123 姉妹喧嘩
「よ、夜子さん!? どうしてここに……」
突然の夜子さんの登場に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
落下していた私をどうやらキャッチしてくれたであろうことも忘れ、まじまじとその顔を見て尋ねてしまう。
そんな私に夜子さんはやれやれと苦笑いを浮かべた。
「どうしてもこうしても。ここは、私のビルだからねぇ。そりゃいるともさ」
「あっ…………」
アゲハさんとの切羽詰まった戦いの中で忘れかけていたけれど、そもそも夜子さんの身を案じてこの廃ビルまでやって来たんだ。
それは完全に裏目に出てしまったわけだけれど。
だから、夜子さんがここにいること自体は特別変なことじゃない。
「さて、私がここにいる理由もはっきりしたところで、そろそろ下ろしてもいいかな? うら若き乙女に言うのもなんだけれど、人一人を抱え続けているのは流石に重たいからね」
「あ、えっと、ごめんなさい……」
慌てて頷くと、夜子さんはそっと私を下ろしてくれた。
自分の足で立って、私はようやく自分がビルの屋上にいるのだと気づいた。
地面に到達するには早いと思っていたけれど、屋上に落下していたからなんだ。
ひとまず受け止めてもらったことにお礼を言って、少し気持ちを落ち着いたところで、もう一つ気付いてしまったことがあった。
夜子さんから少しだけ離れた所で、悠長に屋上の柵にもたれかかっている男性がいる。
それは、ロード・ケインで間違いなかった。
ロード・ケインは穏やかな顔で私の方を見ていて、私が気が付いたのに合わせてニコやかに手を振ってきた。
「ロード・ケイン……!」
「やぁ姫様、さっき振りだねぇ」
「夜子さんを、襲いにきたんですか……!?」
「まさか。僕にそんな度胸はないよ。それに彼女とはさっき話を済ませたところだしね」
身構える私に対して、ロード・ケインは笑顔を崩さず穏やかに返してきた。
その姿には敵意も害意もなく、彼はただそこにいるだけだった。
「僕はただ、彼女がやることを見守りにきただけなんでね」
ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべながら、ロード・ケインはのっそりと上空を見上げた。
真昼間だというのに夜のように暗くなった、暗雲立ち込める黒い空。
そこでは、ギリギリ体勢を持ち直した千鳥ちゃんがなんとかアゲハさんの猛攻を凌いでいた。
何とか翼を動かし飛行を継続させられている千鳥ちゃん。
さっき切り刻まれた傷も回復しているようで、目に見えた流血はしていない。
けれど真っ向からの攻防に四苦八苦しているようだった。
「まぁまぁ、奴のことはいいじゃないか。気にしていたって時間の無駄さ」
相変わらずの飄々ぶりに顔をしかめていると、夜子さんが私の肩に手を置いた。
「今は、あの姉妹の行く末の方が大切じゃないかい? 特に君にとっては」
「は、はい────そうだ夜子さん、あそこに行くのを手伝ってもらえませんか!? 私、千鳥ちゃんを助けに行かないと……!」
「まぁ落ち着きなよアリスちゃん」
私がかぶり付くように助力を乞うと、夜子さんはまぁまぁと呑気な声を上げた。
焦ったい気持ちが込み上げるも、何とか気持ちを落ち着けてその顔を見つめると、夜子さんは緩く微笑んだ。
「千鳥ちゃんは頑張ってる。そう簡単にはやられやしないよ。彼女との能力値の差は歴然ではあるが、千鳥ちゃんは君の『庇護下』の魔女だからね。その恩恵が、力の差をやや埋めて善戦できている」
『庇護』。お姫様である私が友達の魔女へと与えられる、心の繋がりを辿った援助。
『奉仕』によって私は友達の魔法の力を借り、『庇護』によって魔女の実力の底上げをすることができる。
それが、友達の心と繋がることができる私の『還元の力』というやつだ。
転臨したとはいえ、更にその上をいくアゲハさんに辛うじて付いていけているのは、そのお陰なのかな。
だとすれば、千鳥ちゃんの力になれているのは嬉しい。
けれど苦戦をしているのこと、実力的に不利な状況にあることには変わりがない。
酷く落ち着いた様子で上空の戦いを見ていた夜子さんだけれど、徐々にその顔が険しくなった。
「……ねぇアリスちゃん。君は、あの姿を見てどう思う?」
「あの姿って、千鳥ちゃんのですか? 私は、別にそこまでは……」
「いやそっちじゃないよ」
唐突な質問に首を傾げていると、夜子さんは口元にだけ笑みを浮かべて首を横に振った。
「君なら、千鳥ちゃんが持つ嫌悪感を受け入れられるだろう。そのことは心配してないよ。だって、今も私と仲良くしてくれてるしね」
「じゃあ、アゲハさんの方のこと、ですか……?」
「……ああ、そうだよ」
アゲハさんの名を口にすると、夜子さんはスッと目を細めた。
あまり見ない緊迫した顔に、私は思わず息を呑んだ。
いつも飄々と朗らかにしている夜子さんからは想像のできない、怒りと苛立ちを孕んだ気配が立ち込めたから。
「擬似的な再臨。『始まりの魔女』の模倣。あれは彼女への冒涜だ。私は、不愉快極まりないね」
「えっと、あの……。確かに、普通の転臨の力の解放の時よりも、更に嫌な感じはします。あれは、一体……?」
口調に棘のある夜子さんに恐る恐る尋ねてみる。
夜子さんは視線を下ろしてから、重苦しい溜息をついた。
「転臨とはそもそも、その肉体を人ではないもの、つまり『始まりの魔女』と同質のものに作り変えることで至るもの。変質した肉体を強い理性と精神で御し切ることで、元の人間だった頃の形を保つのさ」
のっとそりと語られたそれは、以前も聞いたことがあったからすっと頭に入ってきた。
転臨は人ならざるものになること。だからこそ、その力を解放した時、体の一部が異形と化すんだ。
「……あれはね、その変質した肉体を更に活性化させ、『始まりの魔女』ドルミーレに限りなく近付けたものだよ。彼女を再臨させるための器とするのが本来の目的だが、あれはどちらかというと彼女への模倣が目的だ。力を求め、上位へと昇華を試みた果ての、偽りの再臨。見苦しい擬似的な、本物とは程遠い偽物だ。あれは愚弄以外の何物でもない」
「………………」
夜子さんは吐き捨てるように言った。
やっぱり、あの姿は転臨した後の更に先。ドルミーレと肩を並べる上位の存在を目指す姿だったんだ。
だからこそ、その禍々しさは更に増し、人ならざるものとして異質さを増していっている。
でも、いくらあれが擬似的で偽物に過ぎなくても。
それでもあれが模倣だというのなら。
本物である『始まりの魔女』ドルミーレは、あんな風な化け物だって、ことなのかな。
「アリスちゃん。君の中の彼女は、あれに対して何も感じていなかったかい?」
「え? あ、そういえば、あの姿を目にした時、物凄い怒りの感情が込み上げてきました。あれは、ドルミーレが怒っていたからだったのかもしれません」
夜子さんに尋ねられて、私はようやくそのことに思い至った。
あれが冒涜的な模倣だとしたら、本物であるドルミーレが怒るのは当然だ。
「でも、強い気持ちで押し込めたらすぐに奥底で大人しくしてくれました。前に、私のことに首を突っ込まないでって言ったから、かなぁ……」
「君、彼女にそんなこと言ったのか」
夜子さんは目を丸くしてから、可笑しそうに口元を緩めた。
「そうか、彼女は堪えているのか。なら、私が口出しはできないなぁ」
「夜子さん……?」
一人納得したようにポツリと呟く夜子さん。
さっきまでの剣幕はもうなくて、とても落ち着いた顔で微笑んでいる。
あまり深く尋ねてはいけない雰囲気がして、私はそれ以上口を開かなかった。
「アリスちゃん……!」
そんな時、下の方から声がしたかと思うと、柵を乗り越えて氷室さんがぴょんと上がってきた。
そのすぐ後にカノンさんとカルマちゃんも続いて、私に駆け寄ってくる。
カノンさんは一瞬ロード・ケインの方を見遣って目を細めたけれど、すぐに顔を背けた。
みんなさっきの触手の攻撃を受けてか、所々にじんわりと血が滲んでいた。
「みんな! 無事だったんだね」
いち早く駆け寄ってきた氷室さんの手を取りながらみんなを見回すと、三者三様の頷きが返ってきた。
みんな傷こそ負っているものの、その顔色は悪くなかった。
「あなたが無事で、よかった」
「私なんか全然……みんなに守ってもらってばっかりだから」
「あなたを守るために、私たちは戦っている。だから、気にしないで」
縋り付くように私の手を握る氷室さんは、けれど落ち着いた声で言った。
スカイブルーの爽やかな瞳が、しっかりと私を見つめてくる。
その瞳に込められた想いに頷き返すと、カノンさんが氷室さんの肩に手を置いて一歩身を乗り出した。
「そうだ、アタシらのことは気にすんな。それよりも今はあっちだ」
黒い空を見上げてカノンは言う。
暗雲立ち込める中、アゲハさんの蒼い魔力の輝きと、千鳥ちゃんの電撃による黄色い輝きが交差し合っている。
一見互角に渡り合っているように見えて、やっぱり千鳥ちゃんの方が押されていた。
「流石にあの化け物を一人で任せるのは酷だ。加勢しねぇと……!」
「まぁまぁ待ちなよ少女たち」
語気を強めたカノンの言葉を、夜子さんがやんわりと制した。
一斉に向けられた私たちの視線を受けて、夜子さんは呑気な笑みを浮かべる。
「せっかくの姉妹喧嘩なんだ。思いっきり吐き出させてあげた方がスッキリするだろう。少し見守ってあげようよ」
「夜子さん、でも……」
あれを姉妹喧嘩と片付けていいものか。
声を上げる私に、夜子さんは再びまぁまぁと制した。
「少しだけだよ。どちらにしたってもう、残された時間はあまり長くないだろうからね」
ゆったりと言って空を見上げる夜子さん。
それは一体どういう意味かと、私には尋ねることができなかった。




