19 出迎えは
「あの、姫様……」
柔らかい笑みを浮かべていたクロアさんが、少し迷いを浮かべて口を開いた。
手に少し力が入って、ほんのり緊張が伝わってくる。
口を開いたものの次に繋ぐ言葉に迷うように、クロアさんは唇をパクパクさせた。
私が首を傾げると、その笑みは少し困ったようなものに変わった。
どうするべきかと少し視線を泳がせてから、クロアさんはポツリと言葉をこぼした。
「あ、あの……少しわたくしの我が儘を……お願いをお聞きいただけませんでしょうか?」
「お願い?」
表情は柔らかいながらも、その言葉にはどこか切実なものを感じた。
その焦燥を私に伝えないようにしているけれど、声色は何かの気持ちを含んでいることが窺えた。
「大したことはございません。もう少し姫様と時間を共にしたいというだけの、わたくしの些細なお願い事でございます」
「……? えっとまぁ、そのくらいなら……」
クロアさんの言わんとしてることがイマイチわからなかったけれど、でも大したことではなさそうだったから頷いてみる。
私の返答にクロアさんは嬉しそうに緩く微笑んだかと思うと、きゅっと顔を引き締めて辺りを素早く見渡した。
私たち二人しかいない広い部屋。入口や部屋の奥の方へ、キョロキョロ視線を向けるクロアさん。
まるで何かを警戒しているような仕草だった。ここはワルプルギスのアジトなのに、まるで敵襲を恐れているようにも見えた。
「クロアさん……?」
「いえ、失礼致しました────ありがとうございます姫様」
クロアさんはハッとして私に普段通りの柔らかい笑みを向けてくる。
何事もないという風に。でも、何かを誤魔化しているような気もする。
でもその顔は私に害を成そうとしているものではないように思えた。
「それでは姫様。わたくしと一緒に少し外を歩きませんか?」
「え、外ですか?」
「はい。少し寒うございますが、わたくし、姫様と身を寄せ合って歩きとうございます」
私の腕をすっと抱いて甘えるように願いを口にするクロアさん。
予想外の言葉に、私はクロアさんのことをまじまじと見てしまった。
柔らかな笑みが、まるで子供のような無邪気さで私に向けられている。
私のここへ来た目的が何も達せられないまま外に出てしまうのはなぁ。
でも、いつ帰ってくるかわからないレイくんをずっと待っていることはできないし。
千鳥ちゃんには悪いけど、出直すしかないよなぁやっぱり。
それなら、クロアさんの望み通り散歩をしてあげてもいいかもしれない。
本当は一刻も早く鍵を取り戻したい。せっかく千鳥ちゃんにも協力してもらったし。
けれどできないことは仕方ないし、切り替えて次のことを考えないと。
また千鳥ちゃんが連れてきてくれればいいんだけれど。
「わかりました。レイくんのことと、それに鍵のことはまた次の時にします」
「……ありがとうございます」
私が頷くと、クロアさんは安心したように微笑んだ。
けれどその声色にはやっぱり不安のようなのもが見え隠れしている。
「それでは参りましょうか。もう日も落ちておりますし、あまり時間をかけてもいられません。善は急げでございます」
さっと素早く立ち上がったクロアさんが私に手を差し伸べてくれる。
その冷たい手をとって立ち上がりながら、私はこっそりとその表情を窺った。
表面上は普段通りの落ち着いていて優しい笑み。でもその奥には、うっすらと焦りと不安を抱いているように見える。
少し急ぎ気味なのは、もしかしたら他の人にはバレたくないから、とか?
不穏な感じはしないから突っ込むほどではないけれど、クロアさんが何か含んでいそうなのは明白だった。
「さぁさぁこちらへ」
ニコニコと楽しそうに微笑んで私の腕を抱くクロアさん。
その様子はあまりにも平静だから、もしかしてただの私の思い過ごしなのかなぁ。
ちょっぴり引っかかるけれど、私はクロアさんに促されるままに部屋から出た。
狭いエレベーターに二人で乗り込む。
終始ニコニコと私に身を寄せているクロアさんは、その様子を見ただけではただ上機嫌なだけ。
でもわざわざ外で散歩をしようなんて、クロアさんは何を考えているんだろう。
ただ私と話をしたいだけなら、あのまま部屋にいた方が寒くないしお茶もあるしで適していたように思う。
どこか行きたいところがあるのか、それとも私のことを家まで送ってくれようとしているのか。
どうにもクロアさんの思惑がわからなかった。
そんなことを考えていたからか、行きの時と違ってエレベーターの時間は短く感じた。
静かな無人のロビーに到着を告げる無機質な音が響く。
エレベーターから降りて出口まで、特に言葉を交わすことなく歩いた。
二人分の足音が響く中、私はふと千鳥ちゃんが外で待ってくれていることを思い出した。
鍵を取り戻すと息巻いて挑んでいった私が、クロアさんと出てきたら千鳥ちゃんはどう思うだろう。
千鳥ちゃんへの説明をどうしたものかと頭を巡らせている間に、もう出口は目の前まで来ていた。
自動ドアが開くのがとてものっそり感じた。
外気の冷たい風がすっと吹き込んできて、思わず脇を締める。
そんな私にクロアさんは更に身を寄せてきた。
ドアが開ききった先には、夜道でも目立つ金色の頭が待っていた。
ホテルの煌びやかな電飾に照らされて、チカチカしている。
しかしそれは────
「あれぇ? クロアなーにしてんの? アリスのこと、どこに連れてこうとしてんの?」
その金髪の持ち主は、私がよく知る小柄な少女のものではなかった。
その色は彼女のものよりやや薄いプラチナブロンド。
私たちを出迎えたのは千鳥ちゃんではなく、アゲハさんだった。




