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27 氷の華

 冷たく固い木の感触が押しつけられる。

 等身大の木偶人形は一体いったいがそもそも重くて、それが幾重にも重なってくれば、その重量は尋常ではなかった。


 最後に向けられた、あの正くんのゴミを見るような冷めた目が、脳裏から離れない。

 それは打ち捨てられた悲しみではなく、彼の心がそこまで壊れてしまっていたんだって気がついたから。


 人一人、私みたいな小娘一人殺すのに、これだけの木偶人形があれば余るほど。

 下手な小細工も難しい命令も必要ない。ただ物量で押しつぶすだけ。

 単純明快。とてもわかりやすくてシンプルだ。


 カタカタと軽い音とは裏腹に、重く重なり合って光を遮るほどに包み込む木偶人形。

 正くんの姿はもう見えない。すぐに何にもわからなくなった。


 私が押し潰れてぺしゃんこになってしまうのも、もう時間の問題。

 痛いとか苦しいとか、そんなことを感じている余裕もなくて。だからあんまり怖くもなかった。


 けれど悔しかった。ここで正くんに殺されるということは、結局私は、彼の力に屈してしまったことと同じだから。

 それは、嫌だった。ただ力を振りかざして、自分勝手に生きる彼の力に屈するなんて。

 だってそれは、善子さんが望まないこと。正しく生きようとする善子さんが、良しとしないことだから。


 それに、私だって死にたくない。まだまだやりたいことが沢山ある。

 何のために私は、覚悟を決めて戦うことを選んだのか。

 私の毎日を守るため。大好きな友達と離れないため。そしてその友達を守るため。


 それなのに、こんなところで終わりたくない。

 こんな理不尽、こんな身勝手で。


 まだ私は戦ってない。抗ってない。

 自分の責任を果たしてない。守るべきものを守れてない。

 私は、私が戦わなきゃいけないものと、まだ戦ってすらいない。

 だから、こんなところで負けたくない。


 だから。だからお願い。誰か助けて────


『────────』


 その時、誰かの声が聞こえた気がした。

 とても聞き馴染みのある、心を落ち着かせる声だった。

 心に、何か温かいものが宿るのを感じた。


 この耳に響くのは、木偶人形が重なり合う木々が擦れる音だけ。

 でも確かに聞こえたんだ。私の心には、確かにその声が。


 氷のように冷たくて、でも炎のように熱い。

 私の心に今、深くあるその声は────


『────アリスちゃん……!』


 私の胸元に青い炎が灯った。決して熱くない。まるで氷のように静かな、鮮やかで涼やかな炎。

 光を絶たれた暗闇の中でそれは一筋の光を生み出して、そして急激に膨れ上がった。


 膨れ上がった青い炎は、瞬く間に火柱となって吹き上がり、私に覆い被っていた木偶人形を吹き飛ばした。

 青い業火に周囲の木偶人形は次々と燃え盛り、火が移ったものは瞬く間に灰燼に帰した。


 天井まで到達した火柱は、部屋中を舐め回すように広がって一面を火の海にした。

 けれど実際に炎が焼いているのは木偶人形だけで、天井も壁も床も、そして本棚やその中の本も、火が伝っているだけで全く燃えていなかった。

 青い炎は的確に、木偶人形だけを燃やし尽くしている。


 目の覚めるような鮮やかな青で満ち溢れ、あっという間に部屋中の木偶人形が燃え尽きた。

 それを察知したかのように炎も消えていき、火柱もその勢いを失った。

 私の胸元から上がった火柱は、拳大の大きさまで縮んだかと思うと、まるで一輪の花のようにゆらゆらと揺らめいて。

 そして気がつけば、私の胸元には氷の華が咲いていた。


 私の胸の真ん中に、まるでブローチのように氷の華が咲いている。

 形のなかった炎が形ある氷となって、私の胸元に残った。

 それはまるで私の心に寄り添うように。私の心を守るように。


 透き通った氷の華はとても儚く綺麗で、でもそこからは、とても温かいものを感じた。

 私たちはいつも繋がっているって、そう言ってくれている気がしたんだ。


「……ありがとう、氷室さん」


 私は胸に手を当てて呟いた。この心地好い温もりに感謝しながら。


 圧迫されて身体中が痛むけれど、私はなんとか立ち上がった。

 正くんといえば、状況が理解できずにただ呆然と私の胸元の華を見つめていた。


「何なんだよ……」


 たどたどしく後ずさって本棚にぶつかりながら、正くんはうわ言のように呟いた。


「何なんだよそれ。どういうことだよ。特別なのは、僕だけじゃないのかよ……」


 顔面は蒼白で、今にも倒れてしましそうなほどにゆらゆらと、力なく正くんは言葉を吐き出す。


「ふざけんなよ。ふざけんなよ! そんなの、認められるかよ! 俺は特別なんだ。俺だけが特別なんだ。お前なんかが俺に逆らうなんて、許されないんだよぉ!!!」


 正くんのピアスが煌めいた。

 その瞬間、静かになった図書室の中に、どこからともなく大量の木偶人形が現れた。

 全て何も変わらない。能面で無機質な量産された紛い物。


「殺せ! この女を殺しちまえ! もうこんな奴、いらないんだよ!!!」


 喚き散らすように、正くんが木偶人形たちに命令をする。

 けれど、もうそんな暇は与えなかった。

 正くんの怒号が木偶人形に届く前に、もう全ては終わっていた。


 私の胸元の氷の華が煌めいたかと思うと、その花弁が散布した。

 まるで砕け散るような勢いで放たれた氷の花弁は、木偶人形や床や壁、何かに触れた瞬間、新たな華を咲かせた。

 後はそれの繰り返し。咲いた華の花弁が新たな華を咲かせる。辺りは一瞬で氷の花畑へと変貌した。


 私の胸元の物と同じ華が一面に咲き乱れて、そして一斉に砕け散った。

 後には何も残らない。私の元にあるもの以外の華は、氷漬けになった木偶人形と共に、跡形もなく消え去っていた。


「バカな……」


 正くんは呆然と、膝から崩れ落ちた。

 成す術もなくその全てを私に打ち砕かれた正くんは、もう口を開く気力もないのか、虚ろな目で(くう)を見つめていた。

 もう、正くんに争う意思は感じられない。


「────話をしよう。正くん」


 私の言葉が正くんに届いているのかはわからない。

 正くんは何も答えてくれなかった。

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