94 アドバイス
これ以上ここでこの人と話す意味を、私は感じられなかった。
最初に感じていた恐怖や萎縮よりも、今はこの人の考え方やスタンスに対する嫌悪感が勝っている。
とてもこのまま会話を続けたいとは思えなかった。
「……私たち、もう行きます」
だから私は二人に倣って立ち上がった。
結局この人は私たちに用という用はないようだし、本当にこれ以上話す意味がなかった。
何よりこの人から何を聞いたところで、本人に確固たるものがないのだから。
ロード・ケインに何を聞いても、何を話しても、きっと何も進展しない。
彼は私にまつわることに興味なんてないんだから、意味なんて生まれるべくもないんだ。
そんな人に今私たちは振り回されているんだと思うと、なんだかとっても悔しかった。
だからこそ、早くアゲハさんを探してちゃんと話をしたいと思った。
アゲハさんがどうして彼のスパイになっているのかはわからないけれど。
でもそれは、のらりくらりとしている彼に、何かを吹き込まれているからなんじゃないかという気がする。
だからこの人と話している時間があったら、一刻も早くアゲハさんと話したい。
その方がよっぽど意味がある気がする。
「そう、か。残念だなぁ。僕はもっと君と親睦を深めたかったんだけどなぁ」
「私を殺そうとしている人と、生きようが死のうがどっちでもいいと思ってる人と、親睦を深めることは私にはできません。けれど私だって無用な争いはしたくないので、あなたが手を出してこないというのなら、私はただ大人しく立ち去るだけです」
「なるほど、そうだね」
テーブルの上で手を組んで、ロード・ケインはあっさりと頷いた。
決して崩さないにこやかな笑顔で私を見上げる。
「冷静な判断だ。僕は実のところ、君たちの方から手を出してくる可能性も視野に入れていたんだんよ。その時は、相応の対応をしないといけないなぁと思っていた。だからその必要がなくて安心したよ」
「…………」
それはつまるところ、私たちの方からけしかけさせようとしていた、ということなのかな。
自分から手を出すつもりはなかったけれど、私たちの方から仕掛けてくるなら、と。
つくづくこの人は食えない。
「確かに君は、良い方向に成長したみたいだね。昔のような純真さを持ちつつ、強く優しく逞しい少女になった。その内に抱える力も、今の君ならもう違えることはないのかもしれない」
「なにが、言いたいんですか……」
「なに、オジサンがただ感慨に耽っているだけさ」
ロード・ケインはそう言うと、頭の後ろで手を組んでニッとわかった。
いい歳のオジサンが、まるで少年のような軽やかな笑みを浮かべている。
「まぁ僕は裏方が似合うタイプの人間だから、ここは大人しく振られておくよ。後はみんな、やりたいことがある連中が頑張るさ」
裏方といえば聞こえがいいかもしれなけれど。
でもそれは他人をいいように使っているってことなんじゃないのかな。
手を貸すとかサポートとか支持するとか、他人の望むことを状況に合わせて手伝っている口ぶりだけれど。
その実この人がしていることは、最終的に自分の利益になることで、その過程を他人に委ねているように思える。
自分のすることの理由に他人を言い訳に使って、自分はふわふわと宙を浮いている。
お姫様としての私の力のことも、『まほうつかいの国』のことも、ロード・デュークスの計画のことも。
そして、スパイとして遣わしているアゲハさんのことも。
そんなスタンスのロード・ケインが、私はどうも快く思えなかった。
「……もう行こう、二人とも」
ロード・ケインに対して警戒を解かない二人を促して、席から押し出す。
二人とも彼から視線を離さないまま、頷いて足を動かした。
一番隅の席に陣取ったことが仇になって、なんとも席を立ち難い。
三人で連なって奥側から出る私たちを、ロード・ケインは静かに見守っていた。
「────そうだ。未来を生きる若者に、オジサンから一つアドバイスをしよう」
別れの挨拶をする気にもなれず、そのまま立ち去ろうとした時。
ロード・ケインがおもむろに口を開いた。
正直これ以上彼のゆらゆらとした言葉を聞きたくはなかったけれど。
だからといって無視するのも失礼かと顔を向けると、ロード・ケインは私の目をまっすぐ見据えてきた。
「物事は多面的に見た方がいい。目に見えることが全てではないし、語られる言葉が真実とは限らない。常にあらゆる角度から観察し、様々な展開を想像して予測するんだ。まだまだ若いんだから、柔軟な姿勢で臨まないとね。何でもかんでも鵜呑みにして思い込みに囚われていると、大切なものを見落としちゃうからさ」
小気味よくウィンクをして言うロード・ケイン。
それは意外にも真っ当なアドバイスで、ますますこの人が何を考えているのかわからないくなる。
とても私に刺客を差し向けている人の言動とは思えない。
それはつまり、自分を信用するなと言っているんだろうか。
でもそんなことをわざわざ自分から言う必要性を感じないし、それこそがフェイクなのかな。
ダメだ。今ここで考えても頭がこんがらがるだけだ。
「……わかりました。それじゃあ、私たちはこれで」
そう手短に答えた私を面白そうに眺めたロード・ケインは、それから順繰りと二人にも視線を向けた。
終始静かに彼を警戒している氷室さんをからかうように流し見て、そして腰が引けている千鳥ちゃんにニコリと微笑んだ。
うっと呻いて体を縮こませた千鳥ちゃんが面白かったのか、なんだか楽しそうにうんうんと頷いている。
私はそんな視線を掻い潜るように背を向けて、二人を押して足を進めた。
この人と話したり、ぶつかって何かが解決するのならいいけれど、そんなことはない。
これ以上は本当に、なんの意味もないから。
「まぁ頑張ってよ。君がどうするのか、よーく見させてもらうから」
そんな言葉を背中に受けながら、私たちは黙ってお店を後にした。




