3 手を繋ぐ
「もう、元気なのは良いことだけど、遅刻しても知らないんだからね」
顔を洗って着替えを済ませ、朝食のトーストを齧っている私たちに、お母さんは呆れたようにボヤいた。
私と氷室さんは少し居た堪れない気持ちになりながら急いで食べ進める。
「でも、お母さんだって人のこと言えないじゃん。混ざってきたくせにー」
「お母さんはいいの。だって遅刻しないしねっ」
「理不尽だぁー」
眉をキリッと寄せてドヤ顔で胸を張るお母さんに、私は不満を隠せなかった。
ああやって言ってるけれど、起こしに来て私たちがじゃれ合っているのを見つけると、嬉々として飛び込んできたんだから。
お陰で私たちは二人まとめてお母さんに揉みくちゃにされたし、それで少なくとも五分はロスした。
朝の五分は貴重なんだから。
そんな取り留めないやり取りをしている私たちを、氷室さんは黙々と食べ進めながら眺めていた。
もぐもぐと口を動かしながら、私とお母さんを交互に見ている。
「氷室さん、どうかした?」
「……いいえ、何でもない」
少し意味ありげな視線を感じて尋ねてみると、氷室さんは静かに首を横に振った。
そんなに変な会話してたかなぁと疑問を感じつつ、でもそこまで追求することでもないので残りのトーストを口に放り込んだ。
それと同時にインターフォンが鳴った。もう創が迎えに来てしまった。
創は今日も氷室さんがいることに少し驚いた顔をして、けれど特に態度にも言葉にも出しはしなかった。
ただ私の顔を見ると、なんだかとても安心したように緩やかな笑みを浮かべた。
「……なんていうかお前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
お母さんに見送られて三人で学校に向かっている最中、創がポツリと言い出した。
きっと私と氷室さんが手を繋いでいるからだろう。
おまけに氷室さんは私に身を寄せて腕を掴んでいるから、なかなかの仲良し具合だ。
「いつの間にって言われても、ねぇ?」
「…………」
私が振ると氷室さんは無言でコクリと頷いた。
そんな私たちのやり取り見て、創がいやいやと突っかかってきた。
「俺の記憶では、お前らそこまでべったりじゃなかっただろ。少なくとも昨日は違ったぞ」
「別に何だっていいでしょ。仲良いことは悪いことじゃないんだから。それとも嫉妬ですか〜? 男の子の嫉妬は醜いぞ」
「そ、そんなわけあるか……!」
細かいことを気にしてくるもんだから意地悪く返すと、創はすぐさまムキになって顔を赤らめた。
私は更にぐいと氷室さんを引き寄せてから、反対側の手を差し伸べる。
「じゃあほら、もう片方空いてるから妬かないの」
「だ、だから違うって言ってるだろ!」
「えぇー。私と手繋ぎたくて拗ねてるのかとー」
「んなわけあるか……! ガキじゃねーんだから」
そう言って顔を背ける創だけれど、でも私と氷室さんの仲の良さに、嫉妬とは言わずも何か感じているのは見え見えだった。
それが何だか可愛らしくてついついからかってしまう。
普段は仏頂面で口の悪い創だけれど、こんな可愛い一面を見せるなんてちょっと意外だった。
氷室さんはそんな私たちのやり取りを見て、ほんの少しだけ口元を緩めていた。
飽くまでいつものクールなポーカーフェイスだけれど、少し和んでいるような空気が感じられる。
氷室さんがこんなたわいもない時間を楽しいと思ってくれているのなら、それは私にとって凄く嬉しいことだ。
「でもさ、昔はよく手繋いで歩いたじゃん」
「いつの話してんだよ。それこそガキの頃の話だろ」
ほれほれとしつこく手を差し出しながら言うと、創はうざったそうに払いのけてくる。
そして不機嫌そうに眉をひそめて、ぶつくさ文句をこぼしながら半歩距離を取った。
「そういえば何か昔も似たようなことあったよな。お前らが手繋いで歩いてて、俺にも手繋ごうって言ってきてさ。俺が嫌だって走って先帰ったら、お前が拗ねてさぁ」
私に手を繋がれないようにポケットに突っ込みながら、突然創が言った。
困ったような笑みを浮かべながらも懐かしそうに語る創を、私は少しポカンと見てしまった。
「あれ小五の時だったっけ。俺が冷たいってアリスがぶーぶー言ってさ」
「あぁ、そういえばそんなことあったかもね。創が恥ずかしがって逃げたんだよね」
「うっせーな────あれ、でもお前あの時、誰と手繋いでたんだっけ?」
「誰って、そんなの決まってるじゃん。いつだって私たちは────」
そこまで言って私は自分の失言に気づいた。
創は晴香のことを覚えていない。知らないんだ。
私の記憶では、その時一緒にいたのはもちろん晴香だけれど、創の中ではきっと違う。
だから晴香の名前を出すわけにはいかない。
「あー、誰だったけ。私も忘れちゃったなぁ」
「……なんだよ。今自信たっぷりに言いかけてたじゃねぇかよ」
「ごめんごめん。昔のことだからさぁ……」
あははと笑って誤魔化してみる。
創も別段深く気にしていなさそうで、追求はしてこなかった。
それに思わず安堵してしまう自分が、何だか嫌だった。
「俺らいつも二人で帰ってたもんな。なんか思い違いだったっけなぁ」
「そうだねぇ……」
氷室さんが私の手をぎゅっと握ってくれた。
顔を向けてみると、少し心配そうに向けてくるスカイブルーの瞳がキラリと煌めいていた。晴香のことだと察したみたい。
私は笑顔だけで大丈夫だと答えて、それからは少し強引に話題を切り替えて残りの道のりを過ごした。
創の中から晴香が消えたままなのは、嫌だ。
絶対このままにはしたくない。
けれど私の記憶と創の記憶を照らし合わせてみるのは、まだちょっぴり怖かった。
それに今のは確か、小学五年生の頃の話。
つまり約六年前の十一歳くらいの話で、私が『まほうつかいの国』に行っていた時期だ。
だから、私の頭にある記憶すらも正しくないであろう思い出。
今はそれを突き詰めたくなかった。いつかはハッキリさせないといけないことはわかっているけれど。
今はこのひと時を、ただ平和に過ごして日常を味わいたかった。




