78 一番大切なもの
お風呂から上がると、お母さんが丁寧にドライヤーをかけてくれた。
私の髪は背中にかかるくらいまでだから特別長いというわけではないけれど、でもやっぱりドライヤーは面倒くさい。
けれどお母さんにしてもらうのはなんだかとっても気持ちよくて、小さい頃に戻った気分だった。
お母さんと一緒にお風呂に入って、用意された下着に着替えて、頭を乾かしてもらって。
何だか本当に小さな子供になってしまったようで気恥ずかしかったけれど、でも案外悪い気はしない。
ここまできたらもうとことん甘えてやれ、という気分になる。
だから私は、思い切って一緒に寝たいと言ってしまった。
それこそ高校生にもなって、だけれど。
でも今は何だか、できる限りの時間をお母さんと一緒に過ごしたかったから。
そして目一杯甘えたかったから。
予想通りというかなんというか、お母さんは二つ返事で了承してくれた。
なんならお願いした私よりも嬉しそうだった。
本当に子供だなぁと思いつつ、でも悪い気はしないしむしろ嬉しい。
お母さんの寝室で同じベッドに潜り込む。
微かに香るお日様の香りとお母さんの柔らかい匂いに満たされて、私はすっかり気が抜けてしまった。
気分も段々と緩くなっていって、私は勢いに任せて隣のお母さんにしがみついた。
そんな私にお母さんはふふっと笑って、ふわっと抱き締めてくれた。
「おやすみ、アリスちゃん」
「うん。おやすみお母さん……」
ベッドに入ってからのお喋りをしたい気持ちもあったけれど、それよりも眠気が先行した。
今日も色々ありすぎたから、身体は疲れ切っている。
それでも気分的には平気なつもりだったけれど、こうやってリラックスしてみると、やっぱりどうしようもなく疲れていたみたい。
そんな私を見透かしたお母さんに、私は素直に返すことしかできなかった。
ゆったりと優しく頭を撫でられて眠気に拍車がかかる。
お母さんにしがみついて、抱き締められて、撫でられて。
それで眠くなっちゃうって、なんだか赤ちゃんみたいだなぁ私。
微睡む意識の中、お母さんの感触だけを感じながら私はのっそりと考えを巡らせた。
私自身の今後のこと。記憶や力の封印のこと。
つまりそれはレイくんが持っている鍵のこと。
レイくんに言われた言葉のこと。
私にとって一番大切なものは何なのか。
そんな問題に答えがあるなんてとても思えない。
だって、どれもこれも私にとっては等しく大切なんだから。
もちろんそこには多少の優劣はあれど。
でもその中から一つだけを選べと、他は切り捨てろと言われたら、そんなことできるものじゃない。
だってそれぞれに大切の意味がある。
大切に思う理由はバラバラで、だからこそどれも大切なんだから。
比べることなんて、できるはずがない。
それでも、それは私のわがまま、もしくは甘えなのかもしれない、と思う。
私は選ぶのが怖いんじゃないかって。一番を決めるのが怖いんじゃないかって。
沢山ある大切なものからたった一つを選んだら、他のものをぞんざいに扱っている気分になってしまうからかもしれない。
そんなわけないし、そういうことではないって、頭ではわかっているけれど。
でも、そんな怖さがきっとあるんだ。
目を瞑ってお母さんの胸に頭を預けながら、回らなくなってきた頭で考える。
私は、一体どうするべきなんだろうって。
レイくんは、焦って答えを出す必要はないって言っていた。
当然だよ。こんなこと、簡単に決められることじゃない。
でも、いつかは目を向けないといけないことだというのはわかる。
今まで気付かなかったけれど。いや、気付かないふりをしていたのかもしれないけれど。
人間、どれもこれも同じように好きなんてことはないんだ。
そう思っていても、絶対に優劣はある。
何かあった時咄嗟に頭に浮かぶ一番が、絶対にあるはずなんだ。
だから今の私みたいにどれもこれも大切で、一番なんて選べないなんてことは、普通じゃない。
きっと自分で気付いていないだけで、私にもその一番はあるはずなんだ。
でも今の私には、それがどれかはまだわからない。
今日もまたレイくんに逃げられてしまった。
またしても私は、晴香が大事に守ってくれていた鍵を手にすることはできなかった。
でも、レイくんの言葉を信じるなら、明日レイくんは私の封印を解きにくる。
そこで私の記憶が戻れば、押さえ込まれていた力が蘇れば、私は自分のすべきことがわかるはず。
過去に飲み込まれて今を見失ってしまうかもしれないという恐怖は、もうない。
今の私を支えてくれる友達がいるから、私はもう恐れない。
だから全てを取り戻して、受け入れて。
何もかもをひっくるめた上で、私は自分自身を見つめよう。
私が何者で、何を想い、何を大切にし、何の為に生きるのか。
昔の思い出も、今の想いも、全てを飲み込んだ上で。
大丈夫。私を支えてくれる人は、沢山いるから。
その沢山の繋がりが、きっと私を助けてくれるから。
お母さんに優しく抱かれながら、温もりに沈む意識の中で。
私は自分に、そう言い聞かせた。




