3 借り
────────────
「ねぇ、もう帰るのー?」
「もうってお前、もういい時間だぞ。早く帰って寝ないとだ」
駅前の喧騒から少し外れた人気のない暗い道を、二人の少女が手を繋いで歩いていた。
一人は少女にしては長身の持ち主。手入れにはあまり気を使っていないであろうボサボサの髪。スカジャンにジャージズボンにサンダルという、いかにも不良じみた風態。
一人は対照的に小柄な少女。傍の少女の肩ほどまでしかない中学生ほどの幼い見た目。明るめの茶髪は綿のようにふわふわ舞っている。
日はとうの昔に沈みきり、後は人々の眠りを待つばかりの夜の頃。
年頃の少女が出歩いているには些か不用心ではある時分だが、二人は特に気にするそぶりを見せていなかった。
「えーもう寝る時間? もうちょっと遊びたいなぁ。カノンちゃん、ダメ……?」
「ダメだ。夜更かししてると大っきくなれねぇぞ、まくら」
握る手に体重をかけて、わがままを言うように腕を振るまくらに、カノンはブスッとした顔で言った。
さして怒っているわけでもない。ただ標準的に不機嫌めな顔なだけだ。
まくらもそれは理解しているので、その顔を恐れることもない。
ボーダー柄のラフなワンピースを身にまとうまくらは、以前のようなパジャマ姿ほどではないにせよ、やはり余計に子供っぽく見える。
「つまんなーい。カノンちゃんのけちー」
「言ってろ言ってろ────ったく、前は寝てばっかだったってのに。まぁ、元気なのはいいことだけだよ」
頰をぷくっと膨らませ、わざとらしく拗ねて見せるまくらに、カノンは溜息をつく。
そして聞こえないように独言て、僅かに笑みを浮かべた。
以前まくらは、その生い立ちゆえに孤独を抱え、自らの魔法でもう一つの人格を生み出していた。
まくらの眠りと同時に顕れるカルマという別人格は、やがて強い自我を得て、事あるごとにまくらを眠らせ表に出てきていた。
先日の一件以来、まくらを強制的に眠らせる者はいなくなった。
元から眠ることが好きだったまくらではあったが、頻繁に眠る生活を数年間送ってきた影響か、今は睡眠そっちのけの活発さを得ていた。
「あんまりわがまま言ってると、もうハンバーガー食いに連れてってやんねーからなー」
「えぇー! やだやだー! まくらハンバーガー好きなのにぃー!」
「じゃあさっさと帰るぞ。ちゃんと良い子にしてたら、また連れてってやる」
「ホントに? 今日早く寝たらまた連れてってくれる?」
「ああ、約束だ」
「やったー! カノンちゃん大好き!」
にぱっと子供っぽい笑顔を浮かべてカノンに抱きつくまくら。
カノンは少し歩きにくそうにしながらも、緩やかに笑みを浮かべてよしよしと頭を撫でてやった。
そうと決まればと足取りをやや早めるまくら。ワンピースをフリフリと振って、その姿は楽しげだ。
「いやぁ微笑ましいねぇ。やっぱり女の子には笑顔が一番だ」
先導するまくらに吊られるようにカノンが足を早めた時だった。
突然、白い布の塊のようなものが目の前に落ちてきた。
唐突なことにカノンはすぐさままくらの手を引いて、自分の後ろに周りの込ませた。
まくらはカノンの背中にぴったりとくっついて、恐る恐る前を覗き込む。
「いやぁごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。ただ君のそんな穏やかな顔を見るのは初めてでね、見惚れてたら落っこちちゃってさ」
落ちてきたのは人だった。布の塊でなどではなく、白いローブをまとった大の男。
ヘラヘラ笑いを含みながら、呑気な声でそう言いながらむくりと立ち上がる。
その男の顔を見て、カノンは全身を強張らせ、そして殺気立った。
「てめぇは……!」
「やっほーC9、久しぶり。いや、今はカノンちゃん、かな?」
ニンマリと人の良さそうな笑みを浮かべて二人の前に現れたのは、ロード・ケインだった。
ローブを緩く着崩し、小粋に縮れさせた黒髪と無精髭は壮年の色気を感じさせる魔女狩りの君主。
ケインはまるで恋人に会ったかのような砕けた笑みで、軽やかに手を振った。
「この野郎っ!」
「うわっと────あぶないなぁ」
そんなケインに、カノンは瞬時に木刀を取り出して振り下ろした。
それを軽やかにかわしたケインは、口ではそう言いながらも余裕そうな笑みを浮かべてカノンを見た。
「随分な挨拶じゃないかカノンちゃん。久し振りに会ったのに。しかも僕は仮にも君の上司だぜ?」
「うるせぇ! 元上司だ! 何しに来やがった! ────てかアタシをちゃん付けで呼ぶんじゃねぇ!」
一歩引いたケインに木刀を突き付け、警戒を振りまいて吠えるカノン。
それは決定的な敵意であり、魔女狩りであった自身の上司であったからこそ向ける警戒心だった。
しかし殺気立つカノンに対し、ケインはあくまで平静だった。
「じゃあC9?」
「アタシはもう魔女狩りはやめた!」
「じゃあなんて呼べだいいのさぁ。難しいなぁ君は」
殺気立ち敵意を剥き出しにしているカノンに、ケインは困ったように肩をすくめた。
のらりくらりと飄々としているケインでは、素行が粗いカノンとはあまり相性がいいとは言えなかった。
「うるせぇよ。それで、何しに来やがった。アタシを、殺しに来たか……!」
木刀を力の限り握りしめ、片腕ではまくらを背後に庇ってカノンは振り絞るように尋ねた。
まくらを守るため魔女狩りを離れ、そして国を離れたカノン。
魔女を守るために全てを捨てたその行為は、明確な裏切り行為だ。
今まで刺客が差し向けられなかっただけ良かったというもの。
カノンはついにこの時が来たかと覚悟を決め、強くケインを睨んだ。
「いやいや違うって。まったく物騒だなぁ君は。僕はね、ちょっと君の顔を見に来ただけさ」
「なんだと……?」
目の前に木刀を突き付けられながらも、ヘラヘラと気の抜けた笑み浮かべて否定するケイン。
予想もしなかった反応にカノンは思わず口をポカンを開いた。
「僕は君を罰するつもりはないよ。ただこの間たまたまこっちに来た時、君を見かけたからね。元気にやってるかなぁって様子を見に来たのさ」
「なんだよそれ。意味わかんねぇこと言いやがって……! 何企んでやがる!」
「企んでるなんて人聞き悪いなぁ。まぁ、ちょっとお願い事をしようとは思ってたけどさ」
「お願い事だぁ?」
声を荒らげ、カノンは木刀を更に突き付けてケインから真意を引き出そうとする。
背後に身を隠すまくらが震えていることが伝わってきていて、余計に彼女焦らせた。
無害そうな振る舞いをしているケインだが、彼はこれでも君主。まともにやり合うことになればただでは済まない。
「そうそう、お願い事。上司としての命令じゃないよ。飽くまで、そうだなぁ……友達としてのお願いかな?」
「てめぇとダチになったつもりはねぇよ」
「ホント手厳しいなぁ君は」
頑なに心を開こうとしないカノンに、ケインはやれやれと肩をすくめた。
遊び人気質のケインは女性の扱いには慣れているタイプだ。
しかし男勝りでガサツなカノンは、彼とはやはり相性が悪いようだった。
「まぁ何でもいいじゃないか。とにかくお願いさ。僕は君に頼みたいことがあるんだ」
「……何だ」
警戒心は崩さず、カノンはその先を促した。
正面からやり合って敵う相手ではないことは明白。
カノンにとっても平和裏にことが進むことに越したことはなかった。
自分だけならまだしも、今ここにはまくらもいるのだから。
「実はワルプルギスにいる僕の友達にさ、ちょっと手を貸してあげて欲しいんだよね」
「なっ────てめぇ、何言ってやがる!」
唐突に放たれた突拍子も無い言葉に、カノンは息を飲んだ。
しかし動揺の中でも木刀を握る力は弱めず、強くケインに突きつける。
「ワルプルギスの友達って、それでもアンタ魔女狩りか!」
「魔女に友達がいるって点に関しては、君に言われたくないなぁ」
「っ…………!」
意地の悪い苦笑いを浮かべるケインに、カノン言葉を詰まらせた。
魔法使いの身で魔女のまくらを守っているカノンは、確かにそのことに関して口出しはできない。
しかし、君主ともあろう立場の男がワルプルギスに通じているなど、普通は納得できない。
「……何を企んでるかしらねぇがお断りだ。話になんねぇよ」
「頼むよぉ。話くらい聞いてくれたっていいじゃないか。そのためにずっと君のことは放っておいたんだからさ。要はあれ。君は僕に借りがあるんだぜ?」
「どういう、意味だ」
気の良さそうの笑みを浮かべつつ、深く突き刺すような目を向けてくるケインに、カノンは冷や汗が背中を伝うのを感じた。
見た目だけならば、陽気で気さくな男にしか見えない。しかしその眼差しからはのしかかるような重圧を感じた。
こちらの心の内を見透かし、その隙間に入り込んでくるような鋭い視線に、カノンは唇を噛んだ。
「君が姫様と仲良くなっていたから、僕は君を見つけても何も手出しをしなかったのさ。そうじゃなければ、僕はいつだって君を処罰することができたんだからね」
笑顔は絶やさない。木刀を眼前に突きつけられても尚、余裕の笑みは崩れない。
そしてその奥の瞳だけは力強くカノンを射抜いていた。
柔らかみのない強者の威圧がカノンを覆い尽くす。常人ならば萎縮してしまうほどの重みを持った気配が、全身にのしかかっていた。
それでもカノンは歯を食いしばり、地面を強く踏みしめて堪える。
背中には、何があっても守りたいものがあるからだ。
その背中の先には一欠片もこの圧力を通さないと、カノンは全てを受け止めていた。
怯えるまくらを安心させるために、決して身動ぐことなく強く地を踏む。
「なんだよ、それ……! てめぇ、アリスに何する気だ!」
「僕のお願い、聞いてくれたら教えてあげてもいいよ」
「ふざけんな! アリスはアタシのダチだ。てめぇの願いなんて聞けるわけねぇだろ……!」
「うーん。だったら仕方ない。ここで君を処罰するしかないなぁ」
ケインの声色が下がり、重く絡みつくようなものに変わった。
口調は軽いが陽気な笑みはそこにはなく、気さくさは面影もない。
しかしカノンはそれでも気圧されることなく、鼻で笑い飛ばした。
「はっ! 安い脅しだ。アタシが自分の命可愛さにダチを売るかってんだ。舐めんな……!」
それは強がりなどでは決してなく、友を守る決意に満ちた言葉だった。
敵うはずもない相手を目の前にしても、躊躇うことはないと。
例えここで朽ち果てようと、友に誇れる自分であろうと。
そんなカノンを見て、ケインはうっすらと笑みを戻した。
「なるほど、君も結構変わったってことか。じゃあアプローチを変えるよ。今の君に一番効き目のありそうなやり方を取ろう」
ケインは娘の成長を喜ぶ父親のように穏やかに笑みを浮かべたと思えば、しかしすぐに意地の悪い笑みに切り替わった。
カノンを試すように眺めてから、ゆっくりと世間話でもするように口を開いた。
「君が今大切に隠してるその子、魔女だよね? 僕、君と違って魔女狩りだからさぁ、見つけちゃったからには職務全うしなきゃいけないんだよねぇ……」
「…………!」
ケインの言葉にカノンは全身に鳥肌が立つのを感じた。
全身の毛が逆立つような、身の毛もよだつ恐怖が駆け巡る。
一瞬で血の毛が引いたカノンの顔を、ケインは楽しそうに見て、ポツリと呟いた。
「話、聞いてくれる気になったかな」
────────────




