんな人じゃなかった。いつも姉ちゃんは俺に優しかったのに。姉ちゃんなら認めてくれると思ったんだ。俺が一人でもやれるって、そう思ってもらえると思ったんだ!」


 もう自分でも、何を言っているのかわからなくなっているのかもしれない。

 いつも気取ってプライドの高い正くんからは想像もできない独白だった。

 心のうちに秘めていた悲痛の叫びだった。


 それが正しいのか、間違っているのかは関係なかった。

 だってその気持ちは確かに、彼の心の中にあるんだから。


「お前もだ花園! 俺はただ、またお前に笑って欲しかっただけなんだよ。アイツらといる時のような顔を、俺にも向けてしかったんだ。もう一度、俺にも……!」

「あの、私……」


 正直、心当たりはなかった。一体いつのことを話しているのか。

 正くんとはもう長い付き合いだけれど、彼との思い出のほとんどは、いつもの気取ったダル絡みばかり。

 楽しく談笑した覚えはすぐには出てこない。


「お前はどうせ、覚えてないんだよな。結局お前にとては俺なんて、いないようなものなんだ。でも、俺はずっとあの時のことを覚えていたんだ。いいんだ。知ってる。それが俺に向けられたものじゃなかったってことくらい。俺はただそこにいただけで、お前は俺のことは見てなかっただから」


 正くんは頭を抱えてうずくまった。

 もう感情がぐちゃぐちゃになっていて、まともな精神状態には見えない。

 でも、きっと今吐き出している感情だけは間違いじゃない。


「俺は何をしたって優秀だった。勉強だってサッカーだって苦労しなかった。女だって放っといたって寄ってきた。俺には全てがあった。けど、お前のその笑顔だけは、俺にはなかった」

「……」

「中一の時、創のやつといる時に、初めてお前を見た。お前は花が咲いたみたいな笑顔で、俺の隣にいる創のところに来たんだ。あんな笑顔を俺は、初めて見たんだ。誰にも媚びない純粋で屈託のない笑顔を」


 何だか、場違いにも気恥ずかしくなってしまった。

 別に私にそんなつもりはなかった。多分いつも通り創と話していただけ。

 けれどそれが正くんから見たら、何か違ったのかもしれない。いつも彼の周りにいた女の子たちとは。


「俺はそれを、俺に向けて欲しかったんだ。俺だけに向けて欲しかった。でも、何度話しかけてもお前は俺にその笑顔を見せてくれなかった。俺はただそれを見たかっただけなのに、お前は俺から距離をとっていったんだ」


 何も、言えなかった。だってそんなこと知らなかった。

 正くんがそんなことを思って声をかけてきているなんて、知らなかった。

 だって正くんは、いつだってモテモテで女の子には不自由していなかったし、その中でわざわざ私にそんなことを求めて来ていたなんて、想像もできなかったんだから。


 私も善子さんも、ずっと正くんとすれ違っていたんだ。

 正くんの気持ちに気付かずに、全く違うものを思い描いていた。

 けれどそれは仕方がないとは思う。だってその胸の内を、正くんは決して明かさなかった。

 その態度はやっぱり、私たちにそう思わせるものだったから。


 だからといって、全て正くんが悪いとは言い切れなかった。

 きっと私たちが見逃していただけで、それに気付くチャンスはあったんだと思う。

 私たちがそれから目を逸らさずにいたら、もしかしたら、こうはならなかったのかもしれない。


「正くん、私────」

「うるさい! うるさいうるさいうるさい! もうどうでもいいんだ。何もかも! いいんだ。いらないんだ。俺のものにならないものはもう、なんにも!」


 正くんの絶叫を、善子さんはショックを隠しきれていない表情で見つめていた。

 ずっと思い違いをしていた。彼の気持ちに反することをしてしまっていたことに、流石の善子さんも崩れ落ちそうになっている。

 けれど、それでも善子さんは歯を食いしばって正くんの目を見据えていた。

 これは自分が取る責任だと、そう覚悟したかのように。


「もういらない。いらないいらないいらない! なくなっちまえ。全部! 俺のものにならないものなんて、全部!」


 その瞬間、また正んのピアスが眩い光を放った。

 彼の感情に呼応するように、ギラギラと。


「────あれが、彼の魔法の原動力。何者かが、彼にあの魔具を与えて魔法を使わせている」

「正! それを外しなさい!」


 氷室さんの言葉に善子さんは慌てて言うけれど、もう正くんの耳には届いていなかった。


「死ね。死ね死ね死んじゃえ! みんな死ねばいいんだよ!!!」


 狂ったような高笑い。

 感情の崩落した彼の絶叫は、心を凍りつかせるほど痛々しかった。

 もう私の言葉も善子さんの言葉も届かない。

 あらゆるものを否定されて、振りかざす力も打ち砕かれて、もう彼に残っているものはなかった。

 そんな正くんの、諦めにも似た放棄の叫び。

 手に入らないものは捨ててしまえばいいって。


 ピアスが煌めく。狂気の高笑いが響く。


 氷室さんが私を庇うように背に回して、今まさに正くんに向けて魔法を放とうとした時。

 パリンと、とても軽い音がして、正くんのピアスが砕けた。

 輝きは嘘のように掻き消えて、それと同時に高笑いも消えて。

 残ったのはただ、静寂だけ。

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